songbookの自己回顧録

「教えて!goo」で見つめてきた自分自身と、そこで伝えられなかったことを中心につづってきましたが、最近は自由なブログです

粉雪【いい歳して歌ってみた】

2013-10-20 18:30:42 | 音楽

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子どもは「主役」ではありません

2013-10-20 04:40:54 | ライフ
どうも言葉が独り歩きを始めて数十年
学校では、「子どもが主役」だ、とか、「子どもが主役になる授業を」とか。


で、その結果、どうなったのでしょう?

まあ、よい結果もあったと思いますが、弊害も出ています。

子どもは、主役になるための勉強をしなければいけないし、主役になるべき時もたくさんあります。
でも、基本的に、学校で子供は、主役になってはいけないのです。

昔は、子ども自身も教師も親も、ごく自然な常識としてそういうことは十分わかっていた。
ところが最近、そんな大前提というべき基盤が危ういと感じています。

・いやなことは、しない。
・したいと思ったことだけをする。


やくそくごとを平気で破ったり、言うことを聞かなかったり、ひどい時には授業に参加しなかったり、嫌いな食べ物には手も付けずに「食えるか、こんなもの」と威張ってみたり


学校とは、「自分を主役にしてはいけないところ」
これが大前提です。なぜ誰もそういわないのでしょう?

人の言うことを聞かないことには、学習のがの字もできません。
子どもは帝王のようなお得意様ではないのです。あ、ちなみにこんなことわざがありました。「子どもの人生を壊すにはどうするか。簡単なことだ。その子の言うことを全部聞いてやればいい。」

いろんな立場の子がいますから、ケアも配慮も必要です。しかし、学校である以上、子どもが最初に学ばなければならないことは前述の通りで、これをさせられないような親は、子どもだけを学校にやってはいけない。親同伴で、「主役ではない子供」にさせなければならない。


「はい。」「ありがとう。」「ごめんなさい。」から始めればよい。
最近、本当にそんなことを思います。


長谷川町子先生の自叙伝が私の座右の銘です。
認知症がひどくなって、ほとんどの記憶が薄れた町子さんのご母堂様に、町子さんは、「人生で一番大切なこととはなんですか?」と尋ねました。
すでにご母堂様はその人が自分の娘であるということがわからなくなっておりましたが、
「はい。それは、謙遜でございます。」と答えられたというのです。


学校給食に向かって、ずいぶん傲慢なクソガキをよく見受けるようになりました。
「これはいらない。残す。」
そんなに、用意してくださった食べ物に向かって威張ったことが言えるような者に、給食を食べる資格はない。
苦手なメニューに対しても努力をする。それが、学びの根本。


まあ、取り留めもないことを思ったまま綴りました。
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