songbookの自己回顧録

「教えて!goo」で見つめてきた自分自身と、そこで伝えられなかったことを中心につづってきましたが、最近は自由なブログです

美しいものとは~finefinefine様へ8

2009-02-16 09:41:49 | Weblog
【超法規的措置】
おそらく長い「教えて!goo」の中でも、この質疑の記録ほど特別なところは、そうないと思われます。

一言でいえば、超法規的措置がいくつもとられていること。

ご友人さんが、finefinefine様名義で登場するのです。
いや、それ以前から、すでに登場していたのかもしれません。

少なくともこの質疑では、お礼欄のコメントが、finefinefine様ご本人がキーボードを叩いて入力したのではなく、ご友人様が彼女の言葉を聞きながら打ちこんでいたことがわかります。
病状を考えれば、それ以前にもそういうことが行われていたかもしれません。
それにしても、削除覚悟で、そういう舞台裏の緊迫を打ち明けたご友人さんの心中やいかに。しかし、削除はされませんでした。

この、№14のお礼、補足欄を最後に、橙色のバーは再び点灯することはありませんでした。

そしてこの質疑では、明らかに、回答としては成立しない書き込みが、いくつも削除されずに残っています。(後日ものですが、私のものもその一種でしょう)

さらに、病院のスタッフの方からの書き込みという、非常に異例な実況が描かれているという事態。また、それが削除されていないという事態。これをどう考えるか。

私は、№35でも述べたとおり、実は「教えて!goo」の管理者、スタッフが、「医師の一人」として動いてくださったのだということに気がつきました。

【インターネットの在り方】
この質疑の流れを、彼女が見られるようになったしたら、どの情報を残せば生き続けるに有効なのか。規約違反は残すべきではない。しかし、本当に事態は一刻を争っている。
「少しでも力になるのならば。」
そう考えていたのは、何も回答者や、それを見ていた一部ネットウォッチャーだけではなかった。管理者であるスタッフの皆さんの思いが、この質疑には反映されていたのです。私はこの配慮、計らいに、いたく感動しました。

書き込み、閲覧、削除、荒らし…とかくインターネットでの書き込み可能なサイトは、機械的に扱われるところがあり、私たちも「そういうものだ」と割り切って接しているものです。でも、このとき私はインターネットの中に、管理者という人間を見ました。管理者の人間性を感じ、このサイトを信頼しようという気持ちになったのです。

ネット、メールのデメリットが語られて久しい。使う人の心ひとつで、ネットやメールは恐ろしい凶器になります。インターネットにかかわるならば、どのような態度で臨むべきなのか。この質疑が、一つの答えを示してくれたように思います。

美しいものとは~finefinefine様へ7

2009-02-16 07:04:17 | Weblog
【そして134320へ】
今でも、本当に時折ではありますが、finefinefine様のことを知っていて話題にされる方を見かけることがあります。その際必ず引用されるのがこの質問

http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=134320
「癌の痛みに,モルヒネの使用を勧める理由を教えてください。」

です。

図らずも、彼女の絶筆となったこの質疑。今読んでも深く考えさせられ、心動かされるものがあります。

私は彼女の生前、この質疑には参加しませんでした。
№32のところで書いてあるとおり、この質問が出ていることは知っておりましたが、すでに私が彼女に(この質問を受けて)贈ってあげられる言葉はないと判断していたからです。質問内容は、少なくとも文面上は専門外のことばかり。それ以前にも彼女はいくつかの間口から質問を出しておられたので、別の質問に答えて、力になってやりたいと考えていたのです。

しかし、新しい質問はなかなか出されませんでした。彼女が誰かの質問に回答するといったアクションも見られませんでした。
当時は私も駆け出しの時期。ほかのさまざまな質問にも回答したかったし、私生活もあります。とりまぎれているうちに日々が流れ、ふと気になってこの質疑に戻ってきたとき、事態はすでに取り返しのつかないこととなっていたのです。

皆が悲嘆に暮れている病室に、おどけてひょうひょうとした表情で「見舞いにきたよーーー!」と飛び込んできた見舞客のような気持ちでした。
「お前、今までどこ行っててなにしとったんや。」と、みんなに睨まれているような。
どこに行っていて、何をしていたか、は、その間の私の回答履歴が、動かぬ証拠として残っています。別に毎日ふざけていたわけではなかったのですが、本物の一刻一秒を争っている緊迫の現場に、少なくとも私は、例の「バカの壁」を築いて「外回り」をしていたのです。

