songbookの自己回顧録

「教えて!goo」で見つめてきた自分自身と、そこで伝えられなかったことを中心につづってきましたが、最近は自由なブログです

君は天然色(元はこういうキーの予定だったらしい)【いい歳して歌ってみた】

2014-08-21 00:18:07 | 音楽
君は天然色(元はこういうキーの予定だったらしい)【いい歳して歌ってみた】

そういうわけで、歌いたくなったし声の調子も、まあ良いので歌ってみました。
特にこういう曲は、耳の調子が悪いときは共鳴しまくるしバランス悪いし、最悪なのですが、
聴こえる時はすごくスケールのでかい音場が繰り広げられるので、天地の思いですね。

もし再発などしてこれを感じられなくなったらと思うと、確かに聴こえるということは天国です
でも、普通の突発性難聴と違い、突発性低音の難聴は再発もあるといいますから、何とか聴覚は無事で過ごしたいと切に望みますし、
聴こえる至福のありがたみを享受していかなければならないと、しみじみ思います。
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聞こえる幸せ、聞こえぬ不幸 ~突発性低音難聴~4

2014-08-18 17:49:30 | ライフ
【どう聴こえているのか、聴こえていたのか】

1週間たってからは、大体同じような症状でした。
とにかく一番厳しいのが、「ヒヨヒヨ」の、変な音程が、正しい音に混じって聴こえている
救急車の音が、あの、長三度の音程で聴こえてこないのには、自分でもあまりの変な音程に笑ってしまい、不謹慎で悲しくなってしまい、何とも情けない気分でした。
小さい音量でも、おそらく一定音域はすべて「ヒヨヒヨ」にかわってしまう。(ひよこの鳴き声のようになる水笛のような音です)
大きい音は、もちろんこもって、割れる。
思い出したようにやってくる耳鳴りや、栓塞感。

左は正常に聴こえているのでしょうが、やはり左耳も「疲れた」と悲鳴を上げているのがわかります。

一般には、普通には、どう聴こえているのだろうか
そんなことばかり考えながら、音を聴き続けている毎日です。

比較することはおこがましくて申し訳ないのですが、例えばベートーヴェンやスメタナのような人たちが、こういう症状から始まる難聴に見舞われていたとしたら、確かに発狂したくなるような気持ちがわかります。

自らが味わってきた、理想とする最高の音の空間を、二度と味わうことができなくなる

たとえ周りの人々が自分の作った音楽で喜んでくれたとしても、自分にはそれを味わうことができない
そう思ってしまうと、やりきれない気持ちになると思います。実際彼らは、そうなってしまい、しかしその中であれだけの音楽を作ったのだから、感服というほかありません。


私の場合、人が歌ったり演奏したりしているところに、「ここはこうだよ」とアドバイスする立場に立つので、正しく聞こえていないことは、非常にまずいのです。
「こう聴こえているんだろうな」と思いながら、というのは、本当に難しい。


9日たち、10日たち、もはや絶望的な気持ちになりかけていました。家族とも話しました。ダメならばダメで、この聴力につき合って生きていかなければならない。こういうものなのだ、と。それに体レベルで納得するまで、時間はかかるかもしれないけど、と。


【希望と喜び】

ところが、13日目のことです。
吹いてきた風が、なんとなく普通に聞こえてきました。今までは、風が吹いても、左側からしかまともに聞こえていなかったのに。
低音が、再び聞こえ始めてきたのです。

ダメなパターンだと、聞こえなくなった音はもうよみがえることがない、と言われていました。蝸牛の中に音を感じ取る毛が何本かあり、そのうちのどれかが損傷することで聴覚の異常が現れると。その毛は再生されることがないので、一度ダメになってしまったら、一生元に戻ることはない、と言われています。

でも、確かに低音が聞こえてきた。

戻れるんだ。

希望が湧いてきました。


それから二日経ちます。
ずいぶん元通りに近い音が聴こえてきているように思います。
まだ耳鳴りもあるし、音割れ等もありますが、格段に減っています。
何より本日の聴音検査で、確かに聴力回復の兆しが確かめられたのです。
完全に治るかどうかはわかりませんが、日常生活上のストレスはかなり減ると思われます。
音楽も、だいぶ普通に聴こえるので、今、また歌いたいという気持ちになっています。

