songbookの自己回顧録

「教えて!goo」で見つめてきた自分自身と、そこで伝えられなかったことを中心につづってきましたが、最近は自由なブログです

どんぐり音楽会出演の思い出 その9 収録のその他、その後へ

2023-06-24 22:01:58 | 音楽
風がはこぶもの【本田路津子さんの曲を 五十路後半男性だけど歌います】


【本番中あれこれ】
①本番中のおしゃべり
 これは放映後、同級生に言われたことでしたが、
「ねえ、〇〇君(私のことです)、控えの席のところで、他の出番の女の子としゃべっていたじゃん。どうしたの?もう仲良くなっちゃったの?」
普通、出演者が歌っていたり、話していたりする番組の進行中に、私語などもってのほか。自分でもその指摘を受けるまでは覚えていませんでした。が、言われて少し思い出しました。
どの時間帯だったかは忘れましたが、確かに収録中、控えの席で隣の女の子に何かしゃべりかけられました。私も何も考えておらず、気が緩んでいたのでしょう。(とすると歌った後だったのかも)普通に受け答えをしていたのです。そんなことが一瞬あったことは思い出しました。しかしそれが、はっきりと何らかのアングルで映り込んでいたらしい。ビデオがほとんどない時代で録画がないからわかりませんが、多くの子がその場面を見ていたらしく、「仲良くなっちゃった?」とか詮索してきて私も慌てました。話しかけるほうも話しかけるほうですが、受けて答えていた私も大概ですね。

②あわて床屋
 確か本番前の最後のリハで(この時は全員歌う場面は省略させられました)、番組の最後にみんなで一曲歌うという流れがありました。この週のラストの曲は「あわて床屋」でした。
 しかし、出演者ほぼ全員がまともに歌えないという事態が発覚!私もかすかな記憶しかなかったので、歌いながらおぼろげな記憶を引っ張り出し、「ああ、こういう曲だった」と、でも気持ちよく歌わせていただきました。自分としては、出番で歌った「落ち葉」よりも、こちらのほうが、伸び伸びと気持ちよく歌えていた記憶があります。
 でも、私の世代でも、もう誰も知らない曲になっているということも自覚した瞬間でした。父からはずっと言われておりました。「テレビで流れるような流行歌ばかり歌うような人間になるな。日本には、唱歌、童謡という立派な文化がある。そこに歌の基礎があるのだから」と、
 だからと言ってエリート教育的に童謡ばかりを子どもに聴かせるようなことをされた覚えはないのですが、身の回りで歌われていた童謡は普通に聴いていたし、まだ私の世代では、ぎりぎり、子どもたちの遊びの中で自然に童謡を口ずさみ合うような生活、文化が残っていました。ですから「あわて床屋」もすぐに記憶のかけらを呼び出して歌うことができたのですが、ほかの出演者たちにとってはさっぱりだったようです。

 おそらく審査員に水谷俊二先生がいらっしゃったこともあり、あの「最後の歌」のコーナーは、子どもたちに、唱歌や童謡を大切にしてほしいという願いで設けられた時間枠だったのではないかと、あの時にも思っていたし、今もそう信じております。石川進:キューピーちゃんの歌もお見事でした。

③狩人「若き旅人」
 狩人のお二人にとっては凱旋出演だったのかもしれませんね。国民的大ヒット曲「あずさ2号」から、「コスモス街道」、そして1977年末に発売した3枚目のシングル「若き旅人」と、ヒット曲を連発していらっしゃいました。
 「どんぐり音楽会」では、この「若き旅人」を歌われておりました。そしてその時初めて、私は「カラオケ」という言葉が業界にあることを知ったのです。
 
私たち出演者は、みんな、生のバンドをバックに歌いましたが、ゲストの狩人さんが歌うときには、そのバンドの皆さんは演奏されていませんでした。その代わり、モニタースピーカーから、豪華な演奏が聴こえ、それをバックに狩人さんは歌っていらっしゃいました。世に言う「カラオケ」です。

