songbookの自己回顧録

「教えて!goo」で見つめてきた自分自身と、そこで伝えられなかったことを中心につづってきましたが、最近は自由なブログです

だれかが風の中で(歌ってみました)

2020-03-30 23:17:31 | 音楽
だれかが風の中で(歌ってみました)


そんなわけで、少しだけ声が戻ってきたので、最近やたらと歌いたくなっていたこの曲をアップしました。

だいぶ以前のことですが、私が「教えて!goo」に投稿し始めたころの、
また、このブログをはじめようとした本当のきっかけともなったfinrfinefine様とのかかわりの中で(以前にだいぶ語りましたのでリンクしておきます)
ずっと頭の中に流れていたのがこの曲でした。

最近、やたらとこれが歌いたくなって、頭の中にこびりついていたのです。

よく考えたら、最近はコロナ騒ぎの真っただ中 苦しむ方々のことを思うことも多く、
また何の偶然か、これを録音していた頃と、本日のニュース、志村けんさんが亡くなった時刻が一致しておりました

無念だったことと思います。ご冥福をお祈りいたします
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新朝ドラ「エール」楽しみと文句と

2020-03-30 00:02:50 | 音楽
古関裕而さん

私は「両親の」懐メロをよく聴いて育ちました
古関裕而さんの曲も、もちろんいくつも聴いてきました。数々の校歌、行進曲、「長崎の鐘」、「イヨマンテの夜」
そしてかつてアップした「憧れの郵便馬車」、「高原列車はいく」…もう枚挙にいとまがありません。

古賀政男さんが国民栄誉賞を受賞したときの父の言葉が忘れられません
「古賀政男もすごいが、国民栄誉、という名前がふさわしいのは古関裕而だろうが。なぜ彼がもらわないんだ」
古関さんが作り続けてきた曲は、まさに日本への「エール」にふさわしい、内面からエネルギーがふつふつとわいてくるような曲であふれています。

ちなみに国民栄誉賞の声が実際に上がったのは死後すぐのことだそうで、ご子息正裕さんらは、「死後受け取るというのはどうか」と、辞退されたそうです。
軍歌もたくさん作っていらっしゃいました。軍歌こそ、ある意味古関さんの才能が一番発揮されたジャンルだったかもしれません
しかし、ご本人はどのような思いで作っていたのか?「長崎の鐘」を聴くと、私は古関さんの本当の思いがどこにあったのか、わかるような気がします。
自分の音楽が軍政に悪用されるとは。しかし政治に関係なく、古関さんの音楽は、音楽として輝いているのです。

さあ、今日から始まる朝ドラ「エール」
古関さんの名が、今の世代の人たちに少しでも広まり(私より上の世代で知らない人はいないとは思うのですけどね)、
彼の曲が次から次へとテレビで流れてくるかと思うと今から楽しみで仕方がありません



とても気がかりなことがありました。「あの時代の声で歌ってくれるのか?」
藤山一郎、伊藤久雄、岡本敦郎
あの声で歌ってもらわないと、曲の輝きは発揮されない

で、先日予告編を見ました。
演じる俳優さんたち自身が歌われるそうで、みなさん、すばらしい歌唱力であることはわかりました。

でもなあ、でも

私に言わせれば、それは、みんな、現在の価値観で語る「上手い歌」でしかないんだよな…
予告を見た限り、残念ながら私の望んだ歌声ではありませんでした。

なんで?なんで?
ああいう発声、そんなに難しくないよ
それとも現在のスタッフが若くて、あの時代の歌声に価値を見出していないの?

あの声で歌っていただかないと、全く意味がないのに…
何とかならないか?と望んでいる今日この頃です。手前味噌で、この時もあまり調子のよい声ではないですが、
私でもこの程度は歌えますよってことで、5年前の録音をもう一度引っ張ってきました。


あこがれの郵便馬車【いい歳して歌い直し】
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延期(故・高田渡さんへの敬愛をこめて)

2020-03-24 02:59:20 | 音楽
延期(故・高田渡さんへの敬愛をこめて)


…まあ、今のご時世、こんなことやっていると不謹慎としか思われないのでしょうけどね。

高田渡さん。私と同じ岐阜県生まれの方ですが、いろいろあって、あまり岐阜県時代のことは語りたくなさそうだったお伺いしております。
独特の歌い方が、フォークギターに非常に合っていて、いい味を出しておられました。
この元ネタ「値上げ」は、私が学生時代、この高田さんをリスペクトしていらっしゃる方(アマチュア)のライブで、初めて聞きました。
30年以上前の話です。すごく面白かった、という印象でした。

私のイメージの中で、日本のフォークイコール高田渡、という印象があります。「生活の柄」など、あの時代のフォークが求めていた世界観を全て表した完璧な1曲だと思っております。



