【出演後、学校では】
テレビ番組に出られたということは貴重な経験だし、今でも「あの時、思い切って動いてよかった」と思える出来事なのですが、当時の自分にとっては微妙でした。
私は、会場の多くの人たちに失笑を買うようなことをしてしまった。あれが放送されるのだ、と。
やはり出演するときは我を忘れてうぬぼれてしまうもので、「自分はあの場で大喝采を受けてチャンピオンになり、ヒーローとして収録を終える」ぐらいの気持ちになってしまいます。もちろんそれを人に事前に宣言などしませんが。
しかし少なくとも自分は思ってもみない失敗をしていて、全然かっこよくなかったのです。放映までの2週間、なんと言えばよいのかわからない気分でした。
担任の先生は、社会が専門の先生でした。テレビ局の様子、収録の実際など、何かと詳しくみんなの前で発表させようと声をかけてきました。
大人になるとわかります。今でも、「マスコミ、テレビ局の仕組み」は、5年生の社会の授業で取り扱う重要な単元。それを自分の学級の児童が生で体験してきたというのだから色めき立ちます。100の資料よりも1の生体験。ぜひ学級で披露してほしかったのでしょう。その気持ちは、今では痛いほどわかります。私が担任だったとしても、絶対にそうします。
ですが、私はプチ傷心状態。そんな大人の事情など分かるわけがありません。おまけに、今調べてわかったのですが、おそらく当日のCBCは、著作権その他の関係から、放送局に入ったらもう写真の撮影は禁止。我が家には当日撮影した写真が1枚も残っておりません。2回前の歌っている写真は、出演後、CBCから郵送されたものです(後で述べます)。
当日の出来事も、ここまで延々述べてきたほど複雑で、とても簡単にスピーチできるほどまとめることができません。一応学級で簡単に話しましたが、まったく的を射ない話しかできず、担任の先生も肩透かしだったことだと思います。
【2月19日放映当日とその後】
我が家には、その頃購入したばかりのカセットテープレコーダー(ラジカセではない)があり、それに録音しようということになりました。全部を録っても仕方がないので(?)、自分の歌った部分など一部にしようとしました。ライン録音の機能はありませんでしたので、「生録」です。ですから、録音中は家族みんな、黙って見ていなくてはならず、ちょっとしたストレスでした。(もう残っていないかな…?この時の録音)
祖母も見てくれて、喜んでくれたように記憶しております。
ビデオ録画は、当時は一部のお金持ちだけの道楽でした。まだVHSもベータもない、Uマチックと言われる規格のテープと機械で録っていた時代です。クラスに一人だけ持っていた家庭があって、録画をしてくれていました。
それを学校で見せてくれたかもしれません(そのあたり覚えていないです)。「あげようか?」と言ってくれたようにも覚えています。ですが、うちに「録画できるような機械」を買う財力もなく、確かテープも高価なはず。そんなこんなで、ありがたい申し出ではありましたがお断りしました。VHSテープが一般的になって、我が家でもビデオの機械が買えたのはその6年後のことでした。
放映翌日、私は少し気まずい思いで学校に行きました。かっこ悪い姿をひけらかしてしまったな、と。
でも、クラスメイト達はみんなそんなこと気にせず、「よかった。面白かった。狩人と一緒だったね」と、温かい言葉をかけてくれました。
考えてみれば、自分たちも小学校卒業間近。お互い少しずつ大人な会話ができるようになりつつありました。みんなのねぎらいや温かさが、本当にありがたく、ほっとしたことを覚えています。
【最後に、CBCからまさかの…】
賞品で頂いたハンバーグの素やカステラなどは、本当にありがたく、どれも美味しかったため、しばらくの間我が家の食卓やおやつの時間を充実させてくれました。以前の予選の時は記念の鉛筆もいただいたように覚えています。また、出演の時にはめていた「どんぐり音楽会」のバッジもそのままいただきました。
放映されたころでしたか、CBCから封書が届きました。
ご出演ありがとうございました、という内容のお礼状でした。律儀でこれもありがたく思いました。2回前のところにある写真はこの時同封されていたものです。当日写真撮影は禁止されていたようで、あの写真は局の方から、記念に、ということで頂いたものです。先日実家でアルバムを見ていたら、その写真が挟んであったので、ブログで使わせていただきました。
そして、そこに、もう1枚の手紙が…
45年も昔ですのでうろ覚えですが、このような内容でした。
「どんぐり音楽会、出演おめでとうございます。司会の石川進です。あなたの活躍、素晴らしかったですよ(活字なので全員に同じ文書を出したと思われる)。これからの頑張りにも大いに期待します。
さて、私、キューピーちゃんこと石川進、実は、タレントや司会もしていますが、実はプロの歌手でもあるんですよ(知ってた)。私も歌手として頑張っていますが、みなさんのような新しい時代を背負っていく子たちを、音楽の面でサポートしていきたいという夢も持っているんです。
