songbookの自己回顧録

「教えて!goo」で見つめてきた自分自身と、そこで伝えられなかったことを中心につづってきましたが、最近は自由なブログです

やっぱ君が代5~今日は思いっきり屁理屈だけど~

2007-03-13 22:35:10 | 音楽
今日の意見が支持されるとは思っていませんが、ちょっと言ってみたくなることを、極めて無責任に述べたくなったので、少し。

「君が代」…どう曲解しようと、天皇の世の中。
では、今はどのような「天皇の世の中」かというと、象徴天皇を国民の総意として位置づけた、民主国家、法治国家です。

立憲君主制ではありませんが、近いイメージを感じています。
この歌が、現在まで歌われ続けていることに対して、私は、かえって逆説的に、「日本の平和の偉大さ」を感じます。もしかしたら、現在のように議論が行われること自体が、平和の証なのかもしれません。

現状から常識的に考えてみましょう。日本で戦争が起こりそうになったとき、現況から、「天皇陛下のもと」日本人が一致団結して、天皇陛下のために命を投げ出して戦争に向かうと思いますか?

日本人のアイデンティティーを、長く続いている天皇の血筋に求め、その優秀性などをときながら、排他的な理論をかさに、戦争へ突っ走っていくと思いますか?

もしも日本が将来戦争へ向かうときがあるとすれば、それはまさに、天皇ではない、別のものによって国民を間違った方向で一致団結させ、ナショナリズムに酔わせる為政者が現れるときに違いありません。天皇の下に、戦争のために団結しようとする人が多数派になる可能性は、まず考えられません。

「君が代」が支持されている間は、日本はまだまだ平和です。平和のための歌を国歌に、などという声がよく聞かれますが、そんなものは私に言わせれば、「平和教」的な、恣意的な曲にしか過ぎません。

国策とか、戦績などのヒーロー性を全く持たない、まさにシンボルでしかない天皇という人に対して、「あなたを祭り上げているような状態で保つことができているこの国の状態が、永遠に続きますように」と歌っているわけです。こんな人(たち)のために「宮内庁」などという機関まで作られ、皇族の方々の交流活動や生活のために結構な金額が使われているのだけど、「それもよしとしようよ。歴史ある一族を、わかりやすい形で残しているのだから。」と、心の余裕を持って受け入れているわけです。

平和な世の中でなければ、こんなことはありえないことです。

屁理屈とは思われるでしょうが、本当に日本が、平和でない国へと歩き出そうとしたとき、真っ先に抹殺されるのは、君が代だと私は考えております。かといって、もちろん、君が代こそが平和の明かし、というつもりではありません。君が代という歌が残り、いまだに受け入れられている国民の心のありように、平和があるということです。

さて、そうすると当然、「この歌とともに戦地で亡くなっていった人たちの心」「つらくて思い出したくない人の心」への配慮はどうなのか、という質問をする人が出てくるでしょう。

前回の音楽面も含め、ここらあたりから本題になってくるとは思うのですが、私もちょっと心のエネルギーが要ります。これに触れるには。余裕があれば、近日中に述べます。
コメント
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