50年たっても、上に立つお方々は、全く同じことしか言っていないんだ、ということを痛感させられ、歌わずにはいられませんでした。
私、先月の初めにひどい風邪をひきまして、猛烈に喉をつぶしてしまいました。
2か月近くたっても完治はしておりません。年齢も年齢だし、もしかしたら…と、とても悲観的になっているところもあります、が、歌いました。
この原曲「値上げ」は高田さんの詞ではないのですが、実に見事に世をうがった良いスパイス、しかも重苦しくなく、押しつけがましくない。
若い世代にぜひ知ってもらいたい曲です。
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人がどれだけ批判しようが、偉人中の偉人、神様だよ 白鵬関は

2020-03-23 00:17:07 | Weblog
正直、感動の場所でした。大相撲春場所

【八角理事長の涙】
これだけの世界規模コロナ騒ぎの中、ぎりぎりまで「やるのか、やらないのか」の決断を迫られる。
未知のウイルスの脅威に、未来が見えないのは誰しもが同じ。やって大丈夫なのかどうか、誰にも分らない。
その中で、日本中の責任を負わされ、「やる」を決行した理事長。万一の事態になった時、辞任どころの責任では済まないことも分かっていたでしょう。後世にわたり、世界規模での犯罪者にされる可能性だってあったのです。

開催にあたり、理事長は放送を通したあいさつで、「相撲は神事」

「古来力士の四股は邪悪なものを土の下に押し込む力があると言われてきました。また横綱の土俵入りは五穀豊穣と世の中の平安を祈願するために行われてきました。」
「こういった大相撲の持つ力が、日本はもちろん、世界中の方々に勇気や感動を与え、世の中に平安を呼び戻すことができるよう」
この初日のあいさつですでに私は半分涙でした。スポーツの面でしか相撲を語らない人たちに何が分かる!と常々思っていたからです。宗教性についていちゃもんつけようと思えばいくらでもできるでしょう。でも、相撲の持つ宗教性を受け入れ、芸能性を享受できるとしたら、なんと幸せなことか。
理事長のあいさつで、それを少しは世間にアピールできたのではないかと思ったのです。

場所中、ピンチもありましたが、無事千秋楽まで終え、改めて放送を通じて発された理事長のあいさつ。
初め、読み上げようとしたときに、感極まったか声に詰まってしまった数秒間。思わず私ももらい泣きとともに、いかに猛烈な重圧と気配りの中で責任者としてい続けた15日間であったか、思い知ることとなりました。


【異例続きの中で、相撲のいろんな顔を知る】
無観客ということで、呼び出し、行事の声、弓取り式の時の音、力士の息遣いなどがよく聞こえてきました。迫力や細部が伝わってきて、勉強になりました。

特に千秋楽では、新序出世の力士たちのお披露目を見ることができたり、初めて見る「神送り」(はたから見ると行事さんを胴上げしているとしか見えない)を見られたりと、テレビでしか相撲を見られない私たちにとっては、よだれの出そうな美味しい場面を見させていただくことができました。こういう時にしか見られない、粋な計らいでしたね。


【横綱白鵬関は3度、協会を救った、しかし…】
先に、懸念したことを記します。
千秋楽の横綱相星決戦を制したのは、白鵬関でした。44回目の優勝。しかし気になったのは、控え席でした。

いつも熱戦を終えた後にインタビューが入るので、息が上がるのは当然なのですが、千秋楽の白鵬関の息の上がり方、そしていつまでたっても呼吸が回復しない様子は、初めて見ました。熱戦であったことは確かなのですが。

私には、非常に疲労が激しい、または体調が万全ではないように見受けられました。さすがの横綱も、屋台骨を支え続けて、横綱になってからでも13年。年齢で考えれば35歳。ちなみに大鵬も北の湖も30歳そこそこで引退しています。千代の富士でも35歳。
優勝したものの、ご本人はかなり厳しい状態であることを自覚していらっしゃるように感じます。

歴史に名を遺す大横綱ですが、今回の優勝で私はふとあることに気が付きました。

戦後(というか平成になって以来)、大相撲は何度か、開催そのものが危ぶまれた大ピンチな場所があり(そのうち1回は本当に中止になったのですが)、その、大ピンチな場所を納めてくれたのが、すべて白鵬関だったという事実です。

①平成22(2010)年名古屋場所
 私もブログで書いています。朝青竜の不祥事から引退、続いて大きな賭博騒ぎがあって大相撲が世間からの信頼をなくし、開催が中止か、と言われた場所。
 結局テレビ放送は一切なしということで行われた場所。
 この時の白鵬は絶頂期で63連勝に向かっている途中。こんな異常な事態の中、観客もまばらで優勝シーンも表彰式も放送されることなく、正直、「祝福されない全勝優勝」でした。なぜこの全盛期にこんな屈辱を味わわなければならないのか、という恨みに近いものがあったと思われます。しかしご本人はそういうことは一切語りませんでした。

