songbookの自己回顧録

「教えて!goo」で見つめてきた自分自身と、そこで伝えられなかったことを中心につづってきましたが、最近は自由なブログです

寄り道!植木等さん哀悼

2007-03-28 06:26:35 | 音楽
全国、今頃同じことについて書き込みをしている人は相当いるとは思うのですが、今日はどうしても書かずにはいられない気分になりました。

植木等さんがお亡くなりになりました。

ギタリストにして、クルーナー唱法のボーカリスト。
本格派のようでいて、どこかがちょっととぼけた声。

クレイジーキャッツ全盛時代を体験していない私にとって、植木さんがどれほどのヒーロー性を発揮していたかは想像もできないことではありますが、本人の普段の生活や性格と、舞台、テレビ、映画で繰り広げられる「無責任男」とのギャップが、これほどまでに激しい人も珍しいでしょう。でも後年、国民は、このギャップをも飲み込んで、植木等という人が大好きになっていったのだと思います。

自ら企画した「スーダラ伝説」が空前のヒットとなったのが平成の始めごろ。その年の紅白歌合戦で最高視聴率を稼いだそうです。この時の相手、紅組がB.B.クイーンズの「踊るポンポコリン」だったことも、よく覚えています。

この勢いで、既に60歳を越していた植木さんがワンマンライブをしているところの映像を見たことがあります。楽しさと暖かさが伝わってくるライブでした。小林信彦さんの本によると、このライブの大成功のあと、プロダクションの方からねぎらいの言葉をいただくと、
「お、じゃ、まだ営業、いけますかね?」とうそぶいて、例の高笑いをされたといいます。でもそのあと、奥さんにこっそりと、
「これでもう、死んでもいい…」とぽつりとこぼされたそうです。どちらも本物の植木さんの姿ですね。

こんなところで語るにはあまりにも不用意なので、伝えることができないのが残念なのですが、この時のライブこそが、ミュージシャン植木等が一番やりたかったことだったのではないか、と私などは考えてしまうのです。

あれだけの人だから、芸能人としてのスランプ、停滞期など全くなかったかのような錯覚をしてしまうのですが、実際にはかなり波乱万丈だったようだし、そういえば、と思い当たるふしもあるし、何より、ご本人が本当にやりたかったことができた時期というのは、それほどはなかったのかもしれません。

しかし、画面に出てくるだけで、何となくこちらの表情がゆるんでしまう、オーラと存在感。出てくると、見てしまうという吸引力。私たちは、植木さんの出る番組にどれだけ力を与えられたかわかりません。当たり前のことなのに、この人が亡くなるということは、想像することすらできませんでした。今はただ、ご冥福をお祈りするだけです。

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