(このあたり、インターネットと個人のかかわり方ということで難しい問題があると思いますので、あまり深入りせずにおきます)

質問欄を覗いたとき、彼女はもうこの世の人ではありませんでした。
自分なりに言葉を選んで№32、№33を回答し、改めて回答を見直していきました。少し落ち着いてみると、いろんなことに気付かされたのです。

美しいものとは~finefinefine様へ6

2009-02-11 14:06:00 | Weblog
【2度目の沈黙と復帰】

http://oshiete1.goo.ne.jp/qa130885.html
痛みを抑える方法、「特急便で」教えてください。

同じ9月6日の投稿です。信じられますか?
しかもこの後彼女は、2度目の沈黙期に入ってしまいます。すなわち、集中治療、容体悪化、絶対安静状態になったということです。誰にもその意味がわかる「沈黙期」でした。

私はこの時、何もできませんでした。
一度回答して、とにかく祈るだけ。私は彼女のために、何かしてやれたのか。それは適切だったのか。そして彼女は何をすべきなのか。いろんな思いが交錯しました。

一方で私は、このサイトにのめりこみ始めたばかり。現金なものです。深刻になってばかりもいられない、と、この件とは何の関係のない質問にも答え続けていた時期です。不謹慎かとも思いましたが、私には私の生活もある。私は彼女への回答欄という形でしかかかわってあげることができないけれど、それが、せめてできる私の「できること」と判断したのです。

祈祷すればよいのか、行水すればよいのか、ネット活動を自粛すればよいのか。私は、「否」ととらえました。でも、ずっと彼女のことを考えておりました。ネットでの回答が、私なりの千羽鶴のつもりでした。

でも、彼女は意識のある時は「熟読して、お礼をしよう」とするのです。うれしいですが、「それでよいのか」という疑問もありました。事実、回答者の中にも、「finefinefine様、もうネットは休んだほうがいい」という趣旨の意見を書いている方もありました。しかしあの物腰の柔らかい彼女が、この件に関してだけは、かたくなに否定するのです。

「私の楽しみを奪われると困ります」

教えて!gooサイト管理者の方々は、この一言をどのように受け止められたことでしょう。非常に重みのある一言です。

9月10日、なんと彼女はまた復帰します。

ほかの回答者の方々と同様、私もあの橙色のバーに文字が見えた瞬間、涙がぽろぽろとあふれてきました。
そして、改めて考えさせられたのです。私が彼女のアクションに対してしてあげられることは、何か。

それは、私の答えられる分野のみに絞り、できるだけ少ない言葉で、でも私にできるすべての思いを彼女に与えること。それが、10日に書いた回答欄の言葉です。

当時すでに彼女は、普通に書いた文章では、もう判読不可能なほど、目までやられておりました。心ある方は、少しでも読めるようにと、1行おきに文章を書いておられました。この文字が読めない状態。今でも私は想像できません。体のほとんどの機能が働かなくなってきていたのでしょう。でもネットは残酷です。元気そうな文字が見えてしまうと、どうしてもまた、何か一言送りたくなってしまう。

しかし、結果として、それが私が彼女に贈った、最後の一言となってしまいました。

美しいものとは~finefinefine様へ5

2009-02-11 04:27:46 | Weblog
こんな大事なところで余談を…。

今回の論を進める後押しとなった宮嶋麻衣さん。うれしいブログ更新です。
どうやらテレビドラマゲスト出演のための日々でもあったらしい。
うれしい誤算、「杞憂」でした。またそのつながりについては後々書きます。

では、本題へ。

【転院の中でぶつかる現実】

http://oshiete1.goo.ne.jp/qa128456.html
前回の質疑の終了したころ、finefinefine様は転院なされたようです。
転院先の、隣のベッドにはもう一人の患者さんがおられました。その方の言動で、finefinefine様は困惑します。

・口癖は「もうすぐ死ぬのだから」
・音も気に障るので、音楽もかけられない。
・挨拶も交わせない、朝から化粧していると「あんた、死ぬまで化粧しているのか」と食ってかかる…

後ろ向きで、荒れ気味のお隣さんと、どうやっていこうかと相談してきました。

この質疑応答の中でfinefinefine様は、「私はそんなに前向きではありません。実際、ひとりで死ぬのがさびしくて怖い」と述べておられます。本人の意識の中で、それは間違いないのでしょう。しかし、多少体調の許す時に取っている彼女の行動や考え方は、私たちから見ればまことに神々しいほど、一本筋が通っているのです。人としてのありようを貫いているのですね。

