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2010年12月13日赤穂浪士の討入り.

2010-12-14 17:18:42 | 日記
2010年12月14日【火】
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1.赤穂浪士の討入り(1702)

元禄15年12月14日の晩(今の時刻では15日の午前4時頃だが、当時は明け方
から1日が始まる感覚があったので14日深夜と考える)、赤穂浪士47名が
吉良上野介邸に押し入り、上野介を殺害して主君の仇を討ちました。

この事件は『忠臣蔵』という名前で語り継がれています。

事件の発端は1年半前、元禄14年3月14日午前11時頃のことです。赤穂藩主・
浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)長矩が、江戸城・松の廊下で吉良上野介
(きらこうづけのすけ)義央に斬りかかる事件がありました。

浅野内匠頭は皇室の使者を迎える準備に携わっていたのですが、そのおり、
要領がわからずに吉良上野介の不興を買って馬鹿にされたため、発作的に
このような愚行に及んだと言われています。

浅野内匠頭はそばにいた大奥留守番役・梶川与惣兵衛に「殿中でござる!」
と必死に抱き止められましたが、上野介は背中と眉間に傷をうけました。

殿中(江戸城内)で抜刀するというのは絶対的な禁止事項。事件を聞いた
徳川五代将軍綱吉は激怒、その日のうちに内匠頭に切腹を命じました。

歌舞伎(仮名手本忠臣蔵)では吉良が「この船侍め」などと言い、それに対
して浅野が怒って前から斬りつけることになっています。なおこの「松の廊下」
の後には現在石碑が立っており、誰でも皇居にいけば見ることができます。

切腹の知らせは早馬により3月19日、赤穂に到着。城内には家臣が集まり騒然
とします。そして吉良上野介にはおとがめがなかったことと、赤穂藩が取り
つぶされることになったことが次々と到着する使者により明らかになります。

やがて幕府から正式に城下から去るよう命じる文書が届くと、家臣たちは口々
に籠城して幕府に対抗しようという声をとなえます。

その幕府側の受城使は、4月16日に赤穂に到着しました。赤穂藩の遺士たちの
抵抗も予想されたため6000人の軍勢を連れてきていました。これに対して、
赤穂藩国家老の大石内蔵助(おおいしくらのすけ)良雄は家臣たちに籠城策
を取ったり全員切腹して果てることを許可せず、そのまま幕府に城を引き渡
します。


内蔵助ら赤穂藩と幕府側との城引渡し事務は6月25日までかかっています。
この時点で赤穂藩は浅野内匠頭の息子の浅野大学をたててお家を再興できる
よう幕府に願い出ており、内蔵助もそれに一縷の望みを託して、赤穂を発ち、
京都山科に移りました。

一方幕府は浪士たちが敵討ちに出るのではないかと警戒、内蔵助の周辺にも
間者を配置しますが、当の内蔵助はそのような様子はみじんも見せずに京都
で連夜のように豪遊、その様子に内蔵助の近くにいて敵討ちに燃えていた
藩士たちも次々と彼の元を去っていきます。

そんな中9月2日、吉良の屋敷が幕府の命により、江戸城内呉服橋御門内から
本所へ移されました。この不可解な移動は、幕府がわざわざ赤穂浪士たちに
仇討ちをさせやすいように警備の手薄な本所に移させたのではないか、と
今日では憶測されています。

11月2日、大石内蔵助が江戸に入りました。緊張が漂いますが、内蔵助は亡き
主君の墓に詣でただけで再び京都に戻りました。そしてまた京都での豪遊を
続けます。内蔵助はあくまで浅野大学に関する沙汰を待っていました。

しかし翌年7月18日、いったん閉門扱いになっていた浅野大学の閉門が解除
されたものの、大学は屋敷召し上げの上、広島浅野藩お預けになってしまい
ました。これで浅野家再興の望みは絶たれてしまいます。この知らせは24日
京都の内蔵助の許に届きました。

7月28日、京都円山にて内蔵助ら19人の浪士が密かに集まり、吉良邸討ち入
りを決めます(円山会議)。一方江戸では京都からの連絡を受けた堀部安兵
衛が隅田川船上で同士たちを集め意志を確認しました(隅田川船上会議)。

昨年と同じ頃11月5日、大石内蔵助は江戸に入りました。昨年と同じ行動です
し、普段の内蔵助を見ていればとても何か大きなことをしそうには見えませ
んでした。警戒は弛んでいます。

