ソラ画像より
・2019年6月25日 警告
ソラから知らされたことは、実家の裏山は、いて座の王であり、白木家のモノだったけど、プレアに支配された支配者や寺が南側と西側を、白木家が断絶させられた時に取り上げられたと伝えられています。
南面の3分の2は、明治政府により星原へ入ってきた柏原家、四方家、今井家のお墓がありますが、イシカミの反撃かあちこちがこのように崩れています。
・2020年3月9日 隠され封印されたもの
不動尊の先のハイキングコースと書かれた道中の画像です。
驚いたのが山を越えた所なのに、星原の住人の名前の地蔵があったことです。
星原の村長だった柏原や、寺の下の今井姓で、そのことで裏山から続いている山が星原の住民のモノだったことを知らせているようです。
柏原家の家は、北向きの寒い地所で、今は庭に山崩れがひどいです。
今井家は実家の横井戸の跡を石垣で封印して、空き家になれば寺のモノと言い切り、横穴址と書いた立札を抜き取った?
少し登った所の新しいお墓で、四方家、沢山のオーブで抗議していました。
そのお墓の手前には、このような石室だった跡?や石がゴロゴロ周りにありました。
お墓の横の三角の石碑、その横にやはり長方形?の石組があり、やや戦闘的だった物部の守屋の部下だったイシジン?
・2015年1月27日 NYの大学の演劇の教授
ペアリーのおじさんであり、NYの大学の演劇の教授夫妻で、感謝祭というので七面鳥のお料理をご夫妻で作ってくださいました。
この教授の写真をアルカサーブさんに見せると、知っていると、ペアリーも小さい時から知っているということでした。
ここで一緒になったペアリーの祖父母はポーランド系のユダヤ人で、それを聞いた時、涙が出てきて困りました。
その後ナオミの子供の子孫とチャネリングでは言葉になりましたが、真偽のほどはわかりません。
・・・・・・・・・・・・・
↓は実家の屋根と石のことですが、まだ住人が住んでいますので会員のみとしました。
*)「2011年12月11日 墓石1」
祖父母の墓石も、プレから来た兄嫁と姪によって、墓地から排除され、ソラの家の近くのお寺に詰め込まれています。
墓地は今では完全な空き地になり、プレの白木家断絶が目的で、跡形もないように計画していたことが、確実に実施されようとしています。
小さな顔?の前の家の主は、一番嫌がらせをする人(四方)ですが、先祖は白木家の部下であり、もっと高い所に住んでいて、白木家が断絶させられた時に、移り住んできて、前の庭まで白木家の庭だったとチャネリングで知らされました。
ちなみにこの家の長女は20歳の時、家に火をつけたということで精神病院に入院して60年?にもなるようですが、イシキがさせたと思っています。
・2011年12月11日 墓石1
白木家の祖父母の墓石、わずかに梅という文字でわかりました。
チャネリングでは兄嫁がプレの乳母、47歳で亡くなった姪はプレの女王と言われ、白木家を乗っ取るために生まれてきたと早くから伝えられ、散々嫌がらせをされました。
そのプレの計画に見事にやられ、白木家のお墓はただの空き地になって、祖父母や父母の墓石は集団墓石廃棄場に無残な姿になってました。
確かに父母のお墓の中にはイシキはいませんが、白木家が存在したという証明も完全に消されようと着々と準備がなされたのです。
見た時は激しい怒りにかられましたが、返ってそのようなイシキが白木家にドンと占領されるより、兄の亡き後は空き地に桜の木でも植えようと思いました。
ソラのモノ達はその隣の荒れた畑を花見山のようにしてほしかったようですが、到底はそれは無理と断っておきました。
・2011年12月11日 墓石2
仏教によるお墓の支配はけっしてしないけれど、存在したというメモリアル的なものはあっても良いと思っていました。
