物証や参考文献に拘り過ぎて「学問的には何も分からない」としか言えない学者は可哀想です。人間の自由な想像力は意外と確かなのです。司法ではそれを、心証と言って重んじる伝統があったそうです。最初は想像でも力のある想像は、情報をどんどん引き寄せます。広大な範囲から膨大な量の情報が集まって来ても、全体の構成が崩れず、連携が深みを増してくる想像は、信憑性が高いのです。
私は一切、メモを取りません。初めの段階で形として固定してしまうと、想像の発展が妨げられ、リアリティが獲得できなくなるからです。そもそも、思いついても暫くしたら消えるアイデアなど最初からリアリティがなかったはずなのだし、メモなどせずとも何故かいつまでも消えない、誰の見解に触れてもそれを飲み込んでしまうような勢いがある、そんなアイデアにのみ意味があるのです。そのようなアイデアの蓄積がない人が書くこともないのに無理に書く必要はないし、書くように運命づけられているならそのようなアイデアにも沢山恵まれるという仕組みにどうやら、なっているようです。
そして何よりも現場の空気。行ってその場で考えたことには力が宿りやすくなっているように感じます。
思い返せば5年程前、「こんな世の中にもうこれ以上生きていたくありません。自殺は罪と定められていますから決してしませんが、願わくば今すぐ私をこの世から召し上げてください」などと、自分のことで気恥ずかしいのですが、いつも神に祈っていました。そんな時、比叡山の山頂にあるガーデンミュージアムで、その時は「延暦寺は散々行ったし、線香臭いのはもういいよ」などと感じながら初めてふらりと入ったのですが、その時に、言葉では説明などとてもできないような強い衝動を受けて、山を降りるとそこからすぐに書店に行き、今まで手に取ることすらなかったような種類の書物を貪るように読み始め、それ以来、色んなことが分かってきたのでした。それまでの自分とは別人のような感じです。その後も元気を貰いに何度か訪れていたのですが、ついこの間ふと気がつくと、誰にも気づかれない物陰に古いお墓があります。何だろうと思って調べると、最澄さんのお墓でした。延暦寺にもあるのでしょうが何故か、遊園地の片隅にあるのです。最澄さんも秦氏とゆかりが深い。
また、秦氏のことが段々深く見え始めてきた頃に何気無くふと気づくと、自分が終の住処と思って購入したマンションの隣に、いつも通りがかりに目にしていた用水の取水口こそ一の井堰という名前の、秦氏が遠い昔に造った施設であるということを伝える石碑が立っているのでした。署名は林田という名前の、いつの時代かの府知事のものでした。これもまた秦氏です。人々の豊かさのために知恵を絞り、協力しあって汗を流し、大掛かりな事業を成し遂げて行く人達の息吹がまざまざと感じられました。秦氏と呼ばれる人達が邪悪な人達だったはずがないと私が考えるのは、この体験があるからです。
生きている人の霊魂も含めて、善なる霊魂のネットワークは紛れもなくそこに大きく広がって存在していると思います。人間存在がかくも奥深いことが感じ取れるからこそ、恐れる必要など全くないとも思えるのでしょう。天が自分に定めて与えてくれた道をひたすら歩きさえすれば、それでいいのだ。最近はこんなことを感じています。
私は一切、メモを取りません。初めの段階で形として固定してしまうと、想像の発展が妨げられ、リアリティが獲得できなくなるからです。そもそも、思いついても暫くしたら消えるアイデアなど最初からリアリティがなかったはずなのだし、メモなどせずとも何故かいつまでも消えない、誰の見解に触れてもそれを飲み込んでしまうような勢いがある、そんなアイデアにのみ意味があるのです。そのようなアイデアの蓄積がない人が書くこともないのに無理に書く必要はないし、書くように運命づけられているならそのようなアイデアにも沢山恵まれるという仕組みにどうやら、なっているようです。
そして何よりも現場の空気。行ってその場で考えたことには力が宿りやすくなっているように感じます。
思い返せば5年程前、「こんな世の中にもうこれ以上生きていたくありません。自殺は罪と定められていますから決してしませんが、願わくば今すぐ私をこの世から召し上げてください」などと、自分のことで気恥ずかしいのですが、いつも神に祈っていました。そんな時、比叡山の山頂にあるガーデンミュージアムで、その時は「延暦寺は散々行ったし、線香臭いのはもういいよ」などと感じながら初めてふらりと入ったのですが、その時に、言葉では説明などとてもできないような強い衝動を受けて、山を降りるとそこからすぐに書店に行き、今まで手に取ることすらなかったような種類の書物を貪るように読み始め、それ以来、色んなことが分かってきたのでした。それまでの自分とは別人のような感じです。その後も元気を貰いに何度か訪れていたのですが、ついこの間ふと気がつくと、誰にも気づかれない物陰に古いお墓があります。何だろうと思って調べると、最澄さんのお墓でした。延暦寺にもあるのでしょうが何故か、遊園地の片隅にあるのです。最澄さんも秦氏とゆかりが深い。
また、秦氏のことが段々深く見え始めてきた頃に何気無くふと気づくと、自分が終の住処と思って購入したマンションの隣に、いつも通りがかりに目にしていた用水の取水口こそ一の井堰という名前の、秦氏が遠い昔に造った施設であるということを伝える石碑が立っているのでした。署名は林田という名前の、いつの時代かの府知事のものでした。これもまた秦氏です。人々の豊かさのために知恵を絞り、協力しあって汗を流し、大掛かりな事業を成し遂げて行く人達の息吹がまざまざと感じられました。秦氏と呼ばれる人達が邪悪な人達だったはずがないと私が考えるのは、この体験があるからです。
生きている人の霊魂も含めて、善なる霊魂のネットワークは紛れもなくそこに大きく広がって存在していると思います。人間存在がかくも奥深いことが感じ取れるからこそ、恐れる必要など全くないとも思えるのでしょう。天が自分に定めて与えてくれた道をひたすら歩きさえすれば、それでいいのだ。最近はこんなことを感じています。