songbookの自己回顧録

「教えて!goo」で見つめてきた自分自身と、そこで伝えられなかったことを中心につづってきましたが、最近は自由なブログです

君はメロディー【五十路だが歌った】

2017-05-28 17:14:22 | 音楽
君はメロディー【五十路だが歌った】


歌いなおしてみたものです。
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5月27日(土)のつぶやき

2017-05-28 08:34:30 | ライフ
北川悦吏子さんのツイートに答えたものです。 北川さん、現在は私の「超」地元、宮嶋麻衣さんのお膝元、岐阜県の東農地方を舞台にした来年度のNHK朝の連続テレビ小説「半分、青い」を執筆中です。 ご自身も美濃加茂市出身、数多くの「トレンディな」(怒るかな、ごめんなさい)名作ドラマを生み出した脚本家であり、 現在も抱える難病もちでもあり(これも表立ってはあまり言いたくないようです) 私も苦しめられた難聴の症状もあるようです。 かくいう私も今朝から突然の大きなめまい再発。 眼球が勝手に動いていて、ものを見るための焦点を合わすまでに手間がかかることかかること あの難聴から3年 生活リズムがやっぱり崩れていたので来たのか? メニエールって、こういう状態なのじゃないの?と思うようなひどさなので、現在は様子見です。
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ついでに光村国語のお話と先生方の妙な食い違い

2017-05-21 01:18:49 | Weblog
前記事で「名前つけてよ」のことを書きました
そういえば、光村の国語教科書は、なんだかんだで長い間見ているような気がします。

数十年もの間、不動の地位で教科書に掲載され続けているお話もあれば、
「いい話だったのに」数クールで教科書から消えていくお話
長く掲載されている割に、その魅力がちっとも伝わってこないお話 いろいろです。

長寿のお話の代表格は、1年生の「くじらぐも」。
はるか昔、四十数年前これを読んだ後の不思議な感覚を、この歳になっても覚えています。
「天までとどけ、一、二、三」とジャンプする子どもたち。でも1回目では30センチぐらいしか跳べず、「もっと高く!」とくじらぐもにせかされます。
二回目は、50センチ跳べました。それでも届きません。3回目、みんなで大きくジャンプしたときに、空のくじらに乗ることができた、という場面。

…そうです。やってみたんです。当時1年生の私が自宅で。

でも、どんなに頑張っても、兄の30センチ物差しのところにさえ飛びあがれないではないですか。ましてや、50センチなんて、どういう高さ??
子ども心にも、こっそりと自分の無能さに傷ついていたことを思い出します。


消されて残念だった話は、四半世紀近くも前に5年生の教科書に載っていた、アリスン・アトリー作「麦畑」
10年近く掲載されました。
当時の周りの先生方からは、「なんだこれは?」「面白みがない」「自然のすばらしさと人間を見下したような内容?」「これで何を学べというの?」と、あまりよい評判は効きませんでしたが

名作です。すっかりとりこになってしまいました。

でも、当時の子どもたちの反応も、残念ながら今一つでした。
なかなかよさが通じないのです。
業を煮やした私は、岸田今日子さんの朗読テープの上に自分の手弾きで音楽をのせ、効果音集の音源も重ね、
ラジオドラマのような作品を仕上げて子どもたちに聞かせました。
稚拙な音で、手前味噌ではありましたが、その時の子どもたちの反応の変化はかなりのものでした。
「そうか」「そういう世界観だったのか」…多くの子が、この作品を気に入ってくれたと自負しております。
今ならば、デジタル教科書などの活用で、もっと簡単に教材が作れるのではないかと思いますが、私も若かったのですね。とても今では作る気力がありません。

そして、今でも続く名作の中で、最も扱いに疑問を持ってしまうのが、
2年生の「お手紙」。
これも、アーノルド・ローベルの傑作です。大好きな作品です。

突っ込みどころ満載の、がまくんとかえるくんとの会話や言動。
二人の心情の変化や、そこから読み取れる、根底に流れる友情と思いやり
ところが学校では、その「心情の変化や、そこから読み取れる、根底に流れる友情と思いやり」ばかりを追求する授業をしていて、実にくだらない
前回の記事でも取り上げた、「変なところばかりをこねくり回す」授業ばかり。自分が子供なら、この作品、嫌いになってしまうかも。

違うでしょ?