そんな仕組みがあるとは知らず、少なからず私はカルチャーショックを覚えました。1970年代は、まだそういう時代だったのです。その「カラオケ」という言葉が世の中で普通に使われるようになり、国民がみんなマイク片手に歌うようになったのは、その数年後のことでした。

私たち出演者は残念ながら狩人のお二人と直接会話やコンタクトを取ることはできませんでしたが、以前述べさせていただいたような経緯で、私は(おそらく)特別に、狩人さんのサイン色紙をいただくことができました。
収録終了後、提供各社からの参加賞としていろいろお土産をいただいて両親のいる客席に戻っていく私は、どうやっていただいたのか覚えておりませんが、こっそり狩人さんのサイン色紙も持っておりました(おそらくほかの出場者の方は頂いていないと思います)。
すると、目ざとい狩人ファンのお姉さんたちがそれを見つけたようで、私に話しかけてきました。

「あー、サイン持ってる!いいなー!」「ねえ、お願いだから譲ってくれないかなー…
なーんて嘘だよ。おめでとう。大事にしてね。」と、本気とも冗談とも取れない言葉をかけられました。私はいきなり話しかけられて思わず身構えてしまいましたが、この言葉に、「ああ、狩人さんはいいファンをたくさん獲得しているんだな」と(今の私の言葉でいうと)、やけに心が温かくなった記憶があります。

前回の写真にも少し載っていますが、この時の出演者に送られた参加賞は、
・(例の)オリエンタルハンバーグの素、マースカレーもあったと思う
・ハワイの飲み物、グアバ
・長崎堂のカステーラ
・サンビシ醤油詰め合わせ
・納谷橋饅頭  だったと思うのですが、写真を見るに、すでに納谷橋饅頭は提供を撤退していたのかもしれません。私はことのほかあの納谷橋饅頭が大好きだったので、親が遠出した時は必ずお土産にお願いしていたぐらいでした。ですからこの時ももらっていたような気もするのですが…わかりません。

「どんぐり賞」(その週のチャンピオン)は取れませんでした。もしもとっていたとしたら、それこそ中学生になって、チャンピオン大会に出なくてはならなかったのかもしれませんが、まあ、そこまで上手ではなかったということだったのだろうと思います。

かくして収録は終わりました。この夜は親子3人で名古屋駅の飲食店エリア「廣寿司」に行き、食べた「江戸」というメニュー(まぐろと鉄火だけ)のおいしさに驚いたことを覚えています。ねぎらいの言葉ももらいました。今でも名店ですが、「廣寿司」は当時テレビCMも流していたほど有名で、父母も昔名古屋住まいだったこともあり、きっと精いっぱいのご馳走を考えてくれたのだろう、と、今更ながら有難い思いです。父母亡き今、あの夜の食事の時間を思うとぐっと胸に来るものがあります。

④おまけ
で… この日の「どんぐり賞」を取った人
後々じわじわ来た名前の人なので覚えています。「中島美雪」さんと言いました。ただしこちらの地方ですので、「なかしま みゆき」と読みます。シンガーソングライター中島みゆきさんの名前を耳にしたとき、どこかで聞いたことのある名前だよな…と考えていた時に、思い出したのです。「あ、あの時のどんぐり賞の人だ」

そして彼女が歌っていた歌が、本田路津子さんの「風がはこぶもの」


今回動画投稿させていただいたいきさつは、ここからなのです。もちろん大好きな曲です。歌いながら、ずっとどんぐり音楽会のことを思い出していたので、自分の記憶、記録用に、連続して投稿させていただきました。


で、あと少しだけ追記させていただきます。
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どんぐり音楽会出演の思い出 その8 それなりに頑張ったけど、不完全燃焼だった本番

