『下鴨神社の始まりに何があったのか』で描写されたのは、
(1)丹波を中心に山陰や北陸、山背、近江、伊勢、尾張、相模、関東、熊野、阿波、吉備などを開拓した丹波系の物部氏
(2)北九州に拠点を持ち、九州の倭人達を統率していたが、河内や大和盆地に東遷して、丹波系の物部氏と共に邪馬臺国を統率した九州系の物部氏
(3)後の時代に百済から播磨や山背などに入り込んで、物部氏の大半を糾合した秦氏や賀茂氏
(4)丹波系の物部氏以前に山陰から北陸にかけて蟠踞していたミャオ族とチュルク系の製鉄遊牧民
(5)新羅や高句麗の丹波系倭人で後の源氏を含む新羅系秦氏
でした。
日本国建国以前の列島にはこの他に、次のような部族がいたと思われます。
(6)全国の山岳を中心に東国方面に疎らではあるが広く広がっていた幾つかの雑多な部族
(7)近畿の大和川や淀川、木津川、宇治川、桂川、鴨川、琵琶湖などの水系を支配領域としていた葛城氏
(8)豊国を中心に半島南部から瀬戸内海のあちこちに拠点を持っていた蘇我氏(ヒッタイト)や中臣氏(エブス人)。蘇我氏や中臣氏は半島の拠点を失った後、東国に進出して力を蓄えた。
(9)南九州に蟠踞していた隼人や熊襲
(10)九州系の物部氏の元に糾合するとともに移住してきた扶余の王族に従って馬韓に勢力を伸ばしていた大伴氏をはじめとする九州の倭人達
(11)百済が列島に覇を広げていた時期に列島各地に定着した百済系の人達
(12)弁韓にあった東表国の拠点が百済や新羅に押されて失われた時に列島の各地に逃れて定着した東漢氏や西文氏などの伽耶系の人達
(13)高句麗が列島に覇を広げていた時期に列島各地に定着するとともに、比較的浅い時代には東国を中心に多くの人達が移住してきていた高句麗系の人達
さらには、山陰や北陸からはそれ以降も続々と、例の沿海州から日本海を経由してチュルク系の遊牧民が入ってくることになります。例えば、継体天皇は、そのようにして列島に侵入してきて、列島から半島の新羅に覇を広げたエフタルであり、聖徳太子は、経路こそ百済経由で異なっていますが、当時のユーラシア世界で名を知らぬ者のいない、鉄勒(テツロク)の英雄達頭(タルドゥ)だったと、小林恵子さんは緻密な文献学的論証を通して描き出しています。
今後はこの人達に順番に焦点を当てていくとともに、7~8世紀の日本国建国や平安王朝確立、藤原氏の正体、平氏や源氏の正体などが私の古代史研究のテーマとなって行きます。
この古代史研究はすべて、「『三人の天皇』を検証する」の下敷きとして行っています。
(1)丹波を中心に山陰や北陸、山背、近江、伊勢、尾張、相模、関東、熊野、阿波、吉備などを開拓した丹波系の物部氏
(2)北九州に拠点を持ち、九州の倭人達を統率していたが、河内や大和盆地に東遷して、丹波系の物部氏と共に邪馬臺国を統率した九州系の物部氏
(3)後の時代に百済から播磨や山背などに入り込んで、物部氏の大半を糾合した秦氏や賀茂氏
(4)丹波系の物部氏以前に山陰から北陸にかけて蟠踞していたミャオ族とチュルク系の製鉄遊牧民
(5)新羅や高句麗の丹波系倭人で後の源氏を含む新羅系秦氏
でした。
日本国建国以前の列島にはこの他に、次のような部族がいたと思われます。
(6)全国の山岳を中心に東国方面に疎らではあるが広く広がっていた幾つかの雑多な部族
(7)近畿の大和川や淀川、木津川、宇治川、桂川、鴨川、琵琶湖などの水系を支配領域としていた葛城氏
(8)豊国を中心に半島南部から瀬戸内海のあちこちに拠点を持っていた蘇我氏(ヒッタイト)や中臣氏(エブス人)。蘇我氏や中臣氏は半島の拠点を失った後、東国に進出して力を蓄えた。
(9)南九州に蟠踞していた隼人や熊襲
(10)九州系の物部氏の元に糾合するとともに移住してきた扶余の王族に従って馬韓に勢力を伸ばしていた大伴氏をはじめとする九州の倭人達
(11)百済が列島に覇を広げていた時期に列島各地に定着した百済系の人達
(12)弁韓にあった東表国の拠点が百済や新羅に押されて失われた時に列島の各地に逃れて定着した東漢氏や西文氏などの伽耶系の人達
(13)高句麗が列島に覇を広げていた時期に列島各地に定着するとともに、比較的浅い時代には東国を中心に多くの人達が移住してきていた高句麗系の人達
さらには、山陰や北陸からはそれ以降も続々と、例の沿海州から日本海を経由してチュルク系の遊牧民が入ってくることになります。例えば、継体天皇は、そのようにして列島に侵入してきて、列島から半島の新羅に覇を広げたエフタルであり、聖徳太子は、経路こそ百済経由で異なっていますが、当時のユーラシア世界で名を知らぬ者のいない、鉄勒(テツロク)の英雄達頭(タルドゥ)だったと、小林恵子さんは緻密な文献学的論証を通して描き出しています。
今後はこの人達に順番に焦点を当てていくとともに、7~8世紀の日本国建国や平安王朝確立、藤原氏の正体、平氏や源氏の正体などが私の古代史研究のテーマとなって行きます。
この古代史研究はすべて、「『三人の天皇』を検証する」の下敷きとして行っています。