songbookの自己回顧録

「教えて!goo」で見つめてきた自分自身と、そこで伝えられなかったことを中心につづってきましたが、最近は自由なブログです

それではみかちぃが戻ってこなかったのは?4  邪推ですからこの辺までに

2013-07-25 22:25:30 | Weblog
 <頂点から、どん底まで>
 どこかで書いたような覚えもあるのですが、チームB内のくすぶりは、2008年からあったのだと思います。
 それでもチーム全体は昇り調子で勢いがついていたので、多少のことは目をつぶりながら、みんな一丸となって進んでいたのでしょう。

 明けて2009年、皮肉にもみかちぃが休養宣言をしてすぐ、チームの頂点がやってきます。リクエストアワーです。
てもでもは3位、「初日」は1位という結果に、一人前のチームと認められたチームBは感激の涙にあふれました。いまだに伝わるAKB史上指折りの美談であり、AX2009は、おそらくリクエストアワーで最も成功したステージとして語られていくと思われます。

 チームBとしても、頂点。
 しかし、直後にどん底が訪れました。前年からの菊地さん解雇、みかちぃ休業、松岡さん卒業(予告されていたことではあったが)、そして何よりもショックだったのが早乙女さんの降格という前代未聞のできごと。それらにより、B3rd「パジャマドライブ」公演は無事に千秋楽を迎えることができるのかさえ危ぶまれるような台所事情となり、折しも冬場、インフルエンザによって欠員ができ、16人そろわず、なんとkから秋元才加さんに入ってもらって公演をしのいだことも。
 チーム内の人間関係も、精神状態も、相当ボロボロだったのではないかと思われます。みかちぃが、その渦中に巻き込まれた一人だったことは否定できません。幸いこのあとB4thが始まり、チームも心機一転、状況も好転したと思われますが、この一連の出来事が、1年後の「組閣」につながったとみて間違いないでしょう。

 そして、この間に、アンダーで入っていたメンバーが、続々活躍の場を広げます。内田さん、小森さん、亜美菜さん、北原さん、倉持さん…

 B4th用の録音までしておきながら、みかちぃは後輩たちの活躍を見守るようにして、ついにAKBに戻ることはありませんでした。



では、いろいろ邪推されること

基本的に私の結論としては、「よくも悪しくも、佐伯美香という人は、一般常識人としての価値観を捨て去り切れない人だった」という説を持っています

①後輩を押しのけて戻れるのか
 
 みかちぃ休養中に、どんどん前述の後輩たちがアンダーとして入り、人気を博していきました。B4thでは、初めから、後輩がポジションに入っていました。後輩(研究生たち)が、正規メンバーとしてチームBに入ろうとしていました。
 そこに自分がのこのこと戻ればどうなるのか。後々のつぶやきなどから、みかちぃは、心から後輩たちの活躍を望んでいたことがうかがえます。
 出る杭を打ってまで、自分が居座る気持ちにはなれなかったのかもしれません。


②ストーカー説
 これもよく取りざたされましたが、これは全く分かりません。でも、それに準じたことがあったとしても、不思議ではありません。曲がりなりにもAKBのアイドルなのですから。しかし、これはどのメンバーにも、現在進行形でありうることです。これ、一般人だったら、とても耐えられません。


③お嬢様説

 モデルをやりたい、帝国劇場の舞台に立ちたい、という夢を語り、劇場では、なぜか「節約キャラ」として、無駄遣いをしない生活についてよく語っていたみかちぃでしたが、ツイッターを見る限り、ずいぶんと恵まれた生活を送っているような印象を受けます。もしかしたら、かなり裕福な環境で?とも思ってしまいます。
 だとすれば、みかちぃには、夢は追いかけつつも、帰る場所はいくらでもあるわけで…


④やっぱり大変だった
 2009年7月に卒業宣言をしたみかちぃは、公演終了後、コメントを残しています。そこでは、それ以前の07年、08年夏の劇場公演の思い出に触れていて、「大きいところでのコンサートも思い出にあるけど、毎日3回夏休みに公演をやっていたここ(AKB劇場)での公演が、すごい私には思い出で…」と話す合いの手に、隣にいた仲谷さんが、「つらかったよね」と、思わず、本当は口にしてはいけないと思われるみかちぃの気持ちを代弁してしまっている場面がありました。