しかし彼らは行動しました。


12月14日深夜。討ち入り。参加者47名。

浪士たちは表門と裏門の二手に分かれて吉良邸に侵入。上野介は物陰(一説
では炭小屋の中)に隠れているところを発見され、討ち取られます。吉良邸
は不意を付かれたためほとんど無抵抗の状態で、討ち入り側には一人の死者
も出ていません。討ち入りに参加したのは次の面々です。

大石内蔵助良雄 吉田忠左衛門兼亮 原惣右衛門元辰 片岡源五右衛門高房
間瀬久太夫正明 小野寺十内秀和 大石主税良金 礒貝十郎左衛門正久
堀部弥兵衛金丸 近松勘六行重 富森助右衛門 潮田又之丞高教
堀部安兵衛武庸 赤埴源蔵重賢 奥田孫太夫重盛 矢田五郎右衛門助武
大石瀬左衛門信清 早水藤左衛門満堯 間喜兵衛光延 中村勘助正辰
菅谷半之丞政利 不破数右衛門正種 千馬三郎兵衛光忠 木村岡右衛門貞行
岡野金右衛門包秀 吉田沢右衛門兼定 貝賀弥左衛門友信 大高源五忠雄
岡島八十右衛門常樹 武林唯七隆重 倉橋伝助武幸 村松喜兵衛秀直
杉野十平次次房 勝田新左衛門武堯 前原伊助宗房 間瀬孫九郎正辰
小野寺幸右衛門秀富 間十次郎光興 奥田貞右衛門行高 矢頭右衛門七教兼
村松三太夫高直 神崎与五郎則休 茅野和助常成 横川勘平宗利
間新六光風 三村次郎左衛門包常 寺坂吉右衛門信行

そろいの羽織を着て堀部安兵衛宅に集まって向かった、などという話や
「山」「川」といった合い言葉を使った、という話がありますが、実際は
怪しまれないようにみんなばらばらの衣装で、江戸市内の数カ所に分散して
集合してからできるだけばらばらに吉良邸をめざしたようです。

ただし内蔵助ら数人の武士がほんとうに火消装束を着てたようです。これは
夜中に町を歩いていて見とがめられたときに「火の用心の夜回りをしている」
と答えるためであったと言われています。

赤穂浪士一同はただちに泉岳寺の浅野家の墓の前に上野介の首を捧げ、焼香。
この時、内蔵助は寺坂吉右衛門に密命を与え立ち去らせ、残りの46名の
浪士が自首して出ました。

寺坂は討ち入り直前に逃亡したとか、討ち入りメンバーが全滅するか吉良が
屋敷外に逃げ出した時のためのバックアップ要員として待機していたという
説もありますが、彼は一人だけ武士の身分ではない足軽であったため、内蔵助
ら幹部が寺坂まで罪を問われるのは気の毒であると考え参加しなかったこと
にした、という説に私は魅力を感じます。

さて、この浪士たちの処分について幕府内部ではかんかんがくがくの議論が続
きました。大勢は武士道の鏡であり、あっぱれという意見でしたが、結局は
彼らは死してこそ英雄であるということになり裁可がおります。

翌年2月3日、幕府より切腹の命令伝達。翌日夕方、46名全員切腹。泉岳寺の
浅野家の墓の周りに埋葬されました。浪士たちの遺児も遠島などの処分になり
ます。

その後のことも少し述べておきましょう。

6年後将軍綱吉が死去しますと、6代将軍家宣の就任に伴う恩赦が行われ、
浅野大学の処分は解かれ、浪士たちの遺児の遠島も解除されました。

そして宝永7年(1710)9月16日、浅野大学は安房の国に500石を与えられ旗本に
取り立てられました。また大石内蔵助の三男の大三郎が広島浅野家に召し抱え
られています。

浅野大学のその後の子孫については詳しいことが分かりませんが、大石大三
郎の子孫は今でも続いていて、現在内蔵助から数えて11代目になっている
そうです。この直系の子孫の大石雪絵さんが演歌歌手をしているというのも
よく知られています。


四代目鶴屋南北の『仮名手本忠臣蔵』は文政8年(1725)7月初演されました。
ここで「仮名手本」というのは、浪士の数が「いろは」の数47と、ちょうど
一致していたことによります。

