songbookの自己回顧録

「教えて!goo」で見つめてきた自分自身と、そこで伝えられなかったことを中心につづってきましたが、最近は自由なブログです

教育の専門家とやらはお気楽でいいですな 「8人に4リットルのジュースを分けると1人何リットル?小学6年生の約半数が間違えた理由」にもの申す

2022-12-27 21:26:09 | Weblog
全国学力テストというものがあります。
基本的な暗記や計算、言語事項だけでなく、様々な考える力、教科特有で獲得させたい力や価値感などを総合的に見て伸ばしていこうとする意図で毎年行われているものです。
大変厳重に管理されていて、実施する各学校でも慎重に扱わなければならなくて、いろんなマニュアルがある。
結果は地域ごとなどで公表されることが多く、平均点が低いと、「この地区の教育はどうなっているんだ?」と責められる、例のあれです。
まあ、「ゆとり」以来、日本人の真の学力が落ちてきていて世界に太刀打ちできなくなっているとやらで、躍起になっている文部科学省と現場
子どもたちは小学生にして、大学入試共通テストのようなテストの進め方を覚えていくわけです。

私も、問題をよく見ます。
大変だな、と毎回思います。小学生が単元の終わりごとにやっている、教材会社の出しているテストとは、まるでわけが違うからです。(そっちは、下手すりゃ15分もあればちょちょいと100点満点の答案ができてしまうようなやつです)
大変なわりには、高い得点をとっても誰からも褒めてもらえないような、すっきりしないテストなのです。

で、表題について。
このテスト(令和3年 6年生の問題)に、表題にあるような問題があったそうです。
「8人に、4リットルのジュースを等しく分けます。1人分は何リットルですか。求める式と答えを書きましょう。」


皆さん、いかがですか?

じっくり時間があれば、多くの人は、正解にたどり着けると思います。答えは「0.5または2分の1」となりますが、「2リットル」と解答した児童が36.0%、その他の間違いを含め約半数が誤答という結果となったとのことです。
うーむ…でも…と思っていると、この記事(どことは言いません)に意見を寄せた教育の専門家の方によると、

・もととなる「1リットル4本」のイメージができていない
・イメージをせず、「8人に、4リットル」の文字(数字)だけで判断し、計算しやすい「8÷4」の式を立て、1人分は「2リットル」と答えてしまう
・原因は、問題文に書かれている内容をイメージできない、イメージをしようとしないことと、そもそも式のもつ意味をしっかりと考える習慣が身に付いていない
・先に「答えを出すための技術的なやり方」や「公式を覚えること」を優先してきた教育に起因している



表題に書いた通りです。「教育の専門家とやらは、お気楽でいいですな!」
なにそれ??そんな分析や評論ならば、小学生でもできるじゃん。読んでてだんだん腹が立ってきて、いたたまれなくなったので、この記事を書き始めました。

少しでも教育の現場にいたことのある人間ならば、間違えた子が多かった理由のもう一つの側面をなぜ語ってくれないのだ??
これでは頑張ってテストに臨んだ子供たちが浮かばれない。自分が小学生だったら、
「確かに、その通りです。間違えた原因はそれだと思います。だけど」と、何ともやりきれないもやもやだけが残る。
で、「こりゃいかん」と躍起になった先生や親たちから叱られ、類似の問題をたたき込まれて、他の勉強に身が入らなくなり、の無限ループ

「専門家」様、どうしてもう一つの側面について触れてあげないのですか!?

①そんなこたわかってる!じゃ、あんた、あの時間であんだけの問題数こなしている中でこの問題出されて、そういうこと悠長に想像したり、考えたりしている余裕はあるのか?

冒頭に書いた通りです。このテストは問題数が多く、考えさせる問題が中心。多くの子どもは、「もう時間がないのに、まだこんなにも問題がある」の中でやっています。
その中で簡単そうな見た目の問題があれば、さっと済ませてしまいたくなる心理にもなるでしょう。
いわゆる「受験用の学習」に慣れている子であれば、ここで立ち止まって考え直すのでしょうが、それは受験のテクニックです。
算数の本質とは、必ずしも一致しません。脳も疲れるのです。

②これは「悪問」です。

問題文の文法として、皆さんは不自然さを感じませんでしたか?一応理論上は成立している文ですが、やっぱり通常ならば、「4リットルのジュースがあります。」で始まるはずです。
「8人に4リットルのジュースを分けると」落ち着いた状態で問題文を呼んだ私でも、この文章は2度見、3度見しました。明らかに引っ掛ける意図があり、単純な子を振るい落とそうとしているのです。
ただ残念なことに、算数の教科書にも、時々このような不自然な日本語による文章問題は散見されます。
まあもしかしたら、「算数独特の言い回しに慣れ、感覚をつかめ」とでも言いたいのかもしれませんが、それでも件の出題が意地の悪い文になっていることは明らかです。

この問題に不正解して、「ああそうだったかー!なるほどそういう風に考えればいいんだな!」なんて気分には、なれないと思います。
言い換えれば、この問題の不正解によって学ぶものは、あまりありません。こういうのを「悪問」というのです。
少なくとも、子どもを算数嫌いにはさせても、算数好きにする要素は全く含んでいない、質の悪い問題であるということ
なぜ「教育の専門家さんとやら」は、そういう側面に少しも触れようとしないのでしょうか?


私も学生時代、あまりできの良い生徒ではありませんでした。まだ共通一次試験の時代でありました。
大学受験のために共通一次試験を受け、思いのほか苦戦して自己採点でも悪い結果で、半泣きで帰宅しました。
テレビや新聞で講師の先生が、各教科の解答、解き方などを示していました。そして、口をそろえてこう言うのです。
「今回の試験も、例年通り、基本に乗っ取った問題ばかりです。きちんと基礎を学んでいれば、それほど苦労せずに解ける問題ばかりでしたな。」

自業自得なので仕方がなかったですが、私はこの言葉にずいぶん打ちのめされた思いをしたことを、今でもよく覚えています。
で、その後も見てみると、毎年、この先生方は、試験のあと、同じようなことを言っているのですよね。
ただし令和4年度は、「難しかった」とおっしゃっていましたが。泣いている受験生の皆さんを、テレビ越しでたくさん見ました。これはこれで、どうかとも思うのですが…彼らの3年間の勉強はなんだったのだろうってね。

話はそれましたが、でも今回はね、相手が小学生なんですよ。一生を左右する入試ならば、そんな甘いこと言っていられるか、っていうのも、少しはわかるのですが。
ちょっとは彼らの気持ちにも寄り添ってやってほしいな。
勉強嫌いにさせるための試験作ってどうするんだよ。追い打ちかけて「これだから何も考えずに数見ただけで式にしようとする安易な子が育つんだよ」なんて言わないでほしいのです。
受験テクニックの専門家と、教育の専門家は、違うのだと私は感じています。
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