『斬(ざん)』

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本音かどうかは藪の中だけどね

2007年01月09日 | Weblog
歓楽叶わぬ納骨堂庭園 - 私は人々の本音を引き出したい

 オレは、傲慢でもいいから「負けた」と思えないなら、そのほうがいいですよ。でもね、これは仕方ないんだ。思ってしまうんだもの。制御したり訓練したりして変えることができることじゃないと思うんですよ。仰るとおり性格の問題。
氏にとっては羞恥プレイをする事で己を客観視して記事に活かしていくタイプなのだろう。だが、私は羞恥プレイではなく、どちらかというと、俺様主義で傲慢な見方で記事を書いていく事によって、人々の本音を引き出していきたいと思っているようだ。
歓楽叶わぬ納骨堂庭園 - 私は人々の本音を引き出したい
 この部分を読んでいて、ふと思い出したのが、梅田さんの記事、『My Life Between Silicon Valley and Japan - Blog論2005年バージョン(2)』の中にある
モノを書くことは恥をかくことである。恥をかきたくなければ何も発表せず、読むだけ読んで人のことを「バカだなぁ」とうそぶいていればいい。
My Life Between Silicon Valley and Japan - Blog論2005年バージョン(2)
でした。そうなんだよね。だって、Web で文章を書くって事は、自分よりも専門知識やより深い考察を出来る数多の人々にも読まれる可能性があるということだからね。そして、現実にそういった方々にも読まれているんじゃないかと思います。自分なんか足元にも及ばないような人にもね。そーゆー人が読むだけで書き込んだりしなかったとしても、バカにしてたり、まだまだだな、って思われたりしてるのは、容易に想像できることですよね。でも、それが分かってても書くってことは、やはり恥をかくことなんですよね。でも、その恥をかくことよりも、そこから得られることのほうが自分にとって価値があるから、続けられるんだと思います。

 そして、その恥を少しだけ和らげるために、本音とうそを上手く織り交ぜて、時に記事に脚色して、ちょっとデフォルメさせて作るようにしていますよ。だから、どこまでが本音で、どこまでが脚色かは、書いた俺にしかわからないから読んだ人の判断に任せるところです。そういった仕掛けを作ることが出来るのも、書き手としてのささやかな楽しみの1つですね。


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『斬(ざん)』:時に自分の記事が必要以上に話題にされるのは恥ずかしいことなのかもしれない
『斬(ざん)』 羞 恥 プ レ イ とは上手に付き合っていきたいものですね


[TB:歓楽叶わぬ納骨堂庭園 - 私は人々の本音を引き出したい]


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