南北はこのセンセーショナルな事件を見事にメロドラマに仕立てました。当時
の歌舞伎とか人形浄瑠璃というのは今でいえばお昼2時頃のテレビの連続ドラ
マのようなものです。

彼はさらにこの事件のサブストーリーとして「東海道四谷怪談」を組み立てて
います。それについては例えばこちらを参照してください。


2.ノーベル化学賞受賞の根岸英一氏、ソニーのエグゼクティブ・リサーチ・アドバイザーに就任
RBB TODAY 12月13日(月)16時14分配信

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根岸英一氏
 ソニーは13日、2010年のノーベル化学賞受賞者である根岸英一氏を、材料デバイス分野の研究開発領域におけるエグゼクティブ・リサーチ・アドバイザー(特別研究顧問)として招へいすることを発表した。

【その他の画像、より大きな画像、詳細なデータ表など】

 今後、根岸氏は、ソニーが有機エレクトロニクス分野において、社内外の拠点で進めている各研究テーマの報告会などに参加して助言するほか、中長期的な研究計画や優れた研究者育成についてもアドバイスを行う。これにより、ソニーは、有機エレクトロニクス研究開発における社内研究者の活性化を目指し、その結果その研究開発が加速されることを期待しているとのこと。

 ソニーでは、有機ELディスプレイ、フレキシブルディスプレイの背面回路などに用いる有機トランジスタ、有機太陽電池の一種である色素増感太陽電池、次世代充電池向けの電解質、植物原料プラスチックや再生プラスチックなど、有機化学や有機合成の技術を基盤とする研究開発に取り組んでおり、これらの技術を次世代のソニー製品のコア技術として実用化すべく、研究開発を加速している。

 ソニーでは、有機エレクトロニクスに関して、材料デバイス分野の基礎研究を行う「先端マテリアル研究所」と、より実用に近い次世代デバイスやシステムの開発を行う「コアデバイス開発本部」を設置しており、東京(品川区、港区、東京医科歯科大学オープンラボ)、神奈川(厚木テクノロジーセンター)、独・シュツットガルト(マテリアルサイエンスラボ)、シンガポール(シンガポールリサーチラボ)、米・オレゴン(オレゴン大オープンラボ)、中国・上海(ソニー中国研究院)に研究拠点がある。有機エレクトロニクス関連では、有機半導体材料、グラフェン、カーボンナノチューブ、有機太陽電池の一種である色素増感太陽電池、有機ELディスプレイ、有機TFT駆動有機ELフレキシブルディスプレイなどの研究を行っている。
3.「仮免許」発言で釈明=菅首相
時事通信 12月13日(月)20時47分配信
 菅直人首相は13日夜、政権運営をめぐり「これまでは仮免許だった」とした自らの発言を野党が批判していることについて、首相官邸で記者団に「これからしっかり菅カラーを打ち出していこうという気持ち(の表れ)だ」と釈明した。
4.露、大統領に続き第1副首相も北方領土視察
読売新聞 12月13日(月)20時50分配信
 【モスクワ=寺口亮一】ロシアのシュワロフ第1副首相は13日、北方領土の国後島と択捉島を相次いで視察した。

 タス通信などが報じた。11月にメドベージェフ大統領が国後島訪問を強行して以降、ロシア高官による北方領土入りは初めて。タス通信によると、第1副首相は13日、極東サハリン州の州都ユジノサハリンスクで開かれた会議に出席し、国後島訪問。択捉視察を終えた後、島を離れたという。
5.本社・FNN合同世論調査 民自の大連立 66%「期待せず」
産経新聞 12月14日(火)7時57分配信

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どうする「政界再編」(写真:産経新聞)
 産経新聞とFNN(フジニュースネットワーク)による11、12両日実施の世論調査で、民主、自民の二大政党間でささやかれる「大連立」構想の是非について、「期待しない」との回答が6割に達し、連立組み替えへの期待度も3割にとどまった。政権交代を後押しした世論が、民主党政権に失望する一方、望ましい政権の枠組みを探しあぐねている状況が透けてみえた。(岡田浩明)

【写真で見る】民主党内外の人物相関図

 菅政権が来年の通常国会で政策実現を推進するには、衆参で与野党勢力が逆転する「ねじれ国会」克服が不可欠だ。打開策として浮上しているのが「民主、自民両党による大連立構想」だが、世論調査では66・4%が「期待しない」と拒否。民主、自民両党の支持層別でみても、65%前後が期待しないと回答した。

