songbookの自己回顧録

「教えて!goo」で見つめてきた自分自身と、そこで伝えられなかったことを中心につづってきましたが、最近は自由なブログです

いじめの根の深さに絶句するばかり エンブレム補足

2015-09-05 21:48:41 | ライフ
前回の投稿が終わってすぐ、この事件について家族に聞いてみました。

すると、
「あんたみたいな特別な見方をする人はまずいないよ」
と言われました。

家族は、今回の佐野氏のパクりぶり、謝罪のないふてぶてしい態度に怒り心頭のようです。

本来の論点は、「東京オリンピックのエンブレムに盗作の疑いがあるかどうか」のはずです。


しかし、記事やネットの話題は、ことごとく「佐野氏の過去のパクりぶり」「余罪はどうか」「これもあやしい」「こんなにもかせいでいる」「なんか、偉い人らしい」「この人、どういう人格なの?」「なんかいろんな画像ネットで拾っては、そのまま貼り付けているのが常習化している」云々…
ものすごいなんて生易しいものではない

・今までこうしたエンブレムで、問題になったことはない
・論点は、あのエンブレムだけのはずではなかったのか

など話してみたのですが、全く取り合ってくれません。
「大体あんなにひどい人が」というレッテルが作られてしまって以来、全ての言葉が通じません。

https://oshiete.goo.ne.jp/qa/9057147.html
では、「いじめなのかもしれませんが、パクりではないのか、と問われているのに否定しているから、こんなことになったのだ」

という回答がありました
これこそ、「いじめられるものにも原因がある」でしょう
その通りです。原因があることは非常によくわかります。

しかし日本では、堂々と、「いじめられるものにも原因がある、は通らない」と言っているじゃないですか


完全に論破されましたね


いじめは、いじめるほうが100パーセント悪い などとは、嘘も大嘘、日本人の誰一人、そんなこと考えている人などいないということです。
こんな私たちに、いじめ撲滅、などと言えるわけがありません
だから言っているのです。日本は、壮大な、世界に冠たるいじめ大国であると


この点について頭が「バカの壁」状態になっている私たちが、いじめ問題の根幹に迫れるはずがない
文部科学省がどれだけ躍起になったところで、学校がどれだけ活動したところで、いじめが撲滅できるはずがないのです。
焼け石、じゃなかった、太陽の表面に水、です。

マスコミも、この問題を報じる際、面白おかしくよくもあそこまで本来の論点でないところで集団で追い込んだものだ。
オウムを追い込んだ時とは、まったく状況が違うのですから
今回は、エンブレムの問題ではなく、明らかに佐野氏という一人の人物への糾弾に終始しました。

もしもそれをするのならば、エンブレムの問題に結論を出してからするべきです。
今回は、「佐野氏がこういう人物だから、その人がクローズアップされるようなデザインは認められない」
という結論になったと、おそらく誰もが思っています。


ずいぶん、世界に恥ずかしい結論だと、私は思っています。
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エンブレム騒動への反応は正気ですか?やっぱり日本はいじめ大国なのかな

2015-09-01 21:46:56 | ライフ
オリンピックに向け、スタジアムに関しては、いまだにくすぶりが感じられるし、本当にこれでいいのかと疑問もまだまだあります。
でもこれは、各方面の意見を聞きながら、建設的に改善への余地があると思うのです。

エンブレム問題は、別の意味でいやーな気分にさせられます。

やれ盗作だの、権威との結びつきだの、結局はコネかよ、だの
今回白紙になった時の反応に、私はいささかびっくりしております。
「ネットの発達により、盗作かどうかなど、情報が明るみに出るようになった。これはよい傾向だ。」 はあ????

佐野氏のデザインの、膨大な数の実例が公開されました。剽窃と言ってよいものがいくつもあることも分かりました。
今回の一連の流れを見ている世界中のすべてのデザイナーの皆様は、これを見てどう思ったでしょうか?

私自身はデザインは全く疎く、非常に弱いジャンルです、が、想像はできます。
全てオリジナルのデザインなんて、一体どこに存在するのか
物を作る人たちには、独創性が求められます。しかし独創はすべて、真似から始まり、脱却という道をたどるもの
ピカソなどがそのよい例でしょう

そして、独創的ならば何でもよいというわけではない
よいか悪いかがすべてです


現在、当のネットでわめきまくっていた人たちに、わずかな困惑がうかがえます。「ネットの勝利?え?」と
だって、結局やっていた気持ちのベクトルは、単なるいじめに過ぎなかったこと、本人たちも自覚していたからでしょう

今回の件でネット書き込みの人たちが血眼になってやっていたことは、紛糾、なんて言いながらその実、集団いじめの快感に、人生で二度と得がたいほどのエクスタシーを求めている行為そのものだったのです


で、白紙になった後のインタビューに答える人たちは予想通り
「もう少し日本的な主張の見られるデザインに」
「絶対にパクリと言われないような、複雑なものに」


もう、みんなが納得するようなデザインなど、出てこないと、私は思います。


時には、「決まったのだから、はいはいとしたがう。盲目的に従う」
ことも大事だということも、私たちは学ばないといけません。

こんな日本の醜い実態を見ていながら、「いじめ撲滅」なんてよく言えたものだ
世界に冠たるいじめ大国日本。
いじめをなくしていこうと考えている人たちは、こういう自分たちの「さが」を踏まえたうえで、ものを語ってほしいです

コメント (3)
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