相当辛かったのだろうと思います。

復帰して、もう一度この公演を毎日やる生活に戻れるのか、それによって、本当に夢はかないそうなのか
それは、あまりにも酷な自問自答だったと思われます。「それでも、私にはここしかない」という子たちは、戻ってきていますが…


④タレント性
 AKB+10という番組で後輩の指原さんにも突っ込まれていますが、どうもみかちぃという人は、バラエティーなどにおけるトークスキルはそれほど高くなく、下手をすれば放送事故にもなりかねない、まあ今でいえば「ぽんこつ」風の天然さがあったようです。これで、今の島崎さんのような地位を獲得してしまえば魅力の一つとして扱ってもらえますが、まあ、そちら方面の才能では、特別に秀でているわけでもなく、本当に、歌唱力以外は普通のお姉さん、という言葉がふさわしい人だったのではないかと思われます(在籍時)。こういうキャラの人が、今のAKBにも、一人や二人ぐらいいてもいいと思うのですけどね。


④歌唱力への不安
 手前味噌な話ですが、私がみかちぃの歌声を聴いて「工藤静香の再来、いや、それをも凌ぐ」と感じたのは本当の話で、まさかオーナーの秋元康氏が同じようなことを感じていたなどとは、全く知りませんでした。でもそれは同時に、彼女の歌声を聴いた多くの人が、そういう感想を持つ、ということの証明でもありましょう。
 そんなわけで、ずいぶん彼女を評価してきました。きっと、彼女に接する相当多くの人が、そういう評価をしてきたと思います。
 でも、それが彼女自身を追い詰めているのだとしたら。

 その可能性は、結構高いと思います。
 彼女は確かに歌が魅力的です。しかし、トークなどを聞いていると、声が裏返りやすかったり、割れやすかったりしています。

 ということは、基本的にあまり丈夫な声帯ではないのかもしれません。
 毎日だったり、長時間だったりすると、思うように声が出せない、いわゆる、「声帯が弱い」のかもしれません。そうなると、理想とする歌い方をいつも実現できるとは限りません。

 彼女が憧れるのは、ステージで生で聴かせるミュージカルなどで歌う歌い手さん、洋楽の歌手たちです。そういう人たちと比べると、コンプレックスを抱いたって不思議ではありません。

 しかし、少しでも彼女を知っている人たちは、みかちぃの歌声を絶賛しているわけです。もちろん私もその一人。

そんなギャップに苦しんでいるかもしれません。


 卒業後、真相には触れないみかちぃです。いろんなことにチャレンジしたり、前向きな生き方が垣間見られる半面、その当時から今に至るまでのトラウマや失望感がいかに深いものであったかをうかがわせる書き込みに出会うこともあります。
 実際、言葉にはできないことがいっぱいあったのだと思います。


一時期私はゆきりんこと柏木さんの動向を中心にAKBの動きをネットでおっていた時期がありましたが、本当に、普通の人間の感覚を持っていたら、とても勤まる仕事ではないな、と思いました。エベレストに登山していて、帰り道に同行していた仲間が力尽きて凍死したら、その屍をふんずけながら下山して、無事に登頂したことを喜ぶ、ぐらいのことが日常茶飯事で行われている世界です。そんな中で毎日ニコニコと仕事をしているわけです。


本当に邪推ではありますが、私は、みかちぃが復帰しない要因を、以上のようなものだと考えております。

それではみかちぃが戻ってこなかったのは?3   まゆゆの解説がないとわからないので長い

2013-07-24 00:28:27 | Weblog
<早乙女さんたちをめぐる、チームBの人間関係が取りざたされた件について>

みかちぃを調べていくうち、必ずぶち当たるのが、このまことしやかな噂です。ご本人たちに、それぞれ失礼極まりない話です。
もちろん事実はわかりません。ここで私が邪推を書きますのでごったがえさないかを心配しつつ(そんな影響力はないだろうから勝手に書かせていただく)


