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自覚的偽善でヨロヨロ

2008年09月28日 | 読書
 『私の嫌いな10の人びと』(中島義道著 新潮文庫)を読む。

 中島義道の本は以前にも読んだことがあるが、今回もかなり強烈だ。
 中島の講演会には結構人が集まるが、講演後「『気に入らない』と私に訴える」人が出てくるという。
 その講演を聴きにいく人の気持ちが、なんとなくわかる気がする。たぶん、近くでそんな機会があったら私もいそいそ出かけ、聞き終わってから直接訴えはしないにしろ腹が立つ気分を抱えることになるのではないか。十分に予想されることだ。

 「10の人びと」とは、常識的には「いい人」であることを象徴している存在である。
 例えば…

 常に感謝の気持ちを忘れない人
 いつも前向きに生きている人
 「けじめ」を大切にする人
 …

 しかし少し立ち止まってそれらの行動を眺めたとき、明らかに今の社会が透けて見えることも確かだ。
 だからある面痛快ではあるが、その論理を自分自身に当てはめたとき、どうしようもなく反発するか自己嫌悪に陥るかのどちらかだろう。
 そして、その後どうするか…。これが難しい。
 解説の麻木久仁子は「『無自覚な独善』というゆりかごからはいだし、『自覚的偽善』という道をヨロヨロと歩む…」と書く。
 その心情はやはり無念だし、本当にそれらを抱えていけるのか不安もいっぱいだ。

 それだけ、この哲学者の言い分は見事だと思ってしまう。講演を聴いて精神に支障をきたす学生がいるそうだが、十分に予想される。
 例えば、こんなふうにぐさりと刺されるから。

 いちばん手抜きがしやすい方法は、しかも安全な方法は何か?大多数と同じ言葉を使い、同じ感受性に留まっていることです。