songbookの自己回顧録

「教えて!goo」で見つめてきた自分自身と、そこで伝えられなかったことを中心につづってきましたが、最近は自由なブログです

やっぱ君が代10~とりあえずここまで~

2007-03-23 01:19:09 | 音楽
まあ実際には、君が代に対して疑念を抱く人、好きになれない人はいるでしょうが、式典で行動に移す人は本当にわずかな人であることは確かなようで、とりあえず安心しました。

だって、どう考えても異常ですもの。前回の私のたとえを参照にしてみてください。

さて、もういい加減この件に関しては一段落させたいので、もう一つだけ触れておきたいことを少し。

「君が代のメロディーは暗い。陰鬱だ。」

よく聞かれる言葉です。
何となく、わからないでもありません。でも私は、教えて!gooの回答で、常々、次のように述べてきました。
音楽を、明るいか、暗いか、というベクトルでしか感じることができないようでは、感性は貧困であると断じざるを得ない。少なくとも君が代は短調でも長調でもなく、日本の旋律である。

君が代を聴いて、暗いという印象以外の何も浮かんでこないようであれば、なるほど、確かにもう君が代が国歌としての扱いを受けるのは無理かもしれない。しかしそれは同時に、日本人が古来持っていた美意識のひとつが、完全に消え去る時でもある。…と。

ある程度以上の年代層ならば、私は日本人は、洋楽のフォーマットと、邦楽のフォーマットの少なくとも二つを持っていると思っています。それが、最近はどうも怪しい。生まれてこの方、邦楽らしきものを一切聴かずに育った、という世代が増えているようで、ちょっと困惑しています。

邦楽のフォーマットがされていない人には、君が代のメロディーは、ただの陰鬱な旋律にしか聴こえないかもしれません。もちろん前回例に挙げた越天楽や浪花節、詩吟、声明、下手すれば「さくらさくら」まで。そうなってくると、私が個人的に思っている「日本人の音楽の美意識、アイデンティティー」などは、既になくなっており、タンポポといえばセイヨウタンポポのことを指すのと同じような、洋楽ベースオンリーの価値観で全ての音楽を語る日本人ばかりになっていくのかもしれません。

でもそれは、なにか惜しい気がしてなりません。

明治初期に日本のさまざまな風俗を写真に収めてコレクションとしたアメリカの写真家(「百年前の日本」モース・コレクション)が、写真を撮りながらメモした言葉に、「これらの姿はおそらく数十年としないうちに欧米化の波に飲まれて消え去っていく姿であろう。私は今の素朴で美しい日本の風俗を映像に残しておきたいのだ。」という内容のものがあったそうです。何という先見性!

考えすぎかもしれませんが、私はエッケルト氏が、全く同じようなことを考えて、現在の君が代に、あのハーモニーをつけ、現代に残していったように思えて仕方がないのです。この君が代は、古い文化を持った者から、「日本の美意識を残しておきたい」と、将来の日本人へのメッセージのように受け止められるのです。
コメント (1)
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