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それでも「そのときのエーくんのきもちをかけ」

2007年07月13日 | 読書
 再び『みんなで国語辞典!これも日本語』(大修館書店)より。

 「1 若者ことば」に続くのは「2 学校のことば」である。
 職業上非常に興味深いが、実際は「若者ことば 学校篇」というところだった。
 ただ、いくつかおもしろいことに気がつく。

 【ちょくさん(直三)】
  
 こんなふうに説明されている。
 「直角三角形」の略。主に有能な数学教師が好んで使用する。聞きなれない人には理解しにくい。
  
 この意味の投稿者はおそらく高校生だろうが、「有能な」という点にひっかかりを感じた。この通りであるにしても、そうでないにしても、つまり「省略・短縮」を使いこなす者は有能という意識がそこにあるのではないか。
 効率化、スピード化に価値を見い出す世の中、教育の一つの象徴…ちょっと大げさか。
 だから?二宮金次郎も【にのきん】と呼ばれるようになる。

 これは実に皮肉と思ったのが、次の語(というより文章だが)

 【そのときのエーくんのきもちをかけ(その時のA君の気持ちを書け)】

 国語科の常道的な発問の一つと言っていい言葉だ。
 この言葉は、次のように意味づけされている。

 誰にもわからないこと。どう考えても答が見つからず、本人しかわからないこと。

 なるほど。まさしくその通り…。
 この意味づけは、いわゆる「気持ちが悪いほど気持ちを問う」と言われた悪しき授業への抵抗とも言えるかもしれない。
 
 しかし、それはそれとしても、この言葉を「わからないこと」の喩えとして使うことは一面で、若者の弱さでもある。
 「人の気持ちはわからない」は真実だが、それが「わかるわけない」から「わかる必要がない」というように変化していかないとも限らない。

 問いの形は様々だと思うが「気持ちを問う」ことをあきらめてはいけない。
 それによって、他者に近づいていくことを忘れてはならない。