父母の墓石などもてんでバラバラで、ようやく探し出したわすかな文字で見つけることができました。
このお寺はこのように何百もの墓石の多くを、霊を抜いたとウソついています。
父母など家族を除いて、これらの墓石の誰も空に上がっていないと言葉になっていました。
自然石は子孫が途絶えて縁起が悪いと、坊主と石屋の策略にまんまと乗せられて、イシジンであったものもたくさんこのように捨てられています。
・2014年8月22日 かってのお墓
中央の頭を下げたような自然石が祖父母の墓石でした。
兄嫁はプレの乳母で、姪はプレの女王でした。
98年にプレの女王に支配された時は、兄嫁の母の元に行かされ、土下座をさせられました。
柏原家の隣の四方一郎の息子が奈良に住んでいて、時々星原に帰ってきていましたが(今はゴミ屋敷に住んでいるそうです)兄嫁に私のことを告げ口をしてから、実家には帰ることができなくなり、このお墓ももぬけの殻になりました。
すなわち兄嫁のイシキは、白木家を断絶するために嫁に来て、娘も結婚することなく若くして癌で亡くなりました。
(兄嫁と姪のことはチャネリングで知らされていた通りでした)
二人は自分たちが亡くなる前に、よそにお墓を移転して、これらの墓石は全て取っ払われたのです。
10cmの隙間もなく詰め込まれた祖父母と父母の墓石を、向田のソラの家のすぐ近くのお寺で見た時は、奇跡と思えました。
皆ソラに挙がってもらいましたが、自然石は実家の庭の石と共にストーンサークルの中心でもあったと伝えられています。
祖父母が横穴から出てきたイシジンだったと伝えてきた時には、本当にびっくりしましたが、白木家が途絶えていたために祖父母は養子?だったと聞いたことはあります。
その横穴は白木家と、家屋敷を横取りしたと伝えられる前の家の二か所ありましたが、子供のころ使っていた横穴は今は、そこだけ石垣になり完全に隠され、プレの目的は達成されたと思っています。
このお墓の土手には、子供のころ大きな桜の木があったのですが、4月7日に父が亡くなると同時に枯れました。
ソラの情報では大昔は山桜が生えていて、その元に山彦が埋められたとも伝えられています。
古木の白い?サルスベリと白椿もソラの情報と一致しています。
でもこれも下の白木家の分家の娘が跡を取ってから、葉が落ちてくると文句を言うために、元から切ったそうで、今は全く面影もないただの荒れ地になっています。
その後N家に養子に行った弟もプレの仲間で、3男を養子にして、決して私を実家に入れさせないようにして、家も兄がいなくなったら壊すと言っています。
プレの計画の白木家を完全に消滅させる計画通りになっています。
・2021年4月26日 墓碑1
今回お墓の記録を見てきて改めて知らせてきたことが本当と思いました。
白木家を除いた家は全てと言っていいくらい、墓碑に書かれているのが、とても新しい年号ばかりで、特に昭和10年代というもあり驚きました。
追い出されたと伝えられた叔父と同じ名前の青い瓦の家の墓碑には、初代は昭和19年でした。
白木家の分家として、父が信頼していた家のお墓は、天保13年と記録されています。
ちなみに他の白木家の墓碑は大正や昭和が始まりで、これまで知らされている複雑な事とつながっている(本来の白木家とは余り関係ない?)と思えました。
・2021年4月26日 墓碑2
入母屋の家で分家の上にある柏原家に、叔母が嫁いだけれどいじめられて井戸で入水自殺したと、子供の頃聞かされていました。
驚いたことに入母屋の家なのに、初代が昭和17年没と記録されていました。
叔母は“志か”=“志に力”という名前で哀れに思え、戒名は“鹿苑妙受”ということで、その意味驚きました。
三角山奥の鹿の死
*)「2021年3月17日 牡鹿(雄鹿)の死」
【20021年4月29日追記】
なぜ志カおばさんは30歳で亡くなったか?
