songbookの自己回顧録

「教えて!goo」で見つめてきた自分自身と、そこで伝えられなかったことを中心につづってきましたが、最近は自由なブログです

NGTが隠している可能性を探る

2019-04-23 00:56:16 | マスコミ関係
思った以上にNGTの山口さんのことが取り上げられました。
私も少し前に記事にしていたので、今回の結末は最悪の流れである、とするところは否定しません。

ただ、世論やネットの流れが、
2010年に書いていた一連の記事「いじめはあったのか」と
よく似た展開になってきているので、少し思うところを述べさせていただきます。


まずもって思うのは、NGT、もしくはAKS運営の対応が、あの頃のいじめ事件と校長の対応、マスコミの叩き方にあまりにもそっくりになってきたな、と。
だとすると、「表沙汰にしたくない、隠すべきこと」がどこかにあるのではないかということです。

私、前回の記事ではさんざん運営側、オタ側を叩いてきましたので、まずは多少運営側に立って述べるところから始めたいと思います。

1.評価すべきことは、メンバーが集まって話し合う場を設けたこと
 かつてNMBの須藤凜々花さんの件で、致命的な「意志のたしかめ合いのなさ」を批判したことがあります。
 私はあの件以降、今もNMBは立ち直っていないと感じています。当時のメンバーがだいぶ抜けたから、ここからが正念場だと思うのですけどね。

 それに比べれば、ま、とりあえずNGTがいったん運営代表とメンバー全員を集めて(と言っても山口さんがいないので大問題ではあるが)意見を聞き合う場を作った、というだけでも
 多少の進歩はあったと思います。といっても、フランス革命直前に行われた170年ぶりの三部会並みの成果だったかもしれませんけどね。

2.責任者が顔を出した
 これも私がだいぶ昔から(偉そうに?)叫び続けていたことでしたが、責任者の存在しないところが、このグループの最大の悪行です。
 メンバーが危機に陥っても、スキャンダルを起こしても、誰も守ってくれない。
 で、指原さんがようやくテレビで叫んで、責任者が顔を出しました。といっても、全責任を負う人ではなかったようですが。
 責任者は、メンバーを評価し、守るべくは守り、より良い方向に導いていかなければなりません。その辺ちょっと心配ではありまして、後述します。


3.それでは運営は何を隠す必要があるか
 ズバリ言うと、①「山口さんの言い分はほぼ正しいが、100%ではない」
 ②「性の問題を全て公表することは、デメリットである」
 ③「金持ちオタの財力抜きで運営を行う方策が見つからない」ではないかと考えられます。

①について
前回の記事では、山口さん、正しい、と書いておりますし、無下に否定する気もないのですが、
もしかしてその中に、「山口さん本人の中では非常に大きなことであっても、客観的な目で見たらそれほどでもない」部分が混じっているところはなかったでしょうか?
メンバーの意見と付き合わせたとき、そういうところが見え隠れしたとしたら、第三者も判断に迷うところは出てきます。現場にいたわけではないのですから。
また、山口さんは、本当はその疑惑のメンバーに対して、どうあってほしいと願っていたのでしょうか?
やはり解雇でしょうか。もう本当は顔も見たくない状態なのでしょうか?そのあたり、全くはっきりしないのです。
そして、その山口さんの願いは、客観的に正しいのかどうか。
疑惑をかけられたメンバーの本心はどうなのか。いまだにわからないことだらけです。疑惑のメンバーに、おそらく後ろめたいところはあるでしょう。
でもその娘たちの言い分を全く無視するというのもどうか、ということです。

ここに、「性」という問題が絡むから、ややこしいことになります。

②について
年頃で美女の娘さんたちに「安心安全の処女性」なんてものを押し付ける赤ん坊のようなバカオタが支えているものだから、グループが成長できるはずがありません。
個人的にいろいろ突き詰めていけば、結構な割合のメンバーが、何らかで男性とつながっていることぐらい、容易に想像できます。
たとえ身体的な関係にならないとしても、一部影響力のありそうな男性とつながることができれば、自分にもチャンスが巡ってくる可能性が高まるのです。
アイドルの女の子たちに、選択肢が迫られます。「甘んじて、チャンスを得る」「そこまでしてのし上がりたくない」
結局はここでのすれ違いとしか思えません。私は前回も述べたとおり、どちらが正しい、ということはないと思います。
絶対的に許せないのは、それをいいことに女の子を食い物にする意男の存在。

