songbookの自己回顧録

「教えて!goo」で見つめてきた自分自身と、そこで伝えられなかったことを中心につづってきましたが、最近は自由なブログです

やっぱ君が代4~だけど音楽~

2007-03-11 21:53:02 | 音楽
前回、厳しい言葉を言い捨ててしまいましたが、そのままほうっておくのもどうかと思いましたので、私なりの論拠を述べます。

「万死に値する」決して大げさに言っているのではありません。
しかしこれは必ずしも、君が代に対してだけ言うのではありません。音楽教師という立場の人間があのような行動をとる、立場上の責任をどう考えているのか、ということが言いたいのです。

小学生が、ひとつの歌を好きになるか、きらいになるか。
放っておけば、小さな子は、ある程度以上に音楽的な曲ならば、気に入って歌うことでしょう。君が代は、(いずれ述べますが)音楽的に価値のある曲だと解釈しております。
人間、嫌いなものよりも、好きなものが多いほうが、幸せに決まっています。

しかし、将来好きになるかもしれないものを、意図的な操作によって、嫌いにさせる権限が、音楽教師にはあるのでしょうか。未来永劫、好きになってはいけないと命令することは、これこそ「強制」です。

嫌いにさせることは、簡単です。
教室や音楽室、体育館で、その曲のマイナス面ばかりを語り、「こんな曲を大事に歌うなんて、変だよね。」と閉める。
そうでなくても、学級や全校が、ある曲を歌わない、または蚊のなくような声が聞こえるかどうかのような場を体験し続けたら、その子には、「この曲は、あまり歌ってはいけないんだ。」という印象を持ちます。別にこれは、君が代に限ったことではありません。

音楽教師の役目は、少なくとも、歌いたい子には歌わせてあげられるようにする。
そのための場を確保することです。個人的に歌いたいと思っている子がいたとしたら、その場を、歌いにくい場にするべきではないですし、そこは、教師の配慮で何とかなるものです。

よく言われる「歌いたくない子を無理に歌わせるな。」バカ言っちゃあいけません。歌いたくない人なんて、そんなこと言われなくたって、絶対歌いませんよ。
音楽教師の仕事は、あくまでも「歌わせること」音楽的価値を体感させることです。

だから言うのです。君が代を歌わせない、歌わせない雰囲気を作り出した音楽教師。その人たちには、歌いたい人をも歌わせないような場を作るほどの、猛烈な「緊急性、禁止性」を君が代に認めるのか。

私はかつて、教えて!gooで、そのような質問者とやり取りしたことがあります。君が代には否定的な質問者でしたが、よく聞くうち、質問者は小学校当時、君が代を歌う雰囲気が体育館になかったこと、歌う前から、君が代に対する否定的な論を聞かされていたことがわかりました。現在君が代について否定的な人についても、実は君が代を歌う場で、この人のような体験をしてきたという初期体験をしている人も多いのではないか、と感じております。

私もいくつかの学校をを経験しましたが、校歌のほうが、よっぽど音楽的に「?」なものが多かったです。この校歌を、この子たちは、母校の宝物として、一生背負っていくのか。本当に私が、この校歌を子どもたちに馴染ませてよいのか、など。

…まだ上手に語ることは出来ませんが、もうそろそろ、本当に、曲の中身について語っていかなければいけませんね。でも、まだまだわき道から語っていくかも。すみません。
コメント (2)
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