songbookの自己回顧録

「教えて!goo」で見つめてきた自分自身と、そこで伝えられなかったことを中心につづってきましたが、最近は自由なブログです

新指導要領:何考えてんだ道徳?

2008-02-17 03:32:03 | ライフ
またまたお久しぶり。
新指導要領の概要が発表されました。

いろいろ思うことはあるのですが、特に気になるのは、「道徳教育の充実」。
道徳観の欠如や人間性の貧弱さが指摘され、心の教育が必要なことは、万人みな承知のこと。教育によって子どもたちの道徳性が向上することを願うのは、どの教師にとっても同じことです。

で、文科省は、どのような教育を望んでいるのか?
本音のところでは、「教科にしたい」と言っている。(今回は見送られたが)
「こころのノート」悪くはないよ。けっこうよく考えてつくってある。
でも、現場の道徳の9割9部以上の実際は、いまだに「資料のお話」を見聞きしたり、読んだりして、資料中の主人公の内面に迫っていこうとするものばかりだ。

私も教育に携わってけっこうな年月が経つが、いまだに全く納得できないのが、この「道徳の授業。」一度たりとも、あの「資料読み型」の道徳で、ああ、これはいい、と思ったことがない。子どもたちにとっては、中には印象的で、考えさせられる資料もあっただろう。でも、授業を「仕組む」側としてはどうなのか。

教師は、ひとつの資料で道徳の1時間を行うために、実に膨大な準備をします。私も若い頃は、疑問に感じながらも、「そういうものなのか」と考えて一生懸命やって見ました。しかし今になっても、あの「授業の準備」ほど、不毛に近いものはなかったのではないかと思えるのです。

準備とは何か。「この資料ならば、どんな子が、どんなことを言ってきそうか。それらをどうからめさせ、ねらっている価値観に触れさせていくか、または深めていくか。黒板にはどのようなことを書いて構造化していくか」…教職経験のない人にはわかりづらいと思いますが、こんなことを、ああでもない、こうでもないと悩みぬくのです。教育の世界では、常識中の常識です。

でも私には、これが耐えられない。
出たとこ勝負で、どこが悪いのだ。
道徳の授業を、ひとつの「型」に当てはめようとする教育界の常識の、なんと無意味なことか。この間違いだらけ(と吠えているのは私だけのような気もするが)の道徳について、時間があればもう少し詳しく書いて見たいと思っています。…どうかな?