でも世論は、チャンスのために甘んじようとする女の子に対して、盲目的に叩こうとします。
私はそこに待ったをかけるべきだと考えています。
昔から変わらないやくざな芸能界のコネ作りに、メスを入れていかなければなりませんが、それをチャンスに大成した芸能人は100年近く、星の数ほどいることでしょう。
一人一人の男性遍歴を確かめて処罰していくのならば、かなりの割合の芸能人も処罰すべき、ということなのでしょうか?
そこまでは踏み込めないのが現状です。その辺りは前回の記事に詳しいので、そちらをご覧ください。

③について
まさに自業自得なのですが…
NGTと聞いて真っ先に思い出すのが、以前の総選挙で、世間的にはほとんど知られていなかった荻野さんが、速報で1位だったり、
リクエストアワーでNGTの曲がやたらにたくさんランクインしたり、で、他のグループのファンたちが、開いた口がふさがらなくなったことです。

今まででも選挙やリクエストアワーなどで、その年に活躍したメンバーや曲をねぎらって大量投票、というのはありましたが
(私の好きな「てもでも」「初日」もその流れです)
それは、他のグループファンにとっても、「まあまあ」ということで許し合える範囲内のことでした。

しかし、NGT関連での一連の大量投票は、あまりにも常軌を逸しておりました。露骨にもほどがある、「金さえあれば文句は言えないだろう」投票。
正直、それぞれの場は大いに覚めました。ありていに言えば、敵を多く作ったということです。
さらに私に言わせれば、

私は、AKBGがここまで人気を保てた一番の根本が、「歌のクオリティ」と今でも信じています。
歌は上手ではないかもしれないが、他では出せない輝きがあり、声質、楽曲の良さと相まって、素晴らしい曲がたくさんある。
ところが、NGTは、傑作「Maxとき」以後、全く心に響く曲を出していない。メンバーのキャラと「Maxとき」で何とか保ってきたが、そろそろ次の良曲が出ないと、と思っておりました。
そんな時にこの騒動です。

お金は生き物です。人格を持ちます。価値のあるものにつぎ込むのがお金でしょう。
自分たちの欲求、顕示欲を満たすための投資の、「つけ」が今きていると思うのです。
しかし運営は、そのお金を頼りに今までやってきました。今、この「金持ちオタ」「厄介金持ち」を切り捨てたら、運営が成り立たないのでしょう
そんな人たちに支えられてきたグループだったということです。


このグループがもしも消滅してしまうと、その損失額は猛烈なものとなり、
「正しいはずの」山口さんへ何等か恨み言を言いたくもなるかもしれません。しかし、いい加減に目を覚ましなさい、が私の、そして世間の意見でしょうね。
AKSの財力なしに、彼女たちが思うようなアイドル活動をしていける可能性はあまり高くありません。
しかし、いびつな資金に支えられて、そのうえで今後もあぐらをかき続ける気でいるのかどうか

例えば山口さんたちは、そこに否という答えを出し、村雲さんたちは、「体制が変われば可能性はある」と判断して残留を決意したのでしょう。
本来は仲が良く、一緒の夢に向かっていたはずの彼女たちを引き裂いたものは何か。
それをこそ問いただすべきなのでしょう。
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化石山のふもとから 追記 徴用工について

2019-04-15 00:44:08 | ライフ
化石山のふもとから


この記事を書いたものとして、多少の責任を感じているので、追記します。

私は日本の自虐史をねじれた形で伝えようとは、全く思いません。
でも世の中、変に右翼っぽくなっている人も多いようで、慰安婦も、徴用工も、捏造であると


私は前から述べてきているように、慰安婦については、「向こうの供述もどうなのよ」と、韓国北朝鮮の情報のいかがわしさ、自滅につながるような演出交じりの報道に
憤っているところがあります