もしも、これからも歌の世界で頑張っていきたい、という夢をお持ちならば、私と一緒に夢をつかんでいきませんか?私は今、名古屋を拠点にスクールを開いていて…(事実この4年後に岡崎市に音楽学校を設立なされます)
以下にある案内状を保護者様と一緒にお読みいただき、よろしければご連絡ください。云々…」
そうです。これは、石川さんの個人的な「スカウト」なのです。
私も一瞬ミーハーな夢に揺り動かされそうになりましたが、家族は冷静でしたし、自分も声変わりを控えていたし、そんなことのために名古屋に通う気などさらさらないし、どうせこういう通知は出演者全員に送っているし。
でも正直罪なことをなされる方だと思いました。中学校進学を控えている子どもの不安定な心情のところに、こういう誘惑をかましてくるのは、いかがなものかと。
今までにも述べてきましたが、自分は猛烈な音楽好きだったと思います。音楽を学ぶような環境はほとんど家にはなかったけれど、「もしも歌って生きていくことができるなら」と思うことさえ、少なからずあった少年時代です。そんなところにこんな通知が来れば、やっぱり心はざわつきます。
でもいろんな現実も分かりかけてきていたこの時期。お誘いはありがたかったですが、返信はせず、どんぐり音楽会を含めたこの件は、幕を引きました。
今だったら、どうなのでしょう?
放送局からの郵便に、出演タレントによる個人的な芸能事務所の入所案内なんて、同封することが許されているのでしょうか?しかも、番組ぐるみでやっている感、ありありでした。
あの番組の提供会社の中に、「石川進音楽学校」でも入っているのならばわからなくもない話ですが…おそらく現在こういうことをやったら、コンプライアンス的にアウトだったのでしょうね。
どんぐり音楽会は、その数年後、司会がマイク真木さんに代わって1983年まで続きました。
小学生が歌謡曲を歌うばかりの番組、メディアへの登竜門っぽい印象がどんどん強くなり、番組としての使命を終えたのでしょう。
長々と、すみませんでした。全く自分の記憶を失わないようにするためだけに書いたようなシリーズですので、客観性を欠き、寄り道だらけの駄文となったことをお詫び申し上げます。
でも、こうやって書き残していると、やはり思い出は甘酸っぱく、温かいものだと感じます。
テレビ番組に出られたということは貴重な経験だし、今でも「あの時、思い切って動いてよかった」と思える出来事なのですが、当時の自分にとっては微妙でした。
私は、会場の多くの人たちに失笑を買うようなことをしてしまった。あれが放送されるのだ、と。
やはり出演するときは我を忘れてうぬぼれてしまうもので、「自分はあの場で大喝采を受けてチャンピオンになり、ヒーローとして収録を終える」ぐらいの気持ちになってしまいます。もちろんそれを人に事前に宣言などしませんが。
しかし少なくとも自分は思ってもみない失敗をしていて、全然かっこよくなかったのです。放映までの2週間、なんと言えばよいのかわからない気分でした。
担任の先生は、社会が専門の先生でした。テレビ局の様子、収録の実際など、何かと詳しくみんなの前で発表させようと声をかけてきました。
大人になるとわかります。今でも、「マスコミ、テレビ局の仕組み」は、5年生の社会の授業で取り扱う重要な単元。それを自分の学級の児童が生で体験してきたというのだから色めき立ちます。100の資料よりも1の生体験。ぜひ学級で披露してほしかったのでしょう。その気持ちは、今では痛いほどわかります。私が担任だったとしても、絶対にそうします。
ですが、私はプチ傷心状態。そんな大人の事情など分かるわけがありません。おまけに、今調べてわかったのですが、おそらく当日のCBCは、著作権その他の関係から、放送局に入ったらもう写真の撮影は禁止。我が家には当日撮影した写真が1枚も残っておりません。2回前の歌っている写真は、出演後、CBCから郵送されたものです(後で述べます)。
当日の出来事も、ここまで延々述べてきたほど複雑で、とても簡単にスピーチできるほどまとめることができません。一応学級で簡単に話しましたが、まったく的を射ない話しかできず、担任の先生も肩透かしだったことだと思います。
【2月19日放映当日とその後】
我が家には、その頃購入したばかりのカセットテープレコーダー(ラジカセではない)があり、それに録音しようということになりました。全部を録っても仕方がないので(?)、自分の歌った部分など一部にしようとしました。ライン録音の機能はありませんでしたので、「生録」です。ですから、録音中は家族みんな、黙って見ていなくてはならず、ちょっとしたストレスでした。(もう残っていないかな…?この時の録音)
祖母も見てくれて、喜んでくれたように記憶しております。