イシキが降りてきて「騙された・・・」と思わぬことを伝えて来ました。
婿養子に入ってきて、その親が入り込んでいじめられたと詳しく言葉になって、さらにその長男のイシキも降りてきて、お墓に桜を植えて守りをしていたが、いじめられて家を追い出されたとも。
なぜわざわざ初代と書いてあるのか、意味が通じるようでした。
父が亡くなって柏原家の株内の様子も伝えて来ました。
・2021年4月26日 木曽義仲の傍の白木家のお墓
ホシノベの仲間の白木家は、山=イシカミを信じる人の多い長野県や岐阜県に逃れたと伝えられています。(2018年)
・2020年12月23日 柏原(カイバラ)
城崎温泉は亡き父が農作業が落ち着く初冬にいつも行っていましたし、有名で割と近いのに、今まで行った事がなく、今回直行電車で行ってきました。
道中、瓦屋根の大きな家が並んでいるのは、カイコを飼うためと思っていましたらこの駅の名前を見て言葉になったことです。
皇室を神を思わせるために、イシカミのことを伝える倭の国の物部やホシノベは何としても封印するために、送り込んだ人たちを援助してカイコを飼わせていたそうです。
夜も昼も働かせてカイコを飼い、その絹を女工哀史があるように安いお金で布地にして輸出をして外貨を稼いだようですが、その莫大なお金が皇室の人たちに贅沢三昧をさせてきたと知らせてきました。
今、それが公になっているのが、驚くばかりの皇室の状態のようです。
*)「皇室newsまとめ 菊のカーテン」
ちなみに柏原は“白い木の星原”をあらわすと、早くからいろいろと知らされていますが、星原の有力者は柏原です。
なかなか書き込めなかったのですが、頭の毛を触る感じがして催促され、思わぬことを知らせてきました。
なぜ田舎の狭い谷の白木家の周りに、四方家が密集して住んでいたか?
(これまで何度か書いています)
父は国四郎=国を知ろう、という意味で、池にはまって亡くなった兄は史郎、妹も水死、姉も池にはまっていたのを助けられたと聞いていますが、3人も池に落ちたことは、なぜか?
入母屋の家と瓦屋根の家の違い、本家と分家のことなど、思ってもいなかったことを詳しく知らせてきました。
・2019年8月11日 星原のあちこちの山崩れ
1)ソラからの情報によると、実家の裏山はいて座の王で、最初に魚や食べ物を作りだしたと早くから知らされていますが、なかなか信じることはできませんでした。
けれども次々知らされること、私の聞いた話や現実に残されていることなどが全てつながっていきます。
そのうちの裏山は、白木家の山であったが、後から来た仏教を信じる人たちにより、南側はお寺の土地となったようで、柏原、今井、四方一族のお墓があり、その部分の崩れです。
2)星の宮神社の前にストーンサークルを作るようにと、言葉があり、同級生に聞くと「それくらいいいだろう」ということでしたが、蹴飛ばされて撤去させた人の家。
実家の前の家の分家ですが、前の家の人も、白木家の裏山で手入れをしていると、怒鳴り込んできた人です。
ちなみに星原の入母屋の家は、断絶させられたり、追い出された一族の家に入り込んだと伝えられています。
3)お寺への行く道です。
4)柏原という元村長の家で、同級生だったので遊びに行っていました。
池などがあった庭の一部が完全に埋まっています。
【追記】
この他に一番最初に崩れていたのは、岡田さんの家の下あたりで、ひどく崩れていたのは何故かわからなかったのですが、以前は岡田茂吉がプレアのお気に入りと言われていたので知らされたようです。
星の宮神社の前の星原川の土手も大きく二か所崩れています。
・2019年8月11日 綾部市 私市丸山古墳の崩れ
綾部や星原のイシカミは、役目は終わったと崩れようとしているようで、一番のお知らせ役の私市丸山古墳はこのように、崩れるのが止まりません。
この並びの山はあちこちで崩れていました。
画像で見るとあまりはっきりわかりませんが、大雨も降っていないのに、行くたびに赤く崩れている個所が増えています。
・2022年5月17日 星原 横穴のある小山
星原の奥の横穴の上が整地?され、古墳らしき姿になっていたのが気になりました。
かっての夢では、この小山は上まで畑で、下から登って行ったのを見ていて、今でもその風景ははっきりと思い出せます。
このテラス?の道路側に横穴があり、なぜこのようなところにと思っていました。
*)「横穴特集」
の崩れかけた横穴があります。