お気に入りの音楽を聴いて、今までどおりに聞こえる嬉しさと言ったら、たまらないものがあります。なんて幸せなんだろう、と。


すごく考えさせられました。
私はつい二日前まで、とても歌を録音して、自分で楽しみたいなどと思うことはできませんでした。相手にどう聴こえるかわからないし、自分も楽しんで聞くことができないし。
現在、再び楽しみたい気もちにはなっているものの、いつまたこんな状況になるかわからない。年齢的にも、成人病や老化は、もう明日やってきても全然不思議ではない。
そんな時、自分は音楽を楽しむことができるのか。

掛け値なしに音楽が気持ちよく聞こえる今、ものすごく考えさせられるのです。
そして、できる限り本当の回復に向かってほしいと思っています。
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聞こえる幸せ、聞こえぬ不幸 ~突発性低音難聴~3

2014-08-18 01:41:19 | ライフ
【続く症状】

 旅行では、飛行機の機内音とずっと付き合っていました。イヤホンで音楽を聴きますが、右の耳からは、予測されていた音が聞こえてきません。
それどころか、妙な音程の音が、ヒヨヒヨ、ヒヨヒヨと聞こえてくるのです。これがかなり私を苦しめます。
ありもしない音が、音楽の、超不協和音となって右から流れてくるのです。

その後、この症状と、ずっと付き合うこととなります。

運転は長く、エンジン音などで結構な音量。長旅で、神経をずっと使っています。
疲労がたまっていくのが、自分でもわかりました。

もちろん旅は楽しいこともいっぱいあったのですが、症状は様々な形で出てきました。
食事中に多少のアルコールはいただいたものの、結構なめまいを感じたのも、きっと偶然ではなかったと思います。
食べながら、頭からくずれ落ちるのではないかと思ったこともあったので、二日目からは飲むのをやめました。

外に出て、風が吹いても、右と左では感じ方が変わってしまいました。「ああ、本当だったら、左耳のように聞こえているんだな」なんて考えてしまう。


この旅行、台風接近時だったので、帰りが予定日通りに帰れるかで、ずっと気をもんでいました。もし帰れなかったら…
このストレスも、かなりでした。
旅行中の宿で、和太鼓の演奏を楽しめるというので、見に行きました。
素晴らしい演奏だったけど、やはり聞こえ方が違ってしまって、寂しさが残ったり、あまりの音量の大きさに、「あ、しまった」と感じてしまったり。


旅行から帰り、再び医者へ。
聴力は、全く改善していませんでした。ここで6日目。すでに、「治る確率の高いエリア」は過ぎております。

同じ薬をもらいました。ちなみに、こういう途中から、点滴治療などに切り替えても、全く改善にはならないそうです。

それからも、相変わらず、耳鳴りがしたり、不思議な音が聞こえたり、口笛を吹いても、ある音の高さ周辺では変な共鳴が顔の中で伝わったり。
仕事が迫っているので完全な安静は難しく、むしろストレスになったり、です。


不思議なもので、こうなってくると、音楽へのエネルギーを注ぐことが厳しくなってくるのです。

まず、変な音が聴こえてしまうし、肝心な音は聴こえてこないから、鑑賞していてもどんどん辛くなってきます。
大音量は耳に悪いので、いつも以上に控えます。
次の機会、「今度こそ少しは元のような聴こえ方で聴こえないかしら」という、わずかな希望を持って聴き始め、
毎回失望する、の繰り返しが果てしなく続く。

歌いたいという気持ちさえ、ほぼゼロになってしまうから、不思議です。
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聞こえる幸せ、聞こえぬ不幸 ~突発性低音難聴~2

2014-08-17 23:39:20 | ライフ
【治療への取りかかりのスピードが勝負、しかし!】

お医者様から言われたことの最初は、「今日から点滴をしていきますか?」でした。
この病気は、治療への取りかかりが早いほど、治る確率が上がる、と、ネットにもたくさん情報がありました。

私もそうしたい気持ちはやまやまでした。
しかし、折悪しく、私は次の日から家族旅行、4日間というスケジュールになっていたのです。
「今日だけ点滴で、明日から薬、ではどうですか?」
「それでは点滴の意味がありません。」
「明日から家族連れて旅行なんですけど」
「どうしても、と引き留めるほどのものではないと思います。旅行も不可とは言いません。ただ、疲れをためないこと、頑張らないこと、それをよく心得てください。」

