あ~あ、何を勘違いしているんだこの元兵隊は? 慰安婦がいたのか、いなかったかと問われたら、いたに決まっているじゃないか。論点を完全に勘違いしているんだな。
『66回目の終戦の日を迎えた15日、県内各地で戦没者を悼む行事が行われた。高知市の市立自由民権記念館では「戦争と平和を語る座談会」が有り、戦争経験者も参加して平和の尊さに付いて訴えた他、後世に戦争を語り継ぐ必要性に付いても意見が交わされた。(中略)従軍していたという同市比島町3の大川愛郎さん(82)は「今は物凄く後悔し、申し訳無い気持ちで一杯だが」と口を開くと、自身が台湾に派遣されていた当時、慰安所を利用した事を告白した。沖縄戦が始まる直前に、上官から「何時死ぬか分からない。死ぬ前に(慰安所に)行って来い」と命令されたのを鮮明に覚えているという大川さんは「現在(慰安婦の存在が)有った無かったと議論されるが、当時を知る者として(慰安婦がいたという)真実を後世迄残す事が私の役目だと思う」と話した。(後略)』
慰安婦は実際にいた。それを否定する人間はおるまい。只、そこにいた慰安婦が強制的に日本軍によって連行されて来た者かどうかが、論争の拠点になっている事を、この元兵隊の老人はご存知ないらしい。
早い話が、何かを勘違いした単なる馬鹿だ。
こういう輩が出て来て、勘違いしたまんま意見をするから話がややこしくなる。
慰安婦の中には、わざわざ日本から参加していたその道のプロフェッショナルな女性も大勢いた。現地台湾の女性もいただろうが、それはあくまでも現地の女衒から派遣された女性達。
これは、慰安所を訪れ慰安婦と関係を持った所で何の問題も無い。
それはそれとして、この爺ィ様、御年は82歳。逆算すると終戦時は16歳って事になる。慰安所を利用したのは15歳位の頃だろう。
あぁ、この爺ィ様の略歴が有ったので、以下を参照。
・昭和4年生まれ
・小学校卒業後予科練を志望し鹿児島で受験。大分宇佐の航空隊で飛行訓練を受ける
・昭和18年、グライダー訓練時に墜落して負傷・除隊。
・昭和19年、再召集に応じ海軍の通信兵へ。
・昭和20年、終戦は台湾で迎え、1年間捕虜生活を受けるも親日的で居心地は良かった。
・憲兵から「遊んで来い」と慰安所への出入り許可書を貰う。
慰安所への出入り許可証を貰った所で、行く行かないは本人の自由意志の筈。仮に命令され行った所で、慰安婦を抱く抱かないはやはり本人の自由意志の筈だ。
この爺ィ様は上官に命令されて仕方無く、見たいな言い訳をしているが、結局は欲望に負け、慰安婦を抱いたんだろう。
惚けて自己顕示欲に駆られた爺ィ様が、何を言い出すのかと思えば、やれやれだな。
誰も慰安婦と言う名の売春婦がいなかったなんて言っていないんだがねぇ。
『66回目の終戦の日を迎えた15日、県内各地で戦没者を悼む行事が行われた。高知市の市立自由民権記念館では「戦争と平和を語る座談会」が有り、戦争経験者も参加して平和の尊さに付いて訴えた他、後世に戦争を語り継ぐ必要性に付いても意見が交わされた。(中略)従軍していたという同市比島町3の大川愛郎さん(82)は「今は物凄く後悔し、申し訳無い気持ちで一杯だが」と口を開くと、自身が台湾に派遣されていた当時、慰安所を利用した事を告白した。沖縄戦が始まる直前に、上官から「何時死ぬか分からない。死ぬ前に(慰安所に)行って来い」と命令されたのを鮮明に覚えているという大川さんは「現在(慰安婦の存在が)有った無かったと議論されるが、当時を知る者として(慰安婦がいたという)真実を後世迄残す事が私の役目だと思う」と話した。(後略)』
慰安婦は実際にいた。それを否定する人間はおるまい。只、そこにいた慰安婦が強制的に日本軍によって連行されて来た者かどうかが、論争の拠点になっている事を、この元兵隊の老人はご存知ないらしい。
早い話が、何かを勘違いした単なる馬鹿だ。
こういう輩が出て来て、勘違いしたまんま意見をするから話がややこしくなる。
慰安婦の中には、わざわざ日本から参加していたその道のプロフェッショナルな女性も大勢いた。現地台湾の女性もいただろうが、それはあくまでも現地の女衒から派遣された女性達。
これは、慰安所を訪れ慰安婦と関係を持った所で何の問題も無い。
それはそれとして、この爺ィ様、御年は82歳。逆算すると終戦時は16歳って事になる。慰安所を利用したのは15歳位の頃だろう。
あぁ、この爺ィ様の略歴が有ったので、以下を参照。
・昭和4年生まれ
・小学校卒業後予科練を志望し鹿児島で受験。大分宇佐の航空隊で飛行訓練を受ける
・昭和18年、グライダー訓練時に墜落して負傷・除隊。
・昭和19年、再召集に応じ海軍の通信兵へ。
・昭和20年、終戦は台湾で迎え、1年間捕虜生活を受けるも親日的で居心地は良かった。
・憲兵から「遊んで来い」と慰安所への出入り許可書を貰う。
慰安所への出入り許可証を貰った所で、行く行かないは本人の自由意志の筈。仮に命令され行った所で、慰安婦を抱く抱かないはやはり本人の自由意志の筈だ。
この爺ィ様は上官に命令されて仕方無く、見たいな言い訳をしているが、結局は欲望に負け、慰安婦を抱いたんだろう。
惚けて自己顕示欲に駆られた爺ィ様が、何を言い出すのかと思えば、やれやれだな。
誰も慰安婦と言う名の売春婦がいなかったなんて言っていないんだがねぇ。