songbookの自己回顧録

「教えて!goo」で見つめてきた自分自身と、そこで伝えられなかったことを中心につづってきましたが、最近は自由なブログです

心にスニーカーをはいて【五十路半ばの男が雑にカバーしました】

2020-08-12 03:36:49 | 音楽
心にスニーカーをはいて【五十路半ばの男が雑にカバーしました】


この曲は、4月頃、やたらに歌いたくなった曲でした。でも、いろいろ忙しくなって、こんなに遅くなってしまいました。
楽譜なし、適当な記憶でカラオケづくり、しかも全部シンセ手弾きでテンポもいい加減、歌声も合わせて3時間ぐらいで録ってしまったものです。いろいろ雑で毎度すみません。
「コロナ社会を生き抜く」「コロナとともに生きる」だそうです。私はいまだに「コロナ」という一言の名称にしてしまうことには抵抗があるのですが…だってコロナ型のウイルスって、以前から普通にいろいろあったじゃないですか。それまで「コロナ」という名前はそんなに嫌われる言葉ではなかったですし。 でもきりがないのでやめておきます。

その3月、4月頃、テレビでは「リモート出演」という言葉がやたらに出てきました。なんとも不自然な会話の「間」ができてしまって、いまだに全くなじめません。ご苦労はわかりますけどね。
動画配信サイトでは、(まあ以前からあったけど)別々の場所で演奏した音を同期させて合奏、合唱した動画がクローズアップされていました。あまりそちらに詳しくない出演者の人々が、「コロナとともに生きる世界、これでいきましょうよ」と、軽々しく言います。
「はあ?ふざけんじゃねえよ」が私の第一印象でした。(教育の「ロイロノート」使いこなす人には憧れますけどね。)
こういうのは、一形態としては可能性もあるし、楽しい。古くは小澤征爾さんが長野オリンピックの時に世界のオーケストラを衛星中継で結んで、時差を計算して同期演奏していたのを思い出します。
でもそれは、所詮スタジオでの多重録音のシステムと同じ。「素晴らしいサンプル」として味わうことはできますが、結局私たちはどこかで「生の演奏」「人が集い、息を合わせる演奏」も求めざるを得ない生き物なのです。
 もちろん今回私が録った音も多重録音。バーチャルです。バーチャルによる表現は楽しい。しかし、我々音楽の音を録る者は、はるか昔から、「本物」と「偽物」の間を行ったり来たりして、本当に良いものを求め続けてきたのです。どれだけバーチャル(リモート)が高いレベルのところへ行ったとしても、それは決して「生演奏」を否定するものではなく、何物にも代えがたい生のすばらしさは絶対に軽視してはならない。そんなことをいつも考えています。

さて、「心にスニーカーをはいて」作詞、作曲はさだまさしさん。歌っている白鳥座というグループは私が学生だった頃に発足したグループで、メンバーには佐田玲子さんもいます。
いい歌なんですよ。大好きでした。「かもめ」という歌もよかったなあ。
その頃、紅茶のティーバック等に「真空パック」という技術が普及してきたのです。真空だから全く酸化せず、製造したときと同じ味を楽しめる、というのが革新的で、大ヒットしました。でもきっとみんな、どこかで引っかかっていたと思うのです。それがこの詩
「幸せは欲しいけど 幸せに似たものはいらない」「真空パックの真心や インスタントの愛だなんて そんなものいらない あなたはあなたでいてほしい」 と、強く心を打つのです。
まあある意味、以前掲載した、「木綿のハンカチーフ理論」なのかもしれませんけどね。

でも、この「コロナと生きる時代」に、新しい「真空パック」が世の中にいっぱい出てくることでしょう。人と人とがその場に居合わせず、リモートで(おそらく近い将来)効率よくコミュニケーションや仕事をしていくことになるのでしょう。
じかに人が近寄ることに対して、私たちはどのような考え方をもっていくべきなのか、大きく問われています。効率の良いものばかりに進んでいくことに、どこかで待ったをかける心を、いつでも持っていないといけない。

「心にスニーカーをはいて」を聴きたくなるのです。
みんなで、もっと考えてほしくなるのです。
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波平さん~戦争を体験した人の思い

2020-08-08 15:32:02 | ライフ
よく取り上げる「サザエさん」話です
4コマ「サザエさん」には時々ハッとするような傑作が多く、中でも年齢を重ねるにつれ、加速度を付けて胸に迫ってくる作品があります。

子どものころに読んだ4コマで、もう手元にはないので詳しくはわかりませんでしたが、どうやら昭和38年8月15日、元の単行本では27巻に収録されている作品らしいです。
①波平さん 縁側でぞうきんを見て、「どこかで見たようなきれだなあ?」
②フネさん 「ああ、それ、あたしの防空頭巾だったの」
③縁側でビールを飲みながら遠く外を見る波平 「戦後十八年…」
④「感無量だ…」

小学校4年生ぐらいに読んだ時も何となく気になっていたマンガでしたが(私が読んだのはもう昭和50年代に入っていました) もちろんギャグでも何でもなかったから、意味が分からなかったということもあったのでしょうが
自分自身歳を重ねるごとに、この作品、涙を誘ってきます。

戦争の時代の象徴であり、お国からさんざん命令されて、竹やりレベルでしか身を守れないのに肌身離さず持っていた防空頭巾。
そんな「戦争用具」が、今では再利用され、ただの布となり、雑巾として活躍している
平和になったのだ。平和の時代を満喫できるようになったのだ。
私たちの必死だった18年間は間違っていなかったのだ と、当時とを比べて思いにふける波平さん
おそらくそれは長谷川町子さん本人の思いでもあり、当時の日本中の国民の思いでもあったのでしょう。
異論はあるでしょうが、世界を敵に回して争いを繰り広げていた日本が、今や、平和の国として、1年後には東京オリンピックを開こうとしているのです。

竹やりも、防空頭巾も、モンペも、ざつのうも、防空壕も電気のかさを覆う布も、
そんなものなくてもいい生活の、何とありがたいことか


その気持ちがひしひしと伝わってくるマンガです。

私も、ついに波平さんの年齢を超えてしまいました。読み始めたころはまだカツオの年齢でもなかったのに。
「もう二度とあんな時代はいやだ」その思いと、なんにもなくなってしまった戦後、たくましくも明るく生きるサザエさんたち、まさに「生きる戦後史」です。
若い世代の人たちにも、ぜひ読んでもらいたいと思います。
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