songbookの自己回顧録

「教えて!goo」で見つめてきた自分自身と、そこで伝えられなかったことを中心につづってきましたが、最近は自由なブログです

日本人観光客のマナーの良さは、教育によるものです。昔からのものではありません

2021-08-20 02:20:15 | ライフ
こぶしにかかるもや ウグイスは 定林寺湖を里と喜ぶ
この丘に立ち 望むは 恵那の山並みか ここ少年自然の家
友よ手をつなぎ 高らかに歌おう 若人の歌を
この丘は緑 わがふるさとよ

夕べにわたる雁 思い出は 営火場の庭にあふれる
この丘に立ち 仰ぐは 世紀の星空か ここ少年自然の家
友よ輪を作り 和やかに語ろう 若人の夢を
この丘はひかり わがふるさとよ


私の生まれ育った地元の子たちが必ず研修宿泊をしていた 岐阜県立 土岐少年自然の歌の歌詞です。
閉業、閉鎖されて10年以上。建物は解体され、跡地は、隣の定林寺湖を残して、まったくの荒れ放題状態のようです。もちろん立ち入り禁止です。
そりゃ1975年に建てて以来一度も大規模改築をすることなく、ごまかしごまかし運営していた貧乏施設でしたから仕方がないのですが
県の予算の関係なのか、採算が合わず閉鎖となったと聞いております。2010年のことだそうです。
多くの利用者の貴重なものが保管、何より当時まで利用していた子どもたちのかけがえのない思い出が詰まっていた場所だっただけに、まったくもって残念です。

上記の「自然の家の歌」、作詞はわかりません。作曲は小西義道さん(だったと思う)。
歌は、当時発足してまだ数年目の土岐少年少女合唱団が歌った録音を流していました。(私の先輩が、「私、それ録音の時歌ってた」と自慢していました)
ただいかんせん昔のことで、録音状態があまりよろしくなく、(私に言わせれば編曲も今一つで)今一つ好評でなかったのか、「朝の集いでは必ずこの歌を歌いましょう」と放送で流していたのは、昭和50年代までだったのではないかと思います。
非常に良い歌だったと思うのですが、上記のような理由、児童生徒がここを使う機会が生涯で数回しかないであろうことなどから、忘れ去られようとしていることも残念です。


さて、本題はそこではなく。

ネット、動画サイトなどを見ていると、「日本人のすばらしさ」がよく目につきます。
特に、観光客。ホテルなどにおける日本人のふるまい、マナーはピカ1だそうです。
・部屋で大騒ぎや大暴れをして迷惑をかけない
・理不尽な要求をホテルに求めず、うそやごまかしがない
・施設を汚さない。部屋をきれいにしてから退室する
・食事のマナーがよく、トイレも衛生的
・時間に正確で、危険な行為がない
など。「日本人」と言うだけで、信用してもらえたり、優遇してもらえたりするとのことです。もちろん、街中、施設、乗り物などにおいてもいろいろ言われます。

だから、ややもすると、私たちは日本人だから、自然と教育されて、そのような伝統を持っているのであると勘違いしがちなのですが

違います。日本がこのような面で世界から評価されるようになったのは、私は少なくともバブル崩壊以後だと認識しております。
割と最近のことなのです。

じゃあ、その「素晴らしい日本人」を教えてきた世代は?と考えると、冒頭にあげた「自然の家」が全国に普及し始めたころの少年少女が大人になった時代と、ぴたりと一致するのです。

私がお世話になった土岐少年自然の家には、入るとすぐに「来た時よりも美しく」というスローガンが出迎えてくれました。
ベッドメイキング講習があって、できない人はやり直しをさせられ(子ども心に、講師の先生は怖いと思っていたけど、学校の先生上がりの人が多かったのでは?)
飯盒炊さんや食事は、片付けまでをきちんと行い、食器の汚れは許されない。
宿泊部屋は楽しみの時間だったが、消灯時刻過ぎには見回りがあり、あまり表だって騒ぐことはできず、翌日朝には掃除と部屋の整頓があり、
部屋が入室以前の状態よりも乱雑だったらやはりやり直しとなり、どこか怖い人にびくびくしながら、それでも活動を楽しんでいました。

