songbookの自己回顧録

「教えて!goo」で見つめてきた自分自身と、そこで伝えられなかったことを中心につづってきましたが、最近は自由なブログです

松田聖子さん2~1980年へ~

2007-03-28 21:24:23 | 音楽
初めて、自分自身で「この人は歌がうまいんだなあ」と思った女性歌手は、岩崎宏美さんでした。歌のうまい人は、実際にはたくさんいたと思うのですが、私が、「この人は歌がうまいのかどうか」を判定した基準は、年末の賞レースでの歌い方でした。(ばかですね)

つまり、かわいいだけの女の子は、新人賞などの賞を取ると、泣いてしまって歌にならない。そういうときでも最後まで歌いきる人こそ、本当に歌を大事にしている人だと。

バカな判断基準ですが、小学生なりには、よく考えたと私は昔の自分の頭をなでてやりたい。で、その基準を満たした方が、岩崎さんだったのです。今聴いても、デビュー当時の岩崎さんの声は、神がかり的にさわやか。

そういう意味で言えば、1980年にデビューした聖子さんなど、不合格のきわみのような人だったはずなのです。大体、「ぶりっ子」などという言葉を作り出す元になったぐらいの人ですから。

そんな私がなぜ一時期聖子さんに走ったか。それは、じわりじわりでありました。
入り口は、やっぱり「資生堂エクボ」CMでした。(同世代なら、誰でも知っている)ご多聞にもれず、私も、あの画像に出てくる女の子(山田由紀子さん)が歌っているものだと思っていました。

「いい歌だなあ」と思ってしまったのですね。

また、自分も年齢的に、ちょっとませてきたし、ザ、ベストテンだけが歌謡曲ランキング番組だと思っていた私が、ラジオを聴くようになり、自分が何となく気に入っている曲がこぞって上位にいることをはじめて知った時期でもありました。

歌謡曲と言うものは、世間で勝手に決まってくる上位ランクの曲を受動的に聴くものだと思っていたのに、実は、自分たちのリクエストなどによって、好きな曲を上位にすることができる。すなわち、私たちの世代が主役となって、流行の音楽を決めていくことができるのだと知った頃でした。

「裸足の季節」は、何となく心に残る歌でした。が、この人が、このあと「青い珊瑚礁」でビッグヒットを飛ばし、歴史に名高い「涙のない泣き顔」で「おかーーさーーん」と電話して、まともに歌わなかった松田聖子さんという人であることとは、まだつながっていませんでした。
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寄り道!植木等さん哀悼

2007-03-28 06:26:35 | 音楽
全国、今頃同じことについて書き込みをしている人は相当いるとは思うのですが、今日はどうしても書かずにはいられない気分になりました。

植木等さんがお亡くなりになりました。

ギタリストにして、クルーナー唱法のボーカリスト。
本格派のようでいて、どこかがちょっととぼけた声。

クレイジーキャッツ全盛時代を体験していない私にとって、植木さんがどれほどのヒーロー性を発揮していたかは想像もできないことではありますが、本人の普段の生活や性格と、舞台、テレビ、映画で繰り広げられる「無責任男」とのギャップが、これほどまでに激しい人も珍しいでしょう。でも後年、国民は、このギャップをも飲み込んで、植木等という人が大好きになっていったのだと思います。

自ら企画した「スーダラ伝説」が空前のヒットとなったのが平成の始めごろ。その年の紅白歌合戦で最高視聴率を稼いだそうです。この時の相手、紅組がB.B.クイーンズの「踊るポンポコリン」だったことも、よく覚えています。

この勢いで、既に60歳を越していた植木さんがワンマンライブをしているところの映像を見たことがあります。楽しさと暖かさが伝わってくるライブでした。小林信彦さんの本によると、このライブの大成功のあと、プロダクションの方からねぎらいの言葉をいただくと、
「お、じゃ、まだ営業、いけますかね?」とうそぶいて、例の高笑いをされたといいます。でもそのあと、奥さんにこっそりと、
「これでもう、死んでもいい…」とぽつりとこぼされたそうです。どちらも本物の植木さんの姿ですね。

こんなところで語るにはあまりにも不用意なので、伝えることができないのが残念なのですが、この時のライブこそが、ミュージシャン植木等が一番やりたかったことだったのではないか、と私などは考えてしまうのです。

あれだけの人だから、芸能人としてのスランプ、停滞期など全くなかったかのような錯覚をしてしまうのですが、実際にはかなり波乱万丈だったようだし、そういえば、と思い当たるふしもあるし、何より、ご本人が本当にやりたかったことができた時期というのは、それほどはなかったのかもしれません。

しかし、画面に出てくるだけで、何となくこちらの表情がゆるんでしまう、オーラと存在感。出てくると、見てしまうという吸引力。私たちは、植木さんの出る番組にどれだけ力を与えられたかわかりません。当たり前のことなのに、この人が亡くなるということは、想像することすらできませんでした。今はただ、ご冥福をお祈りするだけです。
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