②平成23(2011)年5月 「技量審査場所」
今度は八百長騒ぎです。その前の3月大阪場所は、戦後初めて「中止」となってしまいました。世間の信頼を回復するまで、ということで。引退、解雇の力士が続出しました。5月場所も、テレビ放送なし、そして、「天皇賜杯なし」の、技能審査場所として、ようやく行った異例、臨時の場所。
そして、この2場所、当時は騒がれたのですが、そののち語られることはあまりありませんでした。東日本大震災があったからです。
 日本中、大相撲どころではない雰囲気の時期でした。で、ひっそりと行われたこの場所を制したのは、やっぱり白鵬関。しかも、この時の優勝争い相手も、鶴竜関(当時関脇)でした。

こういう、「協会そのものの大ピンチの場所」を、「やはり横綱が締めて秩序を示さなければ」と、精一杯の責任を果たしたのが白鵬関。
③そしてコロナ騒ぎの今場所
初の無観客で行った場所を締めたのも、白鵬関でした。

何度日本の相撲界のピンチを救ったことか、白鵬関。しかし、既に相当お疲れのことは誰の目にも明らかです。
いろいろ取りざたされることもある横綱ですが、私は、国民がこの大横綱の偉業を、全く正当に評価していないとしか思えません。

【そして、大関に昇進しそうな朝乃山関】
本当はあと1勝ほしかったところで、保留の可能性もあったのですが…どうやらほぼ昇進は確実の模様。おめでとうございます。今場所が行われなかったら、あるいは、5月に好成績を残せていたかどうか、確率的に難しかったかもしれないのです。今場所が開催されたことで、チャンスがものにできたのかもしれません。(いや、強い力士ということは承知の上ですが)

いろんな意味で、深く印象に残る場所でした。最後まで開催できて、本当に良かった。
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冷静に対処できない心理もわかってあげたい トイレットペーパー騒ぎ

2020-03-08 23:48:29 | ライフ
新しいウイルスということで、ある意味世界を巻き込んで大変な騒ぎになってきたコロナ型ウイルス
私のところの職種でも直撃を受けております

冷静に対処すべきで、デマに流されず、正しく恐れよ、と、うろたえないようにして動いておりますし、
マスコミで妙に煽ったり、恐れさせるだけのような報道には、多くの方々と同じく、やはり怒りを覚える部分があります。

これだけの騒ぎになる少し前のこと、2月後半です。帰りに買い物でドラッグストアに寄ったら、何やら妙にみんなものものしく、
やたらにみんなトイレットペーパーを買っている。携帯電話で家庭と連絡を取りながら買っている人たちも何人も。
妙だな、と思って帰宅すると、家に、トイレットペーパーがどっさり。
全国でトイレットペーパー騒ぎが報道される1,2日前のことでありました。

聞けば、かみさんと娘でドラッグストアに寄っていた時、やはり同じような光景を目にしたと。
確かワイドショーで、「トイレットペーパーが品薄になるかも」というようなこと言っていて、
「そんなバカな」とは思ったが、血相変えて買いあさっているみんなの姿を見て、買わずにはいられなくなったとのこと
マスクについてはそれ以前から品薄が心配されていて、多少家にストックしてはあったけど…
案の定その晩からマスコミでは、「トイレットペーパー、大丈夫です。供給できますから、デマに流されないで」と連呼されていました。

私も思わず、「周りに流されて、デマだと疑いながらも大量買いするなんて」とかみさんや娘を責めたい気持ちでいっぱいでした
かみさんたちも多少しょぼんとしていました。

が、あとになって思ったのです。

かみさんは、①我が家、②かみさんの実家、③息子のアパート ④娘のアパート と4件の備蓄、食料、生活用具のことを気にかけていて、
管理責任を負っている自負があるのです。特に最近では、かみさんの実家の両親の体の自由が利かず、買い物もよく請け負っているうえ
この頃実家のトイレットペーパーが減っていて、そろそろ買わなければ、と思いっていた矢先のこと

情報はデマかもしれないが、万一本当に供給が遅れたら、こんなもの(トイレットペーパー)なくなった時、手に入れようがないではないか
子どもたちのアパートのためにも、今備蓄しなくては

そういう心理が働いてしまい、とても「大丈夫、大丈夫」という気持ちにはなれなかったのでしょう。

家においてある生活用具でのほほんと暮らす私と違い、管理責任の自覚がある者にとっては、デマと疑っていても、管理責任を問われるような事態のほうがはるかに恐怖である
どこかの悪質な転売屋と違い、家庭を管理する人の心理を考えると、一概に情弱、とけなす気持ちになどなれません。
改めて主婦に感謝です

そう考えると、昭和48,9年のトイレットペーパー騒ぎも、似たような心理だったのかもしれませんね
当時私は子どもでしたから、愚かな行動だ、と冷ややかな目でしか見ることができなかったのですが

たくさんの家庭を管理する主婦の気持ち、わからなくてはいけません。そして、そこに付け込む悪徳業者をこそ、
心の底から憎まなくてはなりませんよね。
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