しかし、違法な形で慰安婦にされ、年齢問わず性的にもてあそばれた人たちがいたことは間違いないと思っております。
とはいえ、これが当時の「国策」として行われたとするあちら側の主張は、的外れもいいところです。
「国策だった」と言われたとしても、私は驚きませんけどね。戦争という時代は、そういう価値観だったのですから。もちろんいいというわけではありません。

で、当時私はこのブログで言っていたのです。「慰安婦ばかり扱うな。性で訴えれば人類は盲目。それならば男性の徴用工も同等に扱うべきだろうが」

と言っていたら、本当に言い始めましたね、韓国。

いや、それでいいのです。ようやくわずかながら、論理っぽくなってきました。
化石山の事件は動かぬ証拠です。こんなようなことが、当時の日本では至るところで起こっていたであろうと想像できます。


87歳を過ぎた近所のおばさんは、戦時中名古屋の工場で女工として働いている時、
韓国から来た女の子たちが不当に痛めつけられているのを見て、「なんてむごいことを」と思いつつ、逆らえずに、下を向いて仕事をしていたそうです。
耐えられなくなった彼女たちは、互いを慰め合うかのように、ひそかに「アリラン」を歌い出して。かすかに聞こえていたけど、当時のおばさんたちは、
聞こえないふりをしてやり過ごそうとしたそうです。

ところがどういう地獄耳か、その歌声を聞きつけた工場の上官が再びその娘たちを引っ張り出して、さらに激しく痛めつけたそうです。
とても見るに堪えない惨状だったと言います。
おばさんは付け加えます。

「確かに日本は戦後、徴用工の人たちに賠償金は払ったけど、あの女の子達みたいなちっぽけな存在の人たちには、いきわたったとは思えないよ。
うらみを馬鹿にしちゃいけない。いまだに訴えたくなるようなことを、した人たちはいるんだよ。」


その通りなのだと思います。
この前朝ドラで取り上げられていた日清食品の方のように、上手に動いて「台湾人として、戦時補償金を請求」を通し、結構な金額を手に入れた人もいますが、
下々の人にまでは、日本の補償金は行きわたらなかったのだと思います。それでも安穏の生活に戻れたのだから、と数十年
そんな時に日本が、「私たちはあの時に十分補償はした。あの話はこれでおしまい。」
と言われたら、「ちょっと待ってください」と言いたくもなるでしょう。


実際に今の韓国がやっているように、現在の大手企業に対して改めて補償金を請求するというやり方が正しいのかと言われると
これは大いに疑問、というよりも間違いだと思うのですが、

歴史の証拠、生き証人を知っている「最後の世代」として、
我々の世代は、責任をもって、「不当な徴用は確かにあり、十分な補償はされなかった」「慰安婦という名の無差別性暴力は確かにあった」
ということは、はっきりと言い残していかなければなりません。

しかし何度も繰り返しますが、これを現在の価値観で審議して補償し直す云々、ということは、もうやめたほうがよいのです。
非人道 それが戦争、しかも窮状に陥った時の戦争
すべての国がやってきたこと、そして今なお行われていることであり、全世界レベルでこれ(補償の再審議と実行)をやり始めたら、再び戦争突入しかないほど
負の連鎖が続くことは明白だからです。


私たちは、罪を知るべきであり、いわれのない汚名を着せられながら生きながらえてきた方々に対し、個別に遺憾の意を誠意をもって示すべきだとは思います。
何より、そうした事実を伝えながら、私たちはいつでも「加害者側」になりうる存在であることを知るべきなのです。

しかし、卑屈からは何も生まれません。


誇るべきところは誇り、過ちがあれば根底から原因を探り、相手を尊重しつつより良い道を探っていくほかないのです。
だから真の被害者の人たち(化石山の人々は全員そうだったと思います)は、恨みで罵倒し続ける人生を歩まず、不当な補償にも目をつぶり、
明るい未来へと希望を語り継いだのではないかと思うのです。


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