白木家の本家はこの右側にありましたが、それは質素な家で、京都に早くに出て行かれました。
この丘の向こうに畑や、左側には田が数枚ありました。
この道の奥に、遠坂峠があり、かっては志賀郷へ歩いて行っていたようです。
左側の低い山は柏原家やお寺に続き、その先端が石伊根でその先がジゴクの入口と言われた所につながります。
左に細い川が星原川で、いて座の王が最初に魚を創ったと、夢かビジョンで知らされました。
違う夢では左下の川にはワニがいて、その横当たりから柏原家などの家があります。
サラになると何度も言葉になり、今更どうでもいいのですが、先日から実家に複数の人たちが集まって食事をする夢を、連日!見ているので紹介しておきます。
・2013年11月25日 ソラから知らされたこと
【地図に書かれていることは、子供の頃のことや、98年に体験したことを書いています】
星原の南側の山で、星原城があったと記録されています。
この山に木星の王であり、プレの王が降りたと知らされています。
98年にプレの女王に支配された時、この山の手前の近くの農道に、30cm位のクワで削ったようなサークルがあり、そこが地獄の入口と知らされました。
そこに塩を高く盛り、線香の束を刺して、般若心経を唱えるようにプレの女王は命令をしました。
そこに地獄の邪鬼が集まってきて全て死に絶え、地獄は無人?となったと伝えてきました。
プレの女王は人間があまりに悪いことをするので、いわゆる地獄を創ったそうですが、700歳の寿命が来て、自分がそこへ追いやられることになったので、邪鬼を消滅させたそうです。
当時はなぜこのようなところと意味が分かりませんでしたが、その後その山が木星の王がとても気に言っていたとことわかり、航空写真で見ると葉のように見えます。
今は高速道路になっていますが、若いころ、巨大な岩が川のそばにあり、その横を抜けると星原の風景が見える夢を見て今でもはっきりと覚えています。
実際そこには巨大な岩があり、戦後爆破されて道路ができたそうですが、さらに最近では、高速道路が通り岩は全くなくなりました。
思わぬことにチャネリングでは、山彦が母親のイトがヤマトに連れて行かれる時に、その岩の上から手を振って別れと悲しんだと伝えてきました。
右側が星原の谷で、左側は有岡の奥路の谷で綾部寄りです。
有岡の谷は大きくて田もたくさんあるのですが、ほとんど家はありません。
その田に星原の人たち(四方、今井姓の人たち)が田を造りに行きます。
なぜ有岡の谷に家を構えなかったかというと、白木家を見張るために、小さな谷に家が密集して創られたことで、意味が分かりました。
特に白木家の周りには、今でこそ少なくなりましたが、四方、今井姓が密集して建っていたようで、最近でも、近所の人のNPOなどへの嫌がらせはたの村へまで届くくらいはっきりとしています。
もっとも星原の有力者(柏原、四方)は星原の谷の中央の良い田をほとんど取り上げて(プレの女王の言葉によると)、白木家の田はバラバラで、畑は見事に端とわかる三角ばかりでした。
私の実家は「星原町」の文字の右上の小さな谷で、そこにかっては7軒の家が建ち、入り口にも2件建っていました。
隣の有岡は手前に家が建っているだけで、それ以上奥には民家はありません。
星原の人たちは星原の突き当りの険しい峠を越えて田の仕事をしにいっていたようで、子供のころ一度だけついていきましたが、とても遠かったです。
明治政府になってから?ヤマトからきたと伝えられた家は、南は高い山で氷代(ヒシロ)と呼ばれたとても寒い所に家を建てていますが、実家は南向きでした。
それだけでも後から入ってきたということがわかります。
白木家は何度も断絶させられ?無人になっていたと、大本教の敷地にお金が埋めてあったことでも、伝えてきました。
すなわち白木家にお金を持ってきたけど、家が途絶えて、大本教の敷地に埋めておいたのを、支配された出口直?がチャネリングで、お金を探し出し、その土地を無理やり、私有地としたということも思わぬことで伝えてきました。
それは土地を大本教に取り上げられたと訴えてきた人のことを聞いていた時に知らされました。
今回高速道路のわきのロードパークに寄って、この山を切り刻んでほしいと言葉になり、この画像を見ることができました。
*)「2013年11月24日 綾部市 13:50」
・2019年7月18日 星原 別所(べっしょ)