存分にそのすっとぼけたユーモア、面白さを味わいつくしてこそ、この作品が好きになっていくはずなのに。
真剣にボケた間合いと演技で朗読劇を仕上げて、みんなを笑わせてみなさいよ。
突っ込みどころを全部羅列して、それでもそれらを一つも突っ込まずに進行していく猛烈に強引な世界を味わいなさいよ。
もちろん根底に流れる二人の友情とすれ違いを押さえておかないとだめだけどさ。

かたつむりくんに手紙を渡して4日待つ、その4日の重みをユーモラスに実感させましょう。私は昔教室の壁にがまくんの家とかえるくんの家を位置付け、二人の絵をがまくんの家の前で待たせたまま、
かたつむりくんの絵を休み時間になるたびにゆっくりゆっくり動かし、月曜の昼出発、金曜日の午前に到着させたことがあります。

もう突っ込みどころの嵐です。


国語の力なんて偉そうに言うけど、要はその作品のおいしさがわかるようにしていくことでしょ?
だとすればまず学校の先生がそのおいしさを知っていないといけません。

ここでは、五感にはたらく例を挙げましたが、ただそれに溺れてはいけません。
世界的に有名になった村上某様のように、そちらにばかりシフトがいってしまった作品もどうかと感じる今日この頃です。
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最近のデジャブその1 蜂飼 耳さん「なまえつけてよ」~これは「あすなひろし」だ~やめてください教育関係者の下手な分析

2017-05-20 08:05:24 | Weblog
すごく長いタイトルになりました

最近、タイムスリップしたかのようなデジャブに襲われることがあります。
その一つがこれ 蜂飼 耳さんの「なまえつけてよ」というお話です

光村出版5年生の国語に載っているお話です。

今回、特に、「わかる人にしかわからない話」で申し訳ありません。


短いお話の中に、登場人物の心情の微妙な機微が感じ取られる素晴らしい話です。
じわぁーーっとほんのり暖かくなり、何度もリピートしたくなります。

この懐かしい感覚は何なのだろう、と記憶をたどると、ぴったりくるものがありました。漫画家 故、あすなひろし先生の「青い空を、白い雲がかけてった」
というか、あすなひろしの世界観


サムの大空、でピンと来た人は、私と同世代です
私のあすな作品との出会いは、昭和52年「小学6年生」(小学館)でした。
なんとも独特な絵と世界観、ややセルフメルヘンチックな自虐的ギャグ、すっとぼけた登場人物たち
でも悪役はどこにもいなくて そして、必ず切ないほろ苦さを至上の美しさで読者に投げかけてくる

こんな作品、見たことありませんでした。4,5月号と続いたので、次の号が待ち遠しくてたまらなかった記憶があります。
小学館の学年雑誌で取り上げられたあすな先生の作品はこれだけで(自分のリアル小学生時)、もうこういうのないのかな、と思っていたところで見つけたのが
「チャンピオン」で時々掲載されていた「青い空を、白い雲がかけてった」でした。

不定期掲載で、これが出てくると大喜びで読んでいました。
週刊少年誌って、音楽で言えばバリバリのロックがライブをしているような感じだったのですが、
その中での「青い空を、白い雲がかけてった」は、緻密で繊細で涼やかなフォークのようなイメージでした。

夢中になりました。同級生でも、ファンはすごく多かったです。
当時中学校でやっていた文化祭の出し物で、「青い空を」を題材としたオリジナル劇を、2つのクラスが同時に取り組んでいました。


日常のひょうひょうとした営みの中に顔を出す大人の切なさ、人間が持っている根源的な温かさ、悲しみ、無常観、大きく包み込む愛情
後々これらがあすなひろしの超絶技巧の描画力によるものと知るところも多いのですが、
その美しい心情描写に、胸が締め付けられます。それが、五感を通して伝わってくるのです。

蜂飼耳さん「なまえつけてよ」のハイライトシーンの一つに、
  せっかくワクワクして仔馬の名前を考えてきて、今発表しようとしたのに、その仔馬が急きょ他の地に買われていくことになって、言いかけた名前を飲み込む
  つとめて明るく「いいんです。それじゃあ仕方がないですね」と振る舞いながら仔馬に接する春花。その姿を見て、何も声がかけられない勇太と陸
という場面がありますが、これなんかテレビカメラのアングル、かすかなBGM、吹き抜ける風など一気に頭に浮かんできて、
まさに「青い空を、白い雲がかけてった」そのものなのです。

もちろんそのあとの締めくくりも含め、本当に美しい、名作だと思いました。

で、ちょっと気になって、学校現場ではこの作品をどう扱っているのだろうと(偉そうなこと言ってすみません)
ネットでこの教材での授業のことを書いてある記事をいくつか見たのですが…
正直、「なんじゃこりゃ」です。
この作品の切なさと美しさに、ちっとも触れていないじゃないか
主題がどうたら、本当は好きだったのかなどうたら、勇太の心はここで変わったこうたら(変わってませんよ、勇太の本質は一貫しています)

自分が児童だったらこんな授業受けたくないし、へたしたらこういう作品を味わう能力を失ってしまう。
この作品に、伊吹、音楽、間合い、風を感じなさいよ。(まあ、そんなもの文字にできないか)

アニメーターにこの作品でビデオ作らせて鑑賞したほうが、おそらく味わいは深くなる(もちろんイメージの固定化は怖いけどさ)


おいしいものの、おいしい味わい方
国語が文学作品でつけさせたい力はそれなのだから、変なところでこねくり回すのはやめてください。
大切な味わいポイントをじっくり確認しあったら、あとは、「黙って、いただきます。」「ああ…おいしい…」
特に本作は、そういうタイプの作品だと思うのです。
コメント (2)
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