診察後、看護師からもとどめの一言
「疲れないようにすることですよ。」

はい、と返事しながらも、すでに私の心は、絶望的なものになりかけていました。
旅行は、飛行機を使い、着いてからは、レンタカーで、1日300キロ以上を毎日自分が運転するスケジュールで、事前より、「今回の旅行は今まででも一番ハードだろうね」と言っていたメニューだったのです。

ナビを使うものの、知らない土地で場所を探しながら、時間の中で動いていく4日間。

そりゃ無理だ。

言いたくても、家族のことを思うと、あまり声高には言いにくいところがありました。一応「疲れないようにすることが大事なんだって」とは話しましたが、せっかくの旅行、家族に余計な負担はかけたくない思いもありました。

そうだ。この病気は、治癒率が80%以上。通常なら、3,4日で回復するとも聞く。

そう思い、投薬オンリーを選択し、旅行に出ました。


結果としては、あまり良くなかったように思います。

後で知ったのですが、やはりこの病気は、一番の治療法が、
「即刻投薬や点滴、そして安静、できるだけ音やその他の刺激のないところで。ストレスをできる限り排し、おとなしくしていること」
「勝負は最初の3,4日。その後、2週間たっても状況が改善されないようならば、もうそのまま治らない可能性がかなり高くなる」

ということだったようです。
…しかし、治る可能性もあったし、数十万円かけている旅行を、これによってキャンセルというわけにも…と、
できるだけ楽しんだものの、非常に複雑な心境の旅行でした。
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聞こえる幸せ、聞こえぬ不幸 ~突発性低音難聴~1

2014-08-17 23:13:04 | ライフ
この2週間ほど、歌える時間はありました。録音をしたいなと思っていました。

ところが2週間前、突然症状はやってきたのです。「突発性低音難聴」右耳様に。

記憶のあるうちに書き留めておきます。

8月5日夜、右耳側に突然今までにない大きな耳鳴り。
それまでにも耳鳴りはあったし、耳の奥のリンパが痛いということはしょっちゅうでしたが、どれも一過性でしたし、その後の聴覚の異常につながるものはありませんでした。
原因は、あとで言われればいくらでも心当たりはあります。
・規則正しくない生活、栄養の偏り
・ストレスの蓄積
・近い日に使っていたヘッドホンの酷使、大音量
・もともとバンド、音楽に浸かっていた生活

当日は暑い中、仕事をして、やけに仲間に比べて疲労が強いな、とは思っていました。

それでも、やはり唐突感は否めません。妙な耳鳴りを感じながら入浴。その後、時間がたっても抜けない耳鳴り。
「普通ではない」と感じ、試しに両耳に指をあてるなどしてみると、右耳の聞こえが明らかに悪い。

その後は、いろんな症状がまあ飽きもせず、いろいろ出てきました。
初期は、耳の中で「ゴー…」というような雑音がするのですが、言葉でたとえることができない複雑な音色の組み合わせ。
中低音が多かったように思います。私の場合、高音域での耳鳴りはあまりありませんでした。

耳の中に指を入れる。左では血潮や脈打つ音が聞こえるのに、右では無理やり指を突っ込んでも、聞こえるかどうかぐらい。

多かったのは、栓塞感。耳の中に水が入ったような圧力。
枕をして寝る。右耳を下にしている時と、左耳を下にしている時とでは、聞こえる音が違う。


そのうち、耳鳴りの回数は多少減ってきました。
次に気になってきたのが、耳の中での勝手なエコーです。
水の中で聞いているような音が、音が途切れた後にも聞こえて残っているのです。

これはいかん、と、次の日、耳鼻科で診てもらいました。
中低音の聞こえがかなり悪いと言われ、お医者さんは、病名は言われませんでしたが、もらった薬などから考えても、
明らかに「突発性低音難聴」でした。
ちなみにいただいた薬は、メチコバール、ステロイド剤、アデホス(血管を広げてくれるもの?)胃の薬、そして、「本当にこれは生で飲むものなのか?」と、その刺激の強さ、濃厚さ、はっきり言って、まずさに、逆説的な意味で感動してしまった「シロップ」イソバイド

毎回の30ミリリットルを飲み干す儀式は、それまで食べていた食事の美味しさと感動をすべて帳消しにしてくれる、ハードボイルドでソウルフルな私への挑戦状でした。

思わぬ形での闘病生活の始まりでした。
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