songbookの自己回顧録

「教えて!goo」で見つめてきた自分自身と、そこで伝えられなかったことを中心につづってきましたが、最近は自由なブログです

やっぱ君が代3~いったりきたり~

2007-03-10 17:23:10 | 音楽
9月の裁判と、2月の判決が、矛盾するようでいて、実は同じことを言っている

と、
前回書いておきながら、そのことに全く触れていませんでした。
いえ、それほど立派なことを言おうとするわけではありませんし、何と言っても法律は専門外です。ただ、大まかな要旨を見れば、素人でもわかりそうなことだって、あるものです。

でも、その肝心なところを、なぜマスコミ、世論は確認しないのか…ということで。

1.9月の判決では、東京の教育委員会の「処分」に違憲性があることを述べています。簡単に言えば、「そこまで処分をやってしまっては、人権を守る意味でも、やりすぎだろう。」と。

2.一方2月の件では、「そんなことでそこまでの行動を起こして公共性をわきまえない言動は、正当とは認められない」と。

つまり、「君が代に異論があるからといって、公共の式典で演奏することを故意に拒んだり、政治的とも思える抗議活動を公の場で行ったりすることは正当とは認められないし、はなはだしいときは処分も考えられることだ。しかし、東京都が行っていた処分は、その意味では、妥当とは思えないほど厳しい処分と考えられる。」

大変に納得のいく2つの裁判じゃないですか。至極全うなことを言っているとしか思えません。

でも、対象が「君が代」であることもあり、マスコミにとってはどのようにでも曲解したり、あおったりする記事に仕立てることもできるものだったのでしょう。私も含め、みんな、見事に踊らされました。

で、ちょっと気になるのは東京地方裁です。すなわち、東京の教育委員会が定めている処罰の基準には、違法性があると言われたも同然だからです。

私も個人的に言わせてもらえば、違法性があると思っています。世論の多くが毛嫌いしている、「罰をつけての強制をしてまで、君が代を歌わせるというのは、ちょっとどうかな。」というやつです。

そうです。強制はみんな好きではない。私も嫌い。
本当は、歌っている児童生徒、保護者が「これは強制で歌っているんだなあ」と感じてしまっていたら、もう終わりなのです。その歌は、死んでしまっています。

じゃあ、強制までして法制化しなければならなかった後ろ側には、何があったのか。それを思うと、私は、怒りに肩が震える思いです。同業者、特に音楽関係の同業者には、万死に値する断罪をしたい。
君が代という、ひとつの音楽を死に追いやった重罪です。

では、いずれまた詳しく。
コメント (1)
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