※よく言われた俗説
 みかちぃの脚の状態が悪い時に、まゆゆはふざけてみかちぃのその脚をしつこく攻撃するようなことをステージでやっていた
 早乙女さんたちが、ある時指摘したのだが、まゆゆは悪びれる様子もなく、それを機に、チームB内ではまゆゆたちと、早乙女さんたちとの対立が顕著になった
 特に「推されている」まゆゆ側の態度は誰にも止められず、一方早乙女さんは異例の降格、みかちぃ休業(卒業へ)と明暗は分かれ、チームの人間関係は崩壊のような状態になっていた
 …とする説。




私が一番ナーバスになるところが、渡辺麻友さんとの関係です。

麻友さんという人は、非常に特別な娘さんだな、といつも思います。
圧倒的なアイドルのルックスと、プロポーション、子猫みたいな声と、非常に高い音感、才能
アイドルを目指す人が欲しいと思っているものを全て持っているような子です。
とはいっても、お高く留まっているわけではなくて、大変な努力家で、確かに努力できる能力も含めて「完璧」という言葉がふさわしい娘です。

「風のバイオリン」「麻友のために」などという曲をもらってしまうほど、秋元康氏が「この娘こそアイドル中のアイドル。誰も文句は言えまい。」と言っているような扱いをされて、誰ひとり、みじんも反論できないほどのものを持っていると、私も思います。

問題は性格です。こちらも非常に個性的。
よく少女漫画に出てくるような、「かわいくて、悪い性格」ではありません。しかし、とにかく個性的で、わかりにくい。
アニメ、宝塚などが大好きなインドア派で、ヲタクと言ってもよい。トップ願望はかなり強く、いつも一番でいたい。共通の話題が作りにくく、盛り上がる「ツボ」がほかの人たちと微妙にずれている。
本人が面白いと思って盛り上がっている様子も、ほかの人からすると、「???」と思われることも多い。頭は非常によく、回転も速いので、矢継ぎ早に、本人なりの面白いことを言ったりやったりするのだが、めったについてこられる人はいない。そう、基本的に麻友という子は、面白いことが大好きな子だと思います。しかし、ついてこられる人はめったにいない。

ところが、奇跡的に、それができるすごい人物がいまして、これが柏木由紀さん。彼女の対応力こそ、天才的です。
彼女がいたからこそ、麻友さんはこのグループの中でつぶされずに、才能を発揮することができたのだと信じて疑いません。もし柏木さんがいなかったら、ほぼ間違いなく麻友さんは孤立していたと思われます。(いわゆる、空気の読めない子と言われそうな)麻友さんもバカじゃありませんから、受け入れてもらっていないと感じれば、あまり伸び伸びと行動することはしません。しかしすべてを受け止めてくれる柏木さんと一緒にいることで、どんどん素のままの自分をさらけ出せるようになったのだと思われます。



さて。



お読みいただければ想像していただけると思いますが、渡辺麻友という子は、一歩間違えば、男からは最高にもてて、女からは最高に嫌われるという、絵にかいたような典型になる可能性を非常に大きく抱えています。

ここに、4期みかちぃが入ってきました、

「てもでも」では、大好きなゆきりんの隣に入ってきました。

ところで、麻友さんはチームB旗揚げの次の日に、足を負傷し、大事なステージにしばらく立てなかったという苦い経験と、それを乗り越えて、苦しみながらも舞台を支え続けたという実績があります。

みかちぃは、棚障害に見舞われました。見かけではわかりにくい障害です。


麻友さんの心境やいかに。まだ13歳の麻友さんと、すでに高校生のみかちぃです。苦しい思いをしてチームBを作り上げてきた中学生の麻友さんの隣で、後から入ってきて、大好きなゆきりんの隣で歌っている年上の後輩が、「足が痛い」と言っています。


ですから、上に上げた俗説が非常に現実味を帯びて、「これが真実だ」と広まっていったのでしょう。思いっきり説得力があります。



実際のところ、この俗説の多くの部分はフィクションでしょう。
しかし、確かに。

公私にわたり、みかちぃと麻友さんとの間に、交流の跡を私は見たことがありません。
「渡り廊下走り隊が好き」と公言するみかちぃですが、麻友さんの話題を出したことはありません。チームBの番組「AKB+10」でも、まゆゆ、みかちぃのからみは確認できませんでした。