右側が、いて座の王と言われた実家の裏山の反対側です。
白木家の分家の裏に畑がありましたが、今は荒れています。
本家と言われた家は今はありませんが、子供の頃、なぜ本家なのに貧しかったのが不思議でしたが、ホシノベの本家というので狙われたので貧しい家にしておいたと、知らされ納得できました。
左奥に何枚かの田がありましたが、荒れています。
夢やビジョンで、沢山の大きな魚が、この手前の細い川にいるのを見ましたが、この星原川で魚などをいて座の王が送り出したと伝えてきていました。
手前の三角の土地でわかるように、断絶させられた時に、全て広い土地は取り上げられ、このような三角の土地だけ残されたようです。
ちなみに地名は、「大の」と呼んでいたことでもわかるようです。
・2019年7月18日 星原 奥路(おくじ)
今年の1月6日の先祖が降りてきて実家へ行ってほしいと言葉になってから、祖父や父の姉弟などが、弟やその3男が養子に入り、家も土地も放置することになったことで、いろいろな事を伝えて来ました。
驚くことばかりですが、これまで伝えてきたこととつながり、何としても知らせてほしいということで、昼夜共に降りたいのか?眠くて仕方がありません。
もう関わりたくないのですが、父が生前に何とか私に伝えたかったのでないかと、数少ない記憶がつながっていくようで、せめて記録に残しておこうと、身近な読者の方にはお伝えしています。
赤線内は実家の裏山と白木家の株内のお墓、畑なのですが、左の欠けた部分は、後から来たと伝えられた柏原家、今井家のお墓で、大きく崩れています。
この小さな谷に実家の周りに、四方家4件、今井家が取り囲んで、田は隣の有岡町にありました。
点在する入母屋の家のことはいろいろと伝えられることが、これまでのことなどとつながりますが、現在も住まわれていることで公開することはできなくどうしようもありません。
そのことが不足らしく寝むらされるのですが、私の最後の仕事のようで、とりあえず公開しておきます。
・2019年7月18日 星原 岼蔭(ゆりかげ)
この道路の下の田は、兄が亡くなったらすぐに道路にされていました。
お寺の下の人は、白木家の横穴の跡に石垣を創り、今井家のお墓を造っています。
・2019年7月18日 星原 藪ノ下、井の谷
昔は中央部の畑の下に田が続いていましたが、圃場整備をしてから神社の前に田になりました。
道を挟んだ山側の土地も斜面ですが、畑だったそうです。
以前にこのあたりの田に金属製のジグソーパズルがたくさんばらまかれていた夢を見ました。
井の谷は昔は、湯ノ谷と呼んでいたそうです。
この他、アラマと呼ぶ高速道路の近くに大きめの田があり、石伊根の巨石があった近くにも田があったそうです。
初期の頃から知らされていることは思ってもいないことばかりですが、現実のいろいろなことと、まずます合ってきています。
私の最後の仕事のようですので、何か意味がわからないでしょうが、紹介しておきます。
地震雲などの画像より
・2024年8月31日 佐賀県鳥栖市 14:48
・2024年8月31日 名古屋 14:56
・2024年8月31日 名古屋 15:40
・2024年8月31日 福岡県大野城市 17:43
・2024年8月31日 名古屋 17:48
・2024年8月31日 名古屋 17:48
・2024年8月31日 名古屋 18:10
・2024年8月31日 名古屋 18:12
・2024年8月31日 栃木県 18:17(オレンジ色の空)
・2024年8月31日 名古屋 18:23
驚くほどの西側の空でした。
・2024年8月31日 名古屋 18:24【日向灘M4.7、山梨県東部・富士五湖M4.3】
2024年8月31日 22時04分 日向灘(北緯31.9度 東経131.9度 深さ30km) M4.7 震度3 宮崎市(宮崎県)
2024年9月01日 11時28分 山梨県東部・富士五湖(北緯35.5度 東経139.0度 深さ20km) M4.3 震度3 富士吉田市、都留市、大月市、上野原市、甲州市、富士川町、富士河口湖町(山梨県)
・2024年8月31日 綾部市 18:39
DATE and TIME (UTC) LAT LON MAG DEPTH km LOCATION
01-SEP-2024 07:38:19 -5.88 149.54 5.3 100 NEW BRITAIN REGION, P.N.G.