後々聞くと、ほかの自然の家でも似たり寄ったりだったと聞きます。
小中学校で宿泊の機会なんてめったにないから、ここで教わったことや経験は強烈な印象として心に残ります。
いま世界中で褒められている日本人は、多くがこういう経験をしながら大人になっているのです。教育による賜物です。

現在、多くの自然の家が消滅しています。
学校では、安全管理の面その他で、宿泊を伴う行事はどんどん減りつつあります。今回のコロナ渦は、この傾向に拍車をかけるような予感がしています。
修学旅行も消えていくかもしれません。
ちなみに私自身の小中学校時代は、海浜学校、自然の家合宿複数回、修学旅行、キャンプなど、昔であったにもかかわらず結構宿泊研修がありました。
どの宿泊でも大なり小なり、いろんなマナーを教わってきました。

これからの世代が若干心配です。そういったことを教わらずに育つ世代が出てくるようになるかもしれません。
今後は国民レベルでの「親の教育」が問われる時代になっていくのでしょう。
学校としては、宿泊が減れば、教育上の負担は軽くなるので教員サイドで見れば、楽になるのです。しかし、本当にこれでいいのだろうか、と思うところもあります。


それ以前の時代や、バブルの頃は、ひどかったと覚えています。もちろん紳士的な面もあったからよい土台はあったのでしょうが。
サラリーマン(男)の風俗ツアーのようなものが半ば公然と行われていたとも聞きます。金があるからと海外でも爆買い、買春、横柄なふるまいは、ずいぶんひんしゅくを買っていたと思われます。
昔の日本の公共機関のトイレは、それは汚いものでした。
日本は失敗を繰り返し、恥をかき、教育を受けて、ようやく今やっと、海外からも一定の評価をいただけるようになったにすぎません。
ありがたいことではありますが、うっかりしていればあっという間に崩壊し、再び世界の信用を失う可能性もはらんでいる

そのことは肝に銘じて、次の世代に伝えていきたいものです。
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オリンピックが終わって考える

2021-08-14 15:41:15 | Weblog
私は、十字架を背負って生きていかなくてはならないのかもしれない、と考えております。
前々回にも記したとおり、オリンピック、やると決まったのだから精いっぱい選手も応援して、見ました。すごく感激もしました。
これに関わったすさまじい人たちの思いの一端も知ることができ、学び、感動は今も新しい情報として入ってきます。
世界中のいろんな思い、情勢も知ることができました。考えさせられました。
もしも書くことができれば、紹介したいものがいくつもあります。

でも、やはり、決行したことによるしわ寄せ、後始末、負の遺産も明らかになりつつあるわけで、これが、「事前にわかっていた」私の背負うべき十字架なのです。
たとえは違いますが、先の大戦で戦争が終わった後、「だから私は最初から戦争は止めろと言っていたんだ」とか、
「みんなの責任だから、誰も責められるものではない。仕方がなかったのだ」とか、「私は正義を貫いたのだ。人に危険人物扱いされようと、私は戦争に反対していたというのに。」とか
そういうたぐいの人間にはなりたくありません。
どれだけ叫んでいても、決行を止めることはできなかったわけですから、また、そこまで命がけではなかったのですから、やることが決まった時点で、十字架を背負いつつ、頑張る人にエールを送る以外に手はないと思ったのです。

さて、私はどんな十字架を背負ったのか。
1.一番心配された、「感染症の拡大について」。確かに現在、予想された通りの感染の広がりがあり、危険です。しかし、この拡がりと、オリンピック開催との因果関係については、立証が難しい。
個人的には、現在猛烈に広がっている「デルタ株」よりも、さらに強力な「ラムダ株」の原因が、オリンピックにあるような、嫌な予感がしております。
いやな予感ほどよく当たるのが、今回のコロナウイルスなのが、さらに嫌なのですけどね。

2.続いて、お金の問題
観客が入らなかったことをはじめとする、数多くの損失を、私たち日本や、東京が負うということは、わかっていましたよね。
これがじわじわと、我々を苦しめていくであろうことは容易に想像できます。
コロナ対策を含め、現在の政府は、まるで元寇が去った後の鎌倉幕府になってしまうのではないか、という状況です。
なぜ、IOCは損失がないのでしょう?手を差し伸べてくれないのでしょうか?
アメリカのテレビ局は、なんだか、思ったほどの視聴率を稼げなかったとのことですが、私に言わせれば、ざまあみろでございます。