2023-06-19 20:35:49 | Weblog
実は出演前、局から事前アンケート用紙がきておりました。そこには次のような2点のことを書いておりました。
「思っていること…出演者が女の子ばかりになってきている。男の子がどんどん出てくれるといいと思います」
「得意なこと…ハーモニカが大好きです。2台持っています。1台は学校で使うヤマハツーライン。もう1台は個人的に持っているハーモニカ。学校のやつは表と裏で、ハ長調とヘ長調の二つの音階でできているから便利です。でも、家のやつは、音がよく響くのです。(※これは複音ハーモニカと呼ばれる、一つの音に対し2枚のリードが使われるハーモニカのことです。2枚のリードはわざと微妙にピッチをずらしてあるため、吹くとそのうなりがビブラートのようになって、豊かな音色となるのです)ぼくは、ツーラインで、よく音の響くハーモニカが出ればいいな、と思っています」

その事前の情報を、番組内で話してもらえるようなことを本番前に聞きました。
今考えると、贅沢な話です。一介の小学生のたわごとを、テレビ番組内で拾ってもらって採用してくれるというのですから。

【本番収録で覚えていること】
 自分では意識していなかったのですが、けっこう必死の30分間だったのだと思います。のちに本放送、1978年2月19日のものを見たのですが、あまりしっかりと様子を覚えていないんです。「どんぐり音楽会」は収録番組でありながら、時間的な編集作業は一切なく、一発撮りをそのまま放送していました。
・ディレクターの合図待ちで本番スタート。おそらく出演者全員でステージに立ち、顔見せをしたのでしょう。その後待機の席に戻って、出演時以外は進行を見て楽しんでいました。もちろんかなり緊張はしていたはずですが。

・3人の審査員の先生がいらっしゃって(そのうち一組は狩人のお二人)、ひとり持ち点が10点、30点満点で審査されていました。この中に水谷俊二先生がいらっしゃったことを覚えています。

名古屋少年少女合唱団の主宰としても知られる水谷俊二先生。ご自身も声楽家。愛知教育大学名誉教授でいらっしゃることは、ネットで検索した今、初めて知りました。とすれば、そこに通っていたうちの子もどこかで水谷先生のお世話、薫陶にあずかっていたかもしれません。親子二世代で。ありがたいことです。

というのは、私の両親が水谷先生のファンで、自然私も水谷先生に勝手に親しみをもっていたのです。
・この方の歌に対する評価が大変適切であること。
・基本の歌い方を大切にされていらっしゃること。
・(我が家と同じで)歌謡曲のちゃらちゃらとしたものを子どもが歌ってテレビで披露する姿は若干苦手。童謡など、純粋な歌唱力で(今言うと語弊があるのだろうけどね)勝負してほしいというスタンス、芸能界への道具として手を貸すような真似だけはしたくない

そういう匂いがプンプン感じられる先生だったのです。

さて収録に話を戻します。

【オープニングの石川進さん】
これは収録直後に父が言った言葉ですが、
「石川進はやっぱりすごいな」と。
オープニングトーク第一声が、例のアシスタントさんの
「いやー寒いですねーー!」だったのです。(私は覚えていませんでしたが)
ですが、そうです。これは収録。
収録日の2月1日は本当に寒い日だったのです。おそらくこの第一声は、アシスタントさんの、思わず漏れてしまった「リアルタイム」での感想。帰り際に父が言ったのです。「だって、19日が本当に寒いかどうかわからないじゃないか。未来の予測できないときの時候の挨拶というのは、怖いから普通しちゃいけないんだ」と。
そういう「テレビ的な事情」が、あの時代にしてわかっていた父もすごいと思ったのですが、石川進さんは、次のように返したのです。
「そうですね、寒い日が続いてます、でもね、今日は19日で、暦の上では『雨水』っていうんです。どんなに寒い冬も、今日あたりから、温まり始まる…っていうことで、春を待ちましょう。」
こう返してくれれば、この日がどのような気候であっても、違和感なく聞こえるわけです。さりげないフォローができる石川さんに、父は「プロだなあ」と感服したそうです。

