songbookの自己回顧録

「教えて!goo」で見つめてきた自分自身と、そこで伝えられなかったことを中心につづってきましたが、最近は自由なブログです

私もほとんど知らなくてすみませんでした SDGs の考え方

2022-07-30 16:36:09 | ライフ
なんか…

にっぽんって、そろそろこういうのに何か言わなきゃいけない立場なんじゃないですか??

SDGsって、環境問題、ジェンダー、貧困、ぐらいのことを何とかしよう、程度のものかな?と思っていました
そうしたら…すさまじいですね、この中身。ちょっとネットで見ただけで、これでもか!!というほどの膨大な指標

「国連持続可能な開発サミット」が言い出しっぺだそうです。
「17の目標」と「169のターゲット(具体目標)」

私が一番気になったのは、最初に書かれている言葉です

2015年から2030年までの長期的な開発の指針で、「誰一人取り残さない」持続可能で多様性と包摂性のある社会の実現を目指しています。そのために2030年を達成期限として定められたのがSDGsで「17の目標」と「169のターゲット(具体目標)」で構成されています。

くらくらっ………っと、めまいがきました
何だこのデジャブ?
二つ思い当たったのです。一つは、うちの娘が昔習っていた、楽器屋さんの音楽コースのことです。

「子供のピアノの先生、とても優しくて子供も気に入っているようなのですが」https://oshiete.goo.ne.jp/qa/6251445.html

懐かしい 12年も昔の質問回答です。
このコース(j専と言えば、わかる人にはわかる)リンク先の回答にもある通り、

この会社には、昔から、保護者からいろんな要望が寄せられてきました。
「ピアノが上手になるだけでなく、和音も教えるべき。」
「それなら、カデンツも身につけさせるべきだ」
「調性ぐらいわかる耳を育てないといけないでしょ。」
「モチーフとその展開がわかるようにしないと音楽の魅力に迫れるわけがない」
「どうしてクラシック一辺倒なんだ?さまざまな音楽をこなしてこそ本来の音楽教育だろう?」

どれもそれなりにもっともで、それらを全部、全部、ぜーんぶ詰め込んで「ほら、これで文句はないでしょ?」にしたのが、このコースなのだと私は解釈しました

という考え方。「全部やればいいんでしょ?」の結果、ごく一部の優秀な子以外、誰もが消化不良になってしまうようなものを提供しています。

もう一つ思い出したのが、20年近く前だったかな??の、学習指導要領改訂
時代は「ゆとり」の真っ最中。その時のうたい文句が
「だれ一人取り残さない、すべての子がすべて理解できる授業を」
だったのです(細かい言葉は違っていますが、まあ、そういうことです)

…もうね、本当にめまいのするようなデジャブですよ
あの頃から思っていました。 「それ、特別支援学級(知的)の児童や、グレーゾーンでもがいている子にも、平気で言えるの??」

理想は素晴らしい。ごもっとも。研究指定校を設置して実行させれば、そりゃ「それなりの成果が出た」とは言いますよ。
それに近いことができる指導力のある先生が優秀なことも分かります。明治図書の「○○は誰にでもできる 法則化運動」も立派ですし、成果もありました。

でも現実、そんなに物事がうまくできるはずないじゃないですか 失敗した実践は一切紹介されませんしね
…で、ゆとりが見直されている今、教育界はだいぶ違う方向性のことを、知らん顔して進めています。


SDGs。よくまとめ上げ、整頓したものだと思います。よく網羅したものだと思います。
とりあえずゴールは8年後。
それなりに成果はその時発表されるでしょう

でも、みんな、とっくに気付いているはずです これのうさん臭さ
あまりにも広すぎる森羅万象っぷりに、何をどうすればいいか途方に暮れてしまう
「できることからやればいいんです」って。本当にいいんですか?と疑いたくなるこの広大さ
ずいぶん達成感のない開発目標のように感じられます。
当然2030年には、「この目標設定で本当に良かったのか?」と疑問も投げかけられ、また新しいプロジェクトが世界中で行われるのでしょう。
いままで愛知万博をきっかけに始めていた「3つのR」とか「モッタイナイ」はどこへ行ってしまったのか?
アイドリングストップとは何だったのか?
電力不足と言っているのに電気自動車?太陽光のパネルを作ってお金も受けている国はどこなの?

SDGsは立派な考え方だけど、そう簡単に若い世代に丸投げして、「ほら、取り組め」と言い捨てられるようなものではないように私は思ってしまうのですが、いかがでしょう?
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捕足します その宗教の現在についてを問うわけではありません

2022-07-11 03:24:52 | マスコミ関係
先ほど投稿した内容に対し、特定の団体、個人に失礼な、または不勉強な記述がある可能性はあります。
それが甚だしいと考えられる場合は、お詫びとともに削除いたします。

ただ先程、東スポより、世界平和統一聖殿日本本部(略称・日本サンクチュアリ協会)からの声明文が届いたとのことで
その内容を読みました。
なるほど、我々の憶測は、彼らにとっては単なる誹謗中傷で、根も葉もないこと……??