3.ほら見ろ暑いじゃないか IOCの正体を拡散せよ
前回にも触れたとおり、これについては日本側の責任もかなりあることが分かったので恥ずかしい限りで、申し訳ない。
しかし、こういっちゃなんだが、IOCだって知らないはずはなかったと思いますよ。日本の7,8月の不快指数。特に湿度。
「ほかの大会だって暑かった」「アスリートならばそのぐらい乗り越えられて当然」という意見もありましたが笑止千万
日本には、秋という、スポーツには最も良いパフォーマンスができる季節があり、その時期にアスリートを招けば、気持ちよく過ごしてもらえるし、
何よりも最高のパフォーマンスができる。
何度も触れますが、これも、アメリカのテレビ局の都合で勝手に決められた、「絶対のおきて」によって、時期をずらせなかったこと
早期に日本人の多くがこの鉄のおきてを知っていたら、東京誘致にそれほど積極的にはなれなかったはずです。
私たちがすべきは、このたわけたおきてがアメリカの視聴率のわがままで決められているということを世界中に知らしめること
IOCは、アスリートや開催地ファーストなどでは、決してない団体であり、金もうけ至上主義、資本を持っている機関の犬である、ということを知らしめることなのです。

若い世代には嘲笑されますが、我々年配の世代にとって、再び東京にオリンピックを呼ぶことは、悲願でありました。1964年の大会だって一筋縄ではいかない多くの苦難を抱えながらの開催だったとは聞いていますが、
それでも、開催できたことによる国民の喜び、国にもたらされた恩恵、オリンピック後のの日本の元気と国の成長は、すさまじいものがあったのです。
オリンピックって、すごいんだ。ある程度以上の年代の人たちが、共通でもっている感情です。って、私はそこよりは下の世代なんですけどね。伝わってくるんですもん。その思い。

しかし、今回のオリンピックが終わって(すみません、パラリンピックはまだではありますが)、国民が再びそのような思いになることは、考えられません。

時節柄不謹慎だからと、「復興五輪」は前面に押し出せなかった?
日本はあの震災の時、世界中からありがたい支援をいただきました。完全な復興には遠いとしても、このオリンピックで、ことあるごとに感謝の意を発信すればよかったじゃないですか。
復興を「誇る」のではなく、復興への「感謝」を前面に出していけばよかったのです。決して格好つける必要はない。

4.図らずも今回の東京オリンピックの特徴を瞬時にあぶりだしてしまったパリの映像
日本のメダリストたちがコメントをする際、口をそろえて「まず、この大会を開催させていただいた多くの関係者の皆さんへのご理解ご協力に感謝いたします」から始まるコメント
心の美しさに頭が下がりました。しかし、意地悪な言い方をすれば、これが、勝利を手放しで喜べない今回のオリンピックの状況を端的に表していたともいえます。

このコロナ禍は、世界中今まで経験したことのない状況です。閉会式で次回開催地:パリのパイロット映像が流れました。
凱旋門で、エッフェル塔で。街のみんなが気軽に足を運べるようなところがオリンピックの競技の会場になる。
私にはこの映像が、すごく魅力的に見えました。そしてその原因がすぐにわかりました。
「開放されているんだ」街に溶け込んだ、開かれた会場。なんて魅力的なのだろう。そしてこれが、パリが提示する、(悪意はないのでしょうが)東京へのアンチテーゼとして
見事なコントラストをなしていたのです。東京は、「in」。パリは、「out」。
そう、東京オリンピックは、一言でまとめれば、「閉鎖空間の中のオリンピック」でした。もちろん意図したものではありませんでしたが。

5.思いもよらぬところで騒がれた、IOCの無力さ
ベラルーシ陸上のティマノフスカヤ選手が、ポーランドに亡命したことはニュースでもよく取り上げられました。
代表チームの運営に疑問を持っていることを発信したところ、強制帰国を命じられた、ということで身の危険を感じ、亡命へ。
ティマノフスカヤ選手は、IOCの介入を要求し、現在、調査中とのことです。ベラルーシはここ数年、独裁の横暴さがとみに顕著になってきていると報じられております。