【シンプルな伴奏】
自分は確か4番目ぐらいの出演だったと思います(違ったかも)。
紹介の時の石川さんの声が、「それでは、本日の『黒一点』です。」でした。
上記の資料の「出場者が女の子ばかり」を読んでくださったのだと思います。実際この頃から、出場者が女の子ばかりの週がざらにありました。
読んでくれていて、ありがたいな、と思うと同時に、なんだか妙な注目を感じてしまい、緊張が増したことも覚えています。

歌唱については、まあまあの出来だったと思います。

なんと言っても一度も事前に合わせていない伴奏で歌うのですから、しかもリハーサル時に「歌い出せない」というパニックを経験しているのですから、行けるのかどうか、いろんなことが気になっていました。
実際の演奏は、例の打ち合わせたバンドリーダーさんのギターがほとんどで、ベースとドラムが一部で申し訳程度についたものだったのではなかったかと記憶しています。まあ、問題なく歌えました。もちろんほかの出場者の子たちのような、演奏の派手さも、ドラマティックさもありませんでした。

でも、それで、私には十分でした。その日たった1回の歌唱がそこでやり切れたのですから。


【テンパって、痛い場面を作る、しかも2回】
歌い終わったところで、プレッシャーから解放されました。同時に頭の中は何もありません。
石川さんが、「どうですか?あがっちゃったかな?」と質問されて、思わず、「あ、あがっちまった」
と言いかけ、「あがっち…ました」で会場の笑いを誘ってしまいました。

自分自身は、そういうことで失笑を買うことを想定もしておりませんでした。今ならば、「あ、おいしいところもらった」とみんなに笑ってもらえるようにふるまうのでしょうが、当時の自分は、繕い笑いしかできませんでした。
そして、例の「ハーモニカ」のことを尋ねられたのです。石川さんは、「君はハーモニカが好きなんだって?」と尋ねただけだったのですが、私は、先ほどの失敗を挽回しようと、こともあろうに、応募票に書いた通りのことを一生懸命説明しようとしました。
思い出しても、痛い、痛い。まるで自分に音楽の知識があることをひけらかすかのような言い方で。
石川さんは、それをうまく受け流して笑いに変えてくれるリアクションをしてくれました。あちらのほうが音楽のスペシャリストだというのに。

会場は大いに盛り上がりましたが、私は、自分がおもちゃにされたことのありがたみを少しも理解できていなかったのです。
「わかってもらえなかった、バカにされた、恥をかいた」
この思いが後を引きました。

さらに、例の番組終了時のインタビューでも、考えていた通り一生懸命アピールしようとして空回り。やはり会場の失笑を買う結果に。思い出すたび心がズキズキ痛みます。

45年経った今でも、この時の経験は、ほろ苦い教訓を残す思い出です。

得点は、30点をいただきました。
講評が水谷先生だったことはうれしかったです。「上手に歌ったね。でもね、声がもっとお腹から出せるようになるよ。呼吸の仕方を勉強していってください」というありがたいお言葉でした。
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どんぐり音楽会出演の思い出 その7 本番直前ってこんな感じ

2023-06-11 17:27:26 | ライフ
【とにもかくにも一発本番】
 前回のトラブルがあったことで、私は番組の進行についてほとんど何も練習、リハーサルをすることもなく、本番の収録に臨むことになってしまいました。私のような出演者のトラブルのために、時間を作り直すことなど無理だったのです。出演者の皆様や観客のタイムスケジュールもあります。
 他のみんなはばっちり本番通りの流れを一通りやっているのに、自分だけは3分の1ほどの情報しか得ていないままの、文字通りの一発本番の収録が始まろうとしていました。

