すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

難であっても,困ではない

2012年01月29日 | 読書
 『困ってるひと』(大野更紗 ポプラ社)

 去年の夏ごろ,何かの書籍紹介で目にした。その時から若干気にかかっていた。
 先日ポプラ社の「asta」という月刊誌1月号を読んでいたら,筆者と糸井重里との対談が載っていて,それでは読んでみなくてはとアマゾンへ注文した。

 「エンタメ闘病記」という新ジャンルだそうであるが,言い得て妙である。
 我が娘といくらも差のない齢の女子であり,登場する父母に近い目で見てしまう部分もあるが,それにしてもその困惑,難関,苦闘,混乱,逡巡…等々が,あまりに面白おかしく(この表現は失礼だが,つまりは読ませるつくりでということ)綴られていて,かなりいい点数をつけられる本だ。
 
 病気に伴う大変な状態の一部始終(いや実はほんの一部だろうが)を,ここまで書けるかあ,と思わせるほど明らかにしているのは,本質的に表現者としての強い芯を持っているからだろう。
 何度も書かれる「シニタイ」はけしてオーバーな表現には見えない。逆にそれを簡単に書ききれるという強靭さのように伝わってくる。

 この本の出版への道は,きっと第七章の最終,この一文に集約されるだろう。

 生きるとは,けっこう苦しいが,まことに奇っ怪で,書くには値するかも,しれない。

 難病を持つ人は,今けして珍しいとは言えない。環境,条件も様々だろう。
 この本を通して彼女が訴えたいことの一つには,「制度の壁の厚さ,高さ」もあると思うが,結局多くの人は自分に降りかかってこないと,こうしたことに強く関心を示さないものだ。我が身を振り返ってもわかる。
 せめて,ここに登場する何人かの人々のように,自分の務めに対しての誠実さは持ち合わせていたい。そうすれば,その場からでも発信できるような気がするし,いくらかでも理解できるのではないか。

  
 さて,この本で使用された漢字の頻出度ナンバーワンは,おそらく「難」ではないか。
 この「難」という字は,動物をあぶる,燃やすから来ているそうだが,見方によっては,病気という運命からあぶられながら,生きるためにかなりジタバタしている筆者の姿そのものだ。

 しかし題名の「困ってるひと」の「困」ではない。
 「困」は,囲われて縛られて動きがとれない様子からできた。
 仮に身体上はそうだとしても,彼女の精神はいろいろな所にとび出そうとしているし,現に本という形になって大きく踏み出していることは間違いない。

 糸井重里の言「これ(この本)をばら撒く委員会に入った」
 私も手を挙げます。