独裁のために選手の人権が危険にさらされるとしたら、オリンピック精神に最も外れたものとなります。
IOCは調査を開始すると言っておりますが、確かにここには政治、内政不干渉、などややこしい側面が立ちはだかることでしょう。
それでも、こういった選手を救うためにこそ、IOCは存在するのだと思います。
国の事情なんかより、一人のアスリートを尊重せよ
これが進まなかったら、いよいよIOCも、形だけの存在ということになってしまいます。


いくつか話は飛びましたが、感動をたくさんいただいたものの、いろんな疑問が残り、こんなことでは、日本の都市は今後一切、オリンピックを招致しようとは考えないでしょう。
アスリートを否定するつもりは毛頭ないですが、常に後味の悪い思いが付きまとったオリンピックでした。
以前私は、「今のIOCは、ノルマントン号だ。エルトゥールル号であるべきなのだ」と述べてきました。

IOCが、謙虚さをもち、金のある資本元の圧力に屈せず、アスリートの健康を考えて開催時期を柔軟に考え、開催地が感染症で困っているのを見たら少しは身銭を切ってワクチン供給や、その費用を捻出して寄付したり、
観客が入れない状態で財政がひっ迫するほどの赤字になりそうだと知ったのならば、同じく身銭を切るなり、オリンピック基金か何かで世界中から援助を求めるなど、開催地とともに力を合わせて困難を乗り越えてくれようとする姿勢を見せてくれていたら、私たちもこの団体を支持し、「いつか、街が元気になったらまた東京へ」ぐらい信頼もしたかもしれません。
でも今のIOCには、裏切られたという思いしかありません。「自分たちの団体さえ赤字にならなければいい」と公言しているのです。

恩は、何年たっても忘れることはありません。しかし、その逆もまたしかり、なのです。
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はぐれそうな天使(五十路の男ですみません)

2021-08-09 15:20:46 | 音楽
はぐれそうな天使(五十路の男ですみません)

もうこういう声で歌う年齢でもないのですが、病こうじて、です。

病といえば、岡村さん、非常に厳しい闘病生活から復帰して、今年はステージにも立ったと聞きました。
素晴らしい!私などこの前の人間ドックでまたまた悪いところが発覚して、食事をはじめ節制しなさいと言われて落ち込んでいる昨今です。

この曲を聴いたのは、そういうこととは関係なく、本当に偶然だったのですが…
先日、数十年ぶりにこの曲、岡村孝子さんの「はぐれそうな天使」を聴きました。
1986年発売ということです。(来生たかお、えつこコンビの曲)この頃から日本の音楽のサウンドは、(今から考えると)どんどん音がぺちゃんこにつぶれて、
のっぺりと広がって奥行きがなくなり、やせた音になるか、リバーブの音だけがベシャーっとはいつくばっているかのような
重たいけど薄っぺらな、貧弱な音になっていった時代です。
ところがこの曲を改めて聴いてびっくりしました。その時代の音のいやらしいところがない。
80年代前半までの、アナログでしか出せないと思われた繊細かつ厚み、奥行き、キラキラが同居した宝石箱のようなサウンドなのです。
もちろん曲も最高です。

そうだよ、この音だよ、と懐かしくもいい気持ちになりました。
こういう音だったから、この時代のみんなはオーディオもでっかいのを買い、でっかいスピーカーと最高の音質で、
部屋で大音量で聴こうとしていたんだよ。中には単なる爆音が好きな奴もいて、嫌われたのだろうけど
こういう音だったから、みんなはすごいオーディオを欲しいと思っていたんだ。

今、ほとんどだれもが大きなオーディオを欲しがらないのには様々な理由があるでしょう。
イヤホンが高音質になったから必要ない、が1位でしょうが、近所に迷惑がかけられない、
小さいスピーカーでも十分大きい音が出せる、システムコンポをスマホ1台でできてしまう云々。

しかし私は「はぐれそうな天使」(岡村さんバージョン)を聴いてわかりました
現在の曲って、大きなスピーカーで聴きたいようなサウンドじゃないんだ、音量さえ大きければよいので、イヤホンや小型スピーカーで済ませてしまうんだ。