01-SEP-2024 06:41:35 15.77 -93.68 4.0 62 NEAR COAST OF CHIAPAS, MEXICO
01-SEP-2024 03:42:49 8.18 91.71 5.2 10 NICOBAR ISLANDS, INDIA REGION
01-SEP-2024 02:28:41 35.50 138.95 4.5 39 EASTERN HONSHU, JAPAN
01-SEP-2024 02:09:12 -20.53 -69.27 4.3 98 NORTHERN CHILE
01-SEP-2024 01:55:06 -10.44 66.44 4.6 10 MID-INDIAN RIDGE
01-SEP-2024 00:53:16 -57.98 -25.70 5.6 53 SOUTH SANDWICH ISLANDS REGION
01-SEP-2024 00:49:26 4.74 125.21 5.0 10 TALAUD ISLANDS, INDONESIA
31-AUG-2024 18:21:41 23.80 121.71 4.5 26 TAIWAN
31-AUG-2024 16:43:57 50.64 87.27 4.1 16 SOUTHWESTERN SIBERIA, RUSSIA
31-AUG-2024 16:41:18 -23.31 -179.82 4.6 530 SOUTH OF FIJI ISLANDS
31-AUG-2024 14:03:36 79.93 1.25 4.4 10 GREENLAND SEA
31-AUG-2024 13:04:47 -29.83 -71.83 5.0 26 NEAR COAST OF CENTRAL CHILE
31-AUG-2024 13:04:23 32.00 130.55 4.6 56 KYUSHU, JAPAN
31-AUG-2024 12:25:00 -8.47 112.53 4.1 129 JAVA, INDONESIA
ソラ辞典より
・イシカミ
大昔、射手座から降りてきたいわば宇宙人、お腹に人間を入れて降りてきた。
射手座にいた頃は、三次元の生物ではなく所謂‘意識体’だったが、人間を作った時に自分達も三次元の形になって一緒に下りて来た。
大きさは様々だが山のように大きいイシカミもいた。
とろとろのお餅のような身体で、引力によって身体からぽたぽた落ちた物が落とし物と呼ばれている。
落とし物から分身の子供達を作り、人間の為に食べ物や川、山を作った。
またピラミッドで宇宙のエネルギーを得たり引力を放散したりしようとしたり、いろいろな奇岩を作りサインとして残した。
当事の人間はイシカミの存在を知っておりテレパシーでコミュニケーションをしていたが、今では人間の意識が薄くなりごく一部の人にしかその能力が残っていない。
・イシキ
イシキは潜在意識、霊のこととして書いています。
まだはっきりとはわかりませんが、これまでの情報ではイシキは脳で作られるのでなく、その人の関わりのある星から送られていると思われます。
意識は顕在意識として書いています。
・地震
小さな地震はこれまでイシカミのサインとされてきましたが、大きな地震は、ゴルディロックという宇宙の意識の集合の大天体で【宇宙の計画】として知らされるそうです。
宇宙は人間の想像をはるかに超え、意識を持っている存在は人間だけではありません。
それなのに人間だけが意識を持っていて、全てのことはわかっていると傲慢な科学信仰とまでいえる洗脳された人間は、いくら宇宙(ソラ)から情報を与えても、無視し続けることで、ついに地球変革の計画が宇宙の大元締め?(ゴールディロック)で立てられたのです。
東北太平洋地震の前の日、激痛の催促でこの情報を政府に知らせてほしいと言葉になり、すぐに知らせたのですが、これまで通り無視されました。
