こどもの日です。
でも、肝心な「子ども」の人口は減る一方。
一番の原因はわかっています。「子どもを自由に産んで、育てられるような社会ではなくなっている」
育児に金がかかりすぎます。
かけずに育てようとして、何とかならないわけではない。でも、あまり大っぴらには言われないが、そうした場合、将来の選択肢が非常に狭められてしまう。
しかも、語弊を承知で述べると、猫も杓子も大学へ行く。そこまでにかかるお金も膨大。親の自由な時間は削られる。
うちの子は、理系の学部に進み、その学部ではなぜか慣例で大学院まで通うのが当たり前と言われ、けっこうな出費でした。
就職先では苦しみながらも頑張っているうちの子ですが、同じ学部の友達は大企業に就職したのに、研修期間が終わっても仕事がろくに与えられない。
社会勉強ということで全くの専門外の仕事から、という話はよく聞きますが、その子の場合は本当に仕事が来なかったみたいです。
要は、大企業で超人気のところで、優秀な人材はすでに飽和状態で、みんな仕事待ち状態だと。新人のための枠も全く残っていないのが現状という。
だから企業にとっては、大卒→「待ってくれ、まだ学べるだろう」で採用しない。大学院卒→「仕方ない。採用する。でも、仕事が与えられない」
と、決まりだから新人は取らなければならないのだが、内部は飽和状態で、事業拡張などの余裕もないという。
つまり、子どもたちは、就きたい会社があったとしても、会社には受け入れられる枠がもうなく、優秀なメンバーもそろってしまっていて、
中卒も、高卒も、大卒もいらないわけです。大学院で、もうこれ以上学ぶところがない、いわゆる「優秀」な人を採用はするが、彼らに待っている仕事も、まだ先になると。
…その、息子の友人は、結局1年で辞めてしまったそうです。なんだそりゃ?
若い人、人口が減っているから、社会的な需要も落ちる一方のようです。新種の企業はどんどんできていますが、どうもほとんどが電子系か投資系
なるほどそちら方面に強い人物にしか、まるで未来はないかのような。
普通に学校で学ぶだけで、受け入れてくれる環境はまだできていないと言えそうです。
みんながみんな、最低でも大学を卒業しないと未来のないような社会は、どのようにして作られたのか?
妻は、「規制緩和が行われた小泉政権時代でしょう」と言いました。私も同意見です。
あの頃、何の規制が緩和されていったか?いろいろありますが、代表的なものが、大学の設立に関する規制です。
あれによって、雨後の筍のように大学が増えました。大学の教授が増えました。彼らは何十歳になっても退官しません
一応定年はありますが、その後も別の大学での客員教授のような形でずっとお給料をいただいています。
学生は、その、「一人もやめずに膨らみ続ける教官たちに、増え続ける大学施設のために、年々膨らみ続ける学費を払い続けます。そしてようやく就職。その後は、先ほど私が述べたとおりです。
まあ、極端な例かもしれませんが。
昔のように若い世代の個性に合わせ、仕事につきやすい環境が作られていない。ちなみに私の両親、最終学歴は二人とも中学校です。
子どもに学費がかからず、そんなに苦労しなくてもそれなりに就職でき、経済的になんとか暮らしていけるような構造にならない限り、今後も子どもの人口が増えることはないでしょう
「坊や大きくならないで」なんて歌が50年以上昔にありましたが、まさにそういう時代を突っ走っているのが今の日本です。
でも、肝心な「子ども」の人口は減る一方。
一番の原因はわかっています。「子どもを自由に産んで、育てられるような社会ではなくなっている」
育児に金がかかりすぎます。
かけずに育てようとして、何とかならないわけではない。でも、あまり大っぴらには言われないが、そうした場合、将来の選択肢が非常に狭められてしまう。
しかも、語弊を承知で述べると、猫も杓子も大学へ行く。そこまでにかかるお金も膨大。親の自由な時間は削られる。
うちの子は、理系の学部に進み、その学部ではなぜか慣例で大学院まで通うのが当たり前と言われ、けっこうな出費でした。
就職先では苦しみながらも頑張っているうちの子ですが、同じ学部の友達は大企業に就職したのに、研修期間が終わっても仕事がろくに与えられない。
社会勉強ということで全くの専門外の仕事から、という話はよく聞きますが、その子の場合は本当に仕事が来なかったみたいです。
要は、大企業で超人気のところで、優秀な人材はすでに飽和状態で、みんな仕事待ち状態だと。新人のための枠も全く残っていないのが現状という。
だから企業にとっては、大卒→「待ってくれ、まだ学べるだろう」で採用しない。大学院卒→「仕方ない。採用する。でも、仕事が与えられない」
と、決まりだから新人は取らなければならないのだが、内部は飽和状態で、事業拡張などの余裕もないという。
つまり、子どもたちは、就きたい会社があったとしても、会社には受け入れられる枠がもうなく、優秀なメンバーもそろってしまっていて、
中卒も、高卒も、大卒もいらないわけです。大学院で、もうこれ以上学ぶところがない、いわゆる「優秀」な人を採用はするが、彼らに待っている仕事も、まだ先になると。
…その、息子の友人は、結局1年で辞めてしまったそうです。なんだそりゃ?
若い人、人口が減っているから、社会的な需要も落ちる一方のようです。新種の企業はどんどんできていますが、どうもほとんどが電子系か投資系
なるほどそちら方面に強い人物にしか、まるで未来はないかのような。
普通に学校で学ぶだけで、受け入れてくれる環境はまだできていないと言えそうです。
みんながみんな、最低でも大学を卒業しないと未来のないような社会は、どのようにして作られたのか?
妻は、「規制緩和が行われた小泉政権時代でしょう」と言いました。私も同意見です。
あの頃、何の規制が緩和されていったか?いろいろありますが、代表的なものが、大学の設立に関する規制です。
あれによって、雨後の筍のように大学が増えました。大学の教授が増えました。彼らは何十歳になっても退官しません
一応定年はありますが、その後も別の大学での客員教授のような形でずっとお給料をいただいています。
学生は、その、「一人もやめずに膨らみ続ける教官たちに、増え続ける大学施設のために、年々膨らみ続ける学費を払い続けます。そしてようやく就職。その後は、先ほど私が述べたとおりです。
まあ、極端な例かもしれませんが。
昔のように若い世代の個性に合わせ、仕事につきやすい環境が作られていない。ちなみに私の両親、最終学歴は二人とも中学校です。
子どもに学費がかからず、そんなに苦労しなくてもそれなりに就職でき、経済的になんとか暮らしていけるような構造にならない限り、今後も子どもの人口が増えることはないでしょう
「坊や大きくならないで」なんて歌が50年以上昔にありましたが、まさにそういう時代を突っ走っているのが今の日本です。
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