年寄りくさい偉そうなこと言いますが、あの時代の最高のサウンドを聴かずに育った世代の皆さんのことを、私はひどく不幸なんじゃないかと思ってしまいます。
うまく言い表せませんが、いい音って、人を幸せにします。
で、どうしても歌いたくなってしまったという次第でございます。こちらはお耳汚しですみません。
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謝罪とともに~共犯だったんだ、私たち~東京オリンピック

2021-08-04 16:21:45 | Weblog

もう、一部ではだいぶ言われていることを後追いで書くので気が引けますが。

今までさんざん、IOCの悪口を書いてきました。すべてはアメリカの放送局の言いなりであると。
しかし、なぜ日本のマスコミが動かなかったのか。金のあるアメリカの放送局や、IOCの犬だから、と思っておりました。
それを否定するつもりはありません。
しかし、日本も、とんでもない弱みを握られていたんですね。

今回の写真は、2013年、東京が二オリンピックを招致するときに作って配布した資料の16ページ目に書いてあるものです。
私がこの記述を紹介してもらったのは、オリンピックが開幕して2日後のことでした。

非常にショックでした。 知らないことは、やっぱり罪です。 私も罪人の一人です。ただただ申し訳ないし、情けなくも腹立たしいです。
「開催時期は、(IOC理事会がその他の日程に合意した場合を除き)7月後半から8月の中で選択するものとする。東京が予定する開催時期と、その根拠について述べてください」
の問いに対し、
「この時期の天候は晴れが多く、且つ温暖であるため、アスリートが最高の状態でパフォーマンスを発揮できる理想的な気候である。(後略)」

と答えているという…

おそらく、招致に少しでも有利になるように、はったりをかましたわけでしょう。「できれば10月に」とでも書いたものならば、候補から外れることはわかりきっていたのでしょう。
知らなかった。
なんという大ウソ。 これは詐欺です。
アスリートのことなんか何にも考えていなかったのは、私たちだったのではないか

予想通り、多くのアスリートが、現在、憤っています。「なんでこんなに暑い時にやるんだ?」

「いやいや、アトランタも北京も暑かったじゃないか」「鍛えればなんてことない」「こんな時でも工事現場で外で働く人たち云々、甘えるな」と反論する人もいますが
やはりスポーツをするのに(特にこういうレベルのスポーツ)適しているとは到底思えません。狂気じみています。
理想的な気候だ、なんて思う人、いますか?あのアトランタの暑さの悲劇を見てきていたから、てっきり今回の東京は、それを教訓に10月ごろにやるものだとばかり思っていました。

どう言い訳しようと、日本は、不誠実な嘘で、アスリートを裏切ったのです。このことは、閉幕後、きちんと責任を追及しなければなりません。
そして「無知の罪」を犯した私(だけではないと思いますが)も、責任を感じなければなりません。
日本人が一番嫌う、不誠実な嘘をついたのですから。

しかし、そうはいってもやはりこの開催時期に関して、金を持っているアメリカの放送局の言いなりになっていることは、世界中が知るべきだという考えに変わりはありませんし、
IOCの、やはりアスリートファーストになっていない考え方、放送局への犬ぶりも間違いのないことです。
もう二度と、日本はオリンピックを呼ぶべきではない。

コロナの心配の付きまとうこういう時期
こんな中でも、スタッフの皆さん、選手の皆さん、ボランティアの皆さんなどが最大の努力をして、感動の絶えないオリンピックを展開してくれていることには、全く頭が下がります。
前回書かせてもらった通り、できるだけ存分に応援させていただいております。素晴らしいアスリートのパフォーマンスを見ることができて、幸せです。

この期になってまだ会場外で「五輪をやめろ」のシュプレヒコールを上げている人たち
いろんな立場の方がいます。お気持ちお察しします。
それどころじゃない方、今いっぱいいらっしゃいますもんね。

でも、今、このパフォーマンスは、誰にとってもマイナスでしかない。
もしかして感染者が大爆発を起こしたら、ロックダウンでスケジュール変更もあるかもしれませんが
通じない方法では、やるべきではないです。もう遅い、と前回私は述べました。

楽観論と言われるかもしれませんが、今は医療スタッフの見解を信じ、せめて大会中は精一杯応援したいです。
その後、改めて考えなおしていきたいですね。そんな余裕もないほど感染症で追い詰められないことを、今はただ祈りながら。
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