残念なことに計画がスタートしたようです。
小さな地震は地球を生物のすめる地球にしてくれた、いて座の意識体のイシカミたちが、自分たちの存在を知らせるために揺らします。
「イシカミが山になった事を知らせる為です。
人間は、造山運動で山が出来ていると決め付けています。
(昭和新山は支配星に騙されて、噴火して山になったと以前知らされた)
地震で土地が盛り上がるのは、イシカミの身体である珪素(シリコン)が一斉に増殖するからです。
一方、土地が沈下するのは、その地域の珪素が一気に砂になろうとするからです。
それをテレパシーで知らせ合って一斉にするのです」
《ビジョン》
“研究室のような机の上が真っ白な光で照らされ、そこにカサの開いたキノコが2本並んでいる”
意味は
「シリコン(珪素)に意味があるのです。
珪藻が意味なくしていろんな形になっているのではありません。
自分の意志でいろいろな形になるのです。
シリコンは死んで意識のない岩になるのではありません。
シリコンは今も意識を持って真似をするのです。
それは南に(ムー)大陸があったので、(そこのイシカミに海の底に沈んでいないで)海の上に現れるように“おいで”をするのです。
シリコンがなぜ一気に大きくなるのかというと、それはイチゴと同じです。
一つ、一つのシリコンがイチゴの形になるのです。
又キノコは一晩で土の上に出てきて、数日で横に広がります。
シリコンもイチゴのように大きくなって(=直下型?)、横に広がる(=横揺れ)ので何度も地震が起こるのです」
・台風
台風はイシカミ(いて座の意識体)のイシキが集合して、日本へ向かうために起こるという事です。
「最初にいて座の南のイシカミの王子や王女たちが集まって相談します。
そして誰と誰が行くか決めます。(6号は全員集まった)
原子には意識があるので、水素や酸素などの原子たちに“台風を作るから集まって”とイシカミが呼びかけをします。
そして先頭に立ったイシカミは、集まってもらった原子たちと共に、駆け出すのです。
イシカミたちは上に上に行こうとするので、渦巻きができるのです。
そして日本のイシカミたちからの情報を聞いて、進路を決めていくのです」
イシカミのイシキ体は台風の目の右側に集合し、階段を登るように?進んでいくので、台風の目が左側に出来、台風の目より右側が雨風とも激しくなると伝えてきます。
オーストラリアに降りたいて座の長老のイシカミの身体で、ウエーブロックが小さく見えています。
ウェーブロックのような大波になって日本に行くように、長老がいて座の王子や王女達のイシカミに教えたのです。
ムーノイアなどのイシカミたちが射手座の女王に会いに行こうとするために起きる。
また南のほうに大きな大陸(ムー大陸)があったことを知らせている。
雨を降らせ、海の掃除をする。
台風にも意識がある。
・原子
物質を構成する1単位。
原子核と電子からなり、電子が原子核の周りを軌道を描きながら回るのは、原子核が電子に「回ってください」と頼むからで、「原子に意識がある」ことを証明する。
・目には目を、歯には歯を…の本当の意味
イスラム教で、恐ろしい復讐の意味に間違って解釈されていたこの法律を、『ソラのイスラム物語』のマホメットが、
【目には目を】は、見て美しいものや楽しいものを頂いたら、誰かに見てうれしくなるものをお返ししなさい。
【歯には歯を】は食べておいしいものを頂いたら、誰かに食べるものをお返ししなさい。
それは、貰った人にお返しをしなければならないということではなく、地球の富が循環するように、つまり神様から与えられている地球の財産を独り占めすることなく、皆で分け合いましょう。
という元の意味に戻した。
しかし、その後にまた悪者が、「目をやられたら目を傷つけるように、歯を壊されたら歯を壊せ」という恐ろしい復讐の意味にしてしまった。
現在も間違った意味を信じているために復讐による悲惨な争いが絶えない。