 何が不安って、バックのバンドの皆さんと、一度も音合わせをしていないのです。前奏も分からない、どんなアレンジで来るのかもわからない。もちろん音量や、自分の出す声がどのように会場に響くのかも、とにかく何もわからない状態。今考えても、よく平気な顔して出演していたものだと思います。

 幸いだったのは、私は幼少期からこの番組をテレビでとことん見てきていたので、ほとんどの進行を自分でつかんでいたことでした。

 本番直前のホール。
…とにかく、すごい観客数に驚きました。超満員です。
 狩人のお二人さんは、やはり飛ぶ鳥落とす勢いのアイドル。しかも地元出身。あと、本番中にもお二人が語っていらっしゃいましたが、どちらか、または二人でこの「どんぐり音楽会」に出演されたこともあったらしい。石川進さんの「何点だったの?」の質問に「29点です。(30点満点)」と発言されて笑いを取っていましたが、あれは場を和ませるサービスで、実際には30点満点を取っていらっしゃったのだろうと、今になると思います。

学級の友達の、「ゲストが狩人でよかったね」の意味が、ようやく分かった気がしました。こんなところで歌うんだ。と。ありがたいことではありましたが、緊張も高まりました。

「前説」と言われる本番前の、ディレクターさん?の話の中で、
「CBCには、よく要望が来るんですよ。毎週人気のある歌手を呼べって。でもね、こればっかはなかなか難しいんですよ。こちらも努力しているんです。」というような内容のことをしゃべっていらっしゃったことを覚えています。そのうち、私も番組中の立ち位置を教えてもらい、流れを一生懸命覚えていると、アシスタントのお姉さん(すみません、名前は失念しました)が言いました。

「あなた、番組終わりの生CMのインタビューに答えてね。」

番組の流れを知っている自分でしたので、何を要求されたのかは即座に理解しました。この「どんぐり音楽会」では、一通り番組が終わるときに、お姉さんが出演者の一人にインタビューをして、放送上のCMをするのです。

「君は、ハンバーグは好きかな?」
「はい、大好きです。」
「家で、お母さんにハンバーグ作ってもらってる?」
「はい、作ってもらっています。」
「…はい。会場に来ている出演者の子も、家で作ってもらうハンバーグが大好きです。この、オリエンタルハンバーグの素を使えば、ひき肉と混ぜるだけで云々…」という流れ。
毎週テレビでやっていたので、どう答えればよいかは十分わかっていました。実際に我が家では、このCMに影響されて、この提供社、「オリエンタル」のハンバーグの素でよくハンバーグを作ってもらっていました。

まだ本番前なので気楽だった私は、お姉さんに、「うちでは本当によくこれでハンバーグ作ってます。」とぽつんと言ったら、思ったよりも反応してくださって、「えっ!?そうなの?じゃあさ、本番のインタビューでもそのこと言ってみてよ。頼んだよ。」と。

お姉さんは純粋にうれしくて、何気なくお愛想も含めて私に振ってきたのでしょう。しかし、私は違いました。「え……。これは何とかしなくては」

【生意気な出しゃばり】
傲慢にも自分は、それまでずっとテレビでその「スタジオCM(?ホールか?)」見ていて、若干イライラしているところがありました。「インタビュー受ける子たち、みんななんて下手なんだ」
歌はうまいのに、こういうインタビューを振られると、ぼそぼそと、言わされた感満載の答え方しかできない子ばっかじゃん。CMとして全然生き生きしてないじゃん。自分だったら…

小学生にしてそんなことで不満持っていたなんて、身の程知らずの傲慢も甚だしく、顔から火が出てしまいますが、確かにそういうことは思っていたのです。
客観的に見れば、本番のリハをたった一人やっていない大ピンチの場なのに、
「よし、最高に効果的なインタビューの受け方にしてやろう」なんてことで「とらぬ狸の皮算用」でほくそえんでいました。

悪いフラグ、立ちまくりですよね。新しいハードルができただけなのに。

そして、本番収録が始まりました。
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