ビデオ録画は、当時は一部のお金持ちだけの道楽でした。まだVHSもベータもない、Uマチックと言われる規格のテープと機械で録っていた時代です。クラスに一人だけ持っていた家庭があって、録画をしてくれていました。
それを学校で見せてくれたかもしれません(そのあたり覚えていないです)。「あげようか?」と言ってくれたようにも覚えています。ですが、うちに「録画できるような機械」を買う財力もなく、確かテープも高価なはず。そんなこんなで、ありがたい申し出ではありましたがお断りしました。VHSテープが一般的になって、我が家でもビデオの機械が買えたのはその6年後のことでした。
放映翌日、私は少し気まずい思いで学校に行きました。かっこ悪い姿をひけらかしてしまったな、と。
でも、クラスメイト達はみんなそんなこと気にせず、「よかった。面白かった。狩人と一緒だったね」と、温かい言葉をかけてくれました。
考えてみれば、自分たちも小学校卒業間近。お互い少しずつ大人な会話ができるようになりつつありました。みんなのねぎらいや温かさが、本当にありがたく、ほっとしたことを覚えています。
【最後に、CBCからまさかの…】
賞品で頂いたハンバーグの素やカステラなどは、本当にありがたく、どれも美味しかったため、しばらくの間我が家の食卓やおやつの時間を充実させてくれました。以前の予選の時は記念の鉛筆もいただいたように覚えています。また、出演の時にはめていた「どんぐり音楽会」のバッジもそのままいただきました。
放映されたころでしたか、CBCから封書が届きました。
ご出演ありがとうございました、という内容のお礼状でした。律儀でこれもありがたく思いました。2回前のところにある写真はこの時同封されていたものです。当日写真撮影は禁止されていたようで、あの写真は局の方から、記念に、ということで頂いたものです。先日実家でアルバムを見ていたら、その写真が挟んであったので、ブログで使わせていただきました。
そして、そこに、もう1枚の手紙が…
45年も昔ですのでうろ覚えですが、このような内容でした。
「どんぐり音楽会、出演おめでとうございます。司会の石川進です。あなたの活躍、素晴らしかったですよ(活字なので全員に同じ文書を出したと思われる)。これからの頑張りにも大いに期待します。
さて、私、キューピーちゃんこと石川進、実は、タレントや司会もしていますが、実はプロの歌手でもあるんですよ(知ってた)。私も歌手として頑張っていますが、みなさんのような新しい時代を背負っていく子たちを、音楽の面でサポートしていきたいという夢も持っているんです。
もしも、これからも歌の世界で頑張っていきたい、という夢をお持ちならば、私と一緒に夢をつかんでいきませんか?私は今、名古屋を拠点にスクールを開いていて…(事実この4年後に岡崎市に音楽学校を設立なされます)
以下にある案内状を保護者様と一緒にお読みいただき、よろしければご連絡ください。云々…」
そうです。これは、石川さんの個人的な「スカウト」なのです。
私も一瞬ミーハーな夢に揺り動かされそうになりましたが、家族は冷静でしたし、自分も声変わりを控えていたし、そんなことのために名古屋に通う気などさらさらないし、どうせこういう通知は出演者全員に送っているし。
でも正直罪なことをなされる方だと思いました。中学校進学を控えている子どもの不安定な心情のところに、こういう誘惑をかましてくるのは、いかがなものかと。
今までにも述べてきましたが、自分は猛烈な音楽好きだったと思います。音楽を学ぶような環境はほとんど家にはなかったけれど、「もしも歌って生きていくことができるなら」と思うことさえ、少なからずあった少年時代です。そんなところにこんな通知が来れば、やっぱり心はざわつきます。
でもいろんな現実も分かりかけてきていたこの時期。お誘いはありがたかったですが、返信はせず、どんぐり音楽会を含めたこの件は、幕を引きました。
今だったら、どうなのでしょう?
放送局からの郵便に、出演タレントによる個人的な芸能事務所の入所案内なんて、同封することが許されているのでしょうか?しかも、番組ぐるみでやっている感、ありありでした。
あの番組の提供会社の中に、「石川進音楽学校」でも入っているのならばわからなくもない話ですが…おそらく現在こういうことをやったら、コンプライアンス的にアウトだったのでしょうね。
どんぐり音楽会は、その数年後、司会がマイク真木さんに代わって1983年まで続きました。
小学生が歌謡曲を歌うばかりの番組、メディアへの登竜門っぽい印象がどんどん強くなり、番組としての使命を終えたのでしょう。
長々と、すみませんでした。全く自分の記憶を失わないようにするためだけに書いたようなシリーズですので、客観性を欠き、寄り道だらけの駄文となったことをお詫び申し上げます。
でも、こうやって書き残していると、やはり思い出は甘酸っぱく、温かいものだと感じます。
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