しかし、私の思いは、「否」でございます。
現在はどうであれ、あの時代、いわゆる統一教会と呼ばれる宗教団体がどんなことをしていたか
日本人ならば、知らない者はいません。たとえ現在がどうであったとしても、です。

現在の日本サンクチュアリ協会の活動に対して批判をするつもりはありませんし、不当に貶めるようなことを書いたと解釈されるとすれば、申し訳ないことです。
今回の犯人の供述が本当に根も葉もないことであれば、申し訳ないですが改めて謝罪させていただき、記事を削除いたします。

もう一つの可能性として読んだ情報としては、「安倍元首相たちは、あの宗教団体とのつながりを持つことで、他からは得られない海外の情報を内密に得ることができていた」説。
これこそ根も葉もないことでありながら、こちらのほうが信ぴょう性を感じてしまいます。
何故安倍元首相があの宗教団体とつながり続けていたかは謎ですし、それ自体が事実無根だとするならば撤回いたしますが(そうは思えない)

今回の犯人の母親が、元統一教会によってひどい目にあっていたという話は、ほとんどの日本人にとって「さもありなん」なんですよね
マスコミはそのことさえ、全力を挙げて真偽を確かめようとしなかったわけです。

やはりそんな簡単に引き下がれない話題です。
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最大の悪手の可能性 統一教会の名を出すタイミング

2022-07-10 20:34:51 | マスコミ関係
以前、安倍元総理のことをロシア関係で書いていたら、その矢先、こんなショッキングな事件が起きてしまいました。
ご冥福をお祈りいたします。

容疑者の動機はすぐに報じられました。「特定の宗教に安倍氏が影響を与えていたと思われたので」
「自分の母はそこに入信してしまって以来家庭が崩壊して恨みが募っていた」 等

宗教団体が統一教会であることは、赤旗がかつて報じていたこと、N党などが叫んでいて話題になったことなどから、明らかなのでしょう
ただ私はよく知らなかったのですけどね

問題は、マスコミはそれをつかんでいるはずなのに、この2日間、徹底してその宗教団体名を公表していないことです
日本国中が思っているはずです「その宗教団体ってどこだよ」
そしてネットで検索するといとも簡単にその宗教団体が出てくるので、今度は、「なぜ報じないんだよ!!??」

マスコミは黙って、この、「7月10日」が終わることを、ひたすら耐えているようです

これは、マスコミによる国民への裏切り行為、政治的な癒着行為と言われても仕方ありません

私と同じく、多くの国民は、安倍元首相が統一教会とつながっていることを知りませんでした。知っているとしても、それは、何らかで義理のようなつながりがあって
形式的に顔を出しているのであろう、と思っているはずです

しかし、今後予想されることとして、情報が明らかになるにつれ、安倍氏は結構な金額をこの宗教団体に寄付していたり、
統一教会の広報誌に写真を乗せ、原稿を寄稿していたり、など、けっこうな広告塔となってくることが知れ渡るのでしょう
いくら岸信介の時代からのお付き合いとはいえ、単なる「お義理」で顔を合わせているだけ、とは思えないふしが出てくると思われます
実際にはどうなのかはわかりませんよ。安倍さん本人はそれほど積極的にはなれないけれど、しがらみで続いていたのかもしれません

なんにせよ、つながりを持っていたことは国民にはっきりと認知される。そうなったとき、困るのはどこか?
自民党、安倍さんを信頼している人々が、選挙直前になって混乱してしまうのではないか?
場合によっては、自民党に投票しようとしていた人たちを、別の党へ流してしまうのではないか?

この事件によって、または宗教名を出すことで、投票の結果が変わってしまった場合、マスコミは責任をとれるのか?




…と、ある政治的圧力をかけている存在があったとしたら、いかがでしょう???

しかし

それに屈してならないのが、マスコミなのではないですか?社会の木鐸なんでしょう?

各テレビ局、新聞会社の社長さんたち。今こそ、自分の会社の、ジャーナリスト精神を発揮するべき時だったはずなのです。責任を持ちなさい!
何かの誤報があったとしても、早く知らせるべき事実があるはずです。

私は以前の投稿でも書いたように、安倍政権については、評価できるところ、問題、課題となるところ、両方あったと思っています。
今回の事件では、悲しいことではありますが、問題点が浮かび上がったと言わざるを得ません。
亡くなった偉人に対し、批判を浴びせるのは不謹慎ではあるでしょう。ですがマスコミの皆さん、今こそ
「それはそれ、これはこれ」と報じるべきだったのではないでしょうか?
そして、それは、7月10日、投票日の終わりを待っていてはいけなかったはずです。すさまじい恥です。
あなた方は何と癒着しているのですか? 

オウム真理教の時は、確実でなかった時から教団名を早々に公表していたくせに。どこが違うというのでしょう

マスコミ各社の社長さんたちの愚行につき、私は激しく抗議いたします。軽蔑します。何がジャーナリストなのか?
もうこの投稿は、本日以外に投稿できないことですので、文章の推敲もせず、取り急ぎしたためさせていただきました
失望しております
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