それこそ邪推ですが、みかちぃには、麻友さんのようなタイプの子が、理解できなかったのではないかと思います。接し方がわからない。
おそらく、嫌いではない。しかし、近寄り方がわからない。



2009年8月、みかちぃの卒業ステージのてもでもの場面途中で、チームBのみんなが花束を渡す場面があります。
その時のメンバーの涙が、普通ではない。私には、「どうしてこんなことになってしまったんだろう」と嘆いている涙にさえ見えます。

でも、心のどこかで、つまらない俗説など放っておいて、みかちぃと麻友さんとの間に、温かい心の交流があってくれるとうれしいな、と思います。
今年度見られたリクエストアワーの「てもでも」で、ついにまゆゆがみかちぃポジで歌いました。
私には、あれが、麻友さんからみかちぃへの心のメッセージのように思えてならないのです。


さて、みかちぃ卒業への勘繰りは、もう少しだけ続きます。

それではみかちぃが戻ってこなかったのは?2

2013-07-23 06:57:57 | マスコミ関係
 <戻ってきたメンバーもいる>
 
 有名なところでは、一時解雇までされながら復帰し、努力が認められて人気が回復してきた菊地あやかさんのような人もいます。
 学業のためにいったん脱退したのち、再び研究生から始めて上がってきた鈴木紫帆里さんのような人もいます。
 現在チームBキャプテンの梅田彩佳さんに至っては、記憶に違いがなければ、2年にも至ってけがの治療に専念し、現在の活躍です。


 みかちぃのけがは、2011年にはほぼ回復しているとみてよいでしょう。

 重症だったとは思いますが、本人の意思によっては、違う展開の可能性もあったということです。
 しかし彼女は、2009年7月、きっぱりと「卒業」を宣言することで、AKBグループへの残留の可能性を自ら断ち切りました。



ファンにとっての大きな謎はそこです。彼女の実力、可能性からすれば、復帰のための休養を延ばす、という選択肢を取ると思った人は多かったはずです。
運営からも、期待されていたはずの彼女が、なぜきっぱりとやめたのか。


そこに、憶測やあることないこと含め、いろんな噂が飛び交いました。妙に真実味もあったので、まことしやかに語られたものもあります。
それでは、それぞれの仮説と、私の憶測を述べます。

それではみかちぃが戻ってこなかったのは?

2013-07-21 21:14:36 | マスコミ関係
 ここからは、今まで以上に無責任な論となりますので、
あくまでも一つの考え方として読み流してください。


みかちぃのAKB卒業については、後追いの私たちからしても微妙な謎が残りますし、おそらくリアル体験の方々からすれば、もっと謎だったことでしょう。


2008年中盤以降、みかちぃの膝は長く悲鳴を上げ続け、おなじみAX2009ではいすに座っての歌、同じく2009年4月26日のNHKホールでの「てもでも」でも、いすに座って歌っていました。
この間3か月。

まあ、はっきり言って、3か月間では、踊って歌うレベルまでの回復はなかったのだと判断されます。
診断名は「棚障害」とのことでしたが、棚障害の最善の治療法は、激しい運動をしないこと。2か月ほど穏やかな生活をしていれば、回復するもののようです。
1月にみかちぃが休養宣言した時も、きっと運営は、「棚障害」に関するその情報から、2,3か月で復帰できるものとみていたのではないでしょうか。
しかし、4月になっても思わしい回復は見られず。実は、手術をしなければならないぐらいの重い状態だったのではないか、とも推察されます。


その間にも、「AKB+10」という、チームBのための番組があり、そこのコーナーで出演はしていました。
ツイッターによると、B4thの楽曲用の録音もしていたそうです。


休養中にB3rd「パジャマドライブ」は千秋楽を迎え、その、録音していたB4th「アイドルの夜明け」がもう始動していました。
みかちぃポジには、アンダーのメンバー(後のじゃんけん女王、内田さんが主だったかな?)が入り、みかちぃは、休養から半年の間に復帰のめどを立てなければなりませんでした。


2009年7月の記録によると、やはりみかちぃはひざの回復が思ったほど順調にいかず、それ以外の体調不良が相次いだとのことです。


そして、ついに卒業を決意した、という経緯です。


しかし…と、勘ぐってしまいます。
どこか、釈然としない…

では、続けます。