本当の意味を知らせてくれたソラのもの達は、本当に平和になるためには「目には目を…」の復讐ではない本当の意味が伝えられることが必要ということ、またイスラム世界だけでなく、王制(天皇制も含む)の見直しをする事が大切とも伝えている。
・地球
星達が並べられる不満の固まりが鉄などの元素を引き寄せ、真っ赤に熱せられて宇宙をさまよっていたが、水星が水で地球を冷やしてくれ、土星が土を、木星は木をプレゼントしてくれ、またそれぞれの星が動物、花、魚などを送り込んでくれた。
モーリタニア、サハラ砂漠に地球の目、エルサレムが地球の心臓などと知らされる。
地球の最初は亀のようであったが、4世紀?に丸くなったと。
丸くなることで余分の原子たちは一旦分解して、再び地球に降りてきて山などになった。
・【宇宙の計画】
宇宙は何もない真っ暗闇ではありません。
人間以外に意識を持ったものは、星をはじめ形はなくても、意識体として想像を絶する存在がいるようです。
そしてそれらのそうまとめが、ゴールディロックスという大きな天体のようです。
そこからいろいろなこれまで人間の知らなかった情報が、ソラからの情報で、13年間伝えられています。
それは宇宙の原則は【平等】が一番大切と繰り返し伝えられます。
それを壊しているのが、王制、皇室制で、その他地球の富を独占している権力者たちです。
そのことを繰り返し伝えて、政府をはじめあらゆる所ににも伝えていますが、全く変わりがなく、争いばかりの地球で、人々の助けを求める声は宇宙の果てまで届いているそうです。
それでゴルディロックの総元締め?で会議がなされ、地球を元の平らな星に戻す計画が立てられたそうです。
日本で玄海灘地震以後、大きな震災級の地震がなかったのは、日本からこの情報が発信されているので、多くの人々は気づくであろうということだったのですが、全く正反対で、いくら知らせても無視、ネット上では罵詈雑言の攻撃が絶えなかったようです。
それらを星たちは黙って見ていて、宇宙の意識体?の会議(ゴルディロック)で話し合いで、元の地球に戻そうとしたそうです。
その最初?の計画が今回の東北太平洋地震で、この大地震が起きる前の日、激痛と共に政府にソラからの警告を聞いてほしいと催促があり、伝えました。
けれども全く無視され、ついに実行されたそうです。
・宇宙の大元(おおもと)
《大元》とも言い、宇宙で初めて思いを持ち、原子や星を創りだした根源。
宇宙の最初は真っ暗闇であったが、最初に「誰かいないか?」という意識があらわれ、捕まえようとしたとビジョンで知らされた。
次に捕まれまいとする思いがあらわれ、大元が捕まえる、弟が逃げるという追いかけっこになったので渦巻きが現れる。
渦巻きが極限まで達すると、パンとはじけて光と原子があらわれた。
それの繰り返しで次々と原子があらわれ、同じ思いを持った原子が集合し、星になったり、意識だけの集合体になり、宇宙中に満ち溢れた。
これから原子には意識があると言われる。
超紐理論ではヒモのようなクォークの振動が全ての始まりといわれているのも間違いと。
2002/9/3
最も高次元に存在する全宇宙の元となる意識体。すなわち神の大元とも言える。人間の言葉では宇宙全体を表すことができない。
・ホシノミナ
宇宙の大元の分身と言われる。
大昔恐竜ばかりの争いの地球になったため、宇宙の大元の命令で地球に降りてきた。
その時、稲妻で一気に地球を掃除し、恐竜を滅ぼしたと伝えられる。
掃除をした後京都府綾部市星原で眠っていたが、1998年秋に目を覚まし、著者とコンタクトをとっている。
この場所に星の宮神社がある。
ホシノミナは地球を掃除した後眠っていましたので、その後の横向きの稲妻は、稲妻を支配星が真似して人間を脅かしていました。
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以上、地球の謎解きより。
写真は8月25日のソラ。