この質問に答えながら、私は考えていました。
9分9厘の人は、たいていその、お隣さんのようになるはずだ。と。
お隣さん、決して意地悪な人でも、場の読めない人でもないと思うのです。病状から考えれば、ふつう、そうなるものだと思うのです。
痛みを叫ぶ、人や物に当たる、恨み事、愚痴を言う、絶望と無力感…
そしてfinefinefine様は客観的にみると、「そういう病状の人として」その部屋に移されたのではないでしょうか。

なのに、彼女は違ったのです。ここから、彼女の「生き延びるための執念の戦い」は、壮絶を極め、しかもリアルタイムで、私たちに永遠の課題を突きつけてきました。

【私が提供できるもの】
http://oshiete1.goo.ne.jp/qa130778.html
その後も彼女は、いくつかの質問をこのサイトにしてきたようです。残念ながら私はそれらのすべては網羅しておりません。おはずかしながら、上にあげた質疑も、かなり後になって知りました。

彼女は、すでに悟っていたはずです。自らあちらこちらで書いています。
もう長くはない、時間は限られている。
最悪のばあいでも、私が役に立てることはなにか。
と、立ち上げた質問だったのでしょう。

しかし、日付を見ると、この日は9月6日。すでに残された時間は、「本来ならば存在しない」と言ってよいほどの状況の中でこの質疑は書かれていたのです。

美しいものとは~finefinefine様へ4

2009-02-10 01:04:56 | Weblog
<沈黙の期間>
前回の
http://oshiete1.goo.ne.jp/qa125036.html
の回答期間中、私の恐れていたことの1回目が起こります。

沈黙の期間です。

少しずつ回答数が増えていき、健気にもfinefinefine様は、それぞれにお礼を述べていかれるのでした。
それを読むにつけ、私たちも少しずつ、彼女のものの考え方や状態などを知ることができたのです。

不思議といえば不思議でした。文面から考えれば、病状はどう考えてもあまりよろしくない。苦痛でのたうちまわる、いや、のたうちまわる体力をも残さないほどの痛み、苦しみの中。こんなサイトを読んで、文章など打ち込める状態とは考え難かったからです。

しかし、所詮生身の本人を見ていない自分など薄情なもので、どこかで「バカの壁」を築いてしまうのですね。そういうことには気づかぬふりで、次の展開を待っては、回答していこうとしていたのです。

そこに「沈黙」が訪れました。記録をたどると、おそらく8月28日から9月1日ぐらいまでの間、4,5日。

まったく「お礼」が途絶えたのです。
質問集を見たり、お礼欄を繰り返し見たり。なかなかfinefinefine様からのアクションは発見できませんでした。

いくら鈍い私にだって、何事が起っていたか、ある程度は想像がつきます。
非常に厳しい状態になっているのであろうと。
質問が出た当初、私は、自分の過去のことを語ったり、安っぽい慰みで力になれるとは思っていないから、途方に暮れている、ということを回答欄に書いていました。
すると彼女は、なんと、「過去のsongbookさんの身の上のことを思い出させてごめんなさい。」とレスしてきたのです。

そして、彼女は寝込んだのです。

私は全く面喰いました。畏れ入ってしまいました。敬服を超えて、浄化されてしまったような気持ちになりました。「なぜ?なぜ私があなたに慰められてしまうのだ?そんなに危ない体調の中で?」

数日待っても彼女のアクションがなく、いたたまれずにもう一度回答欄に書きこみました。それが№15の回答欄です。偽らざる心境をどうしても書きとめておきたかったのです。

こんな状態で、なぜ彼女はここまで前向きなのか。

自分の意識さえ失ってしまいそうな時に、なぜ彼女はほかの人の幸せを願い、実行に移せるのか。

そして9月の初め、彼女は帰ってきました。
ホッと胸をなでおろす、とはあのことを言うのだと思います。とりあえずは乗り切った。良かった。そして私はこの喜びに浸りながら、彼女が今後もこのサイトで何らかのアクションを起こしたならば、できる限りこたえてあげよう。そうすれば私も何かうれしい…と考えてしまったのです。

これはある意味正解だったかもしれませんが、同時にこれは独りよがりな、独善と、相手の真の状態を察することのできていない傲慢であった可能性もあったのです。このころの私はまだ有頂天で、周りが見えていなかったのではないかと、今になって思うところもあるのです。

少し体調が回復された彼女に、次の苦しみが待ち受けていました。