 特に大連立は男性に拒否反応が強く、男性50代では79・7%と8割近くが「期待しない」と答えた。新党構想がささやかれる民主党の小沢一郎元代表だが、小沢氏中心の政界再編への期待はさらに低く13・5%しかなかった。期待しないは8割に達した。

 小沢氏は8日、鳩山由紀夫前首相、無所属の鳩山邦夫元総務相、新党改革の舛添要一代表と会談したが、世論は小沢氏へのアレルギーが強く、民主、自民両党支持層でみても、8割前後が期待しないと回答した。

 では菅政権のままで、連立政権を組み替えるのはどうか-。だが、この連立組み替えへの期待も33・9%と低かった。政権の枠組みで期待度が高かったのは「部分連合」の51・0%だった。

 菅政権は、参院で否決された法案を衆院で再議決できる「3分の2」の勢力確保を念頭に、社民党との連携強化に乗り出している。だが、今回の世論調査でも社民党との連携強化には否定的な声が強い。外交・安保政策で両党の主張には隔たりがあるため、世論も手放しで支持していないようだ。

 「政界再編後の既存の枠組みによらない政権の樹立」は47・9%と期待度が高かった。現在の政治枠組みに飽き足らない世論が新たなものを求めているようだが、民主党支持層ですら58・1%と6割近くが政界再編を期待するという回答になっているのが、現在の混乱を象徴している。
6.11年度の年金支給額、引き下げ見通し…厚労相
読売新聞 12月14日(火)11時10分配信
 細川厚生労働相は14日午前の閣議後の記者会見で、2011年度の公的年金支給額に関し、「物価が下がり、現役世代の賃金が下がっており、法律通りに下がることはやむを得ない」と述べ、引き下げることになるとする見通しを示した。

 公的年金は、年間の消費者物価の変化を給付額に反映させる「物価スライド」の仕組みを採用しており、10年の全国消費者物価指数(生鮮食料品を含む)は基準となる05年を下回る見通しとなっている。ただ、民主党内には高齢者の負担増に懸念が強く、「政治判断で税金を投入してでも、支給額を据え置くべきだ」という声も出ている。

 法律通りに引き下げる場合、下げ幅は0・3%程度となる見込みだ。国民年金(基礎年金)の受給者で月約160円の減額となる。
7.池袋の爆窃団メンバー、札幌宝石盗とDNA一致
読売新聞 12月14日(火)11時47分配信
 「東武百貨店池袋店」の多額窃盗事件で警視庁に逮捕された中国籍の男3人のうち1人のDNA型が、今年6月に札幌市の百貨店「丸井今井札幌本店」で宝石などが盗まれた事件の現場の遺留物に付着したDNA型と一致したことが13日、捜査関係者への取材で分かった。

 3人は外壁を壊して侵入する「爆窃団」のメンバーで、北海道警などは、札幌の事件も男らの犯行とみて裏付けを進める。

 札幌の事件は、池袋の事件の1週間ほど前の6月23日夜から24日朝の間に発生。宝飾サロンから腕時計など計247点(約9320万円相当)が盗まれた。
8.「はやぶさ」の最高級座席グランクラス
映像がうまく見られない場合は

東北新幹線E5系「はやぶさ」の最高級座席「グランクラス」。JR東日本が14日、宮城県利府町の新幹線総合車両センターで公開した。従来のグリーン席より上級で、国内初となる新幹線のファーストクラス的位置付け
9.<企業減税>更に3000億円規模…雇用促進など、政府方針
毎日新聞 12月14日(火)15時0分配信
 政府は14日、11年度税制改正で、菅直人首相が指示した雇用促進税制の導入や中小企業向けの法人税減税など企業関連で新たに2000億~3000億円の減税を行う方針を固めた。13日には法人実効税率の5%引き下げによる1.5兆円規模の減税を決めており、「デフレ脱却と雇用拡大」を最優先する菅政権が企業への支援姿勢を鮮明にした形。

 雇用促進税制は、政府税制調査会が11年度の導入方針を決定。10%以上の雇用拡大など一定の条件を満たした企業を対象に、税額から一定額を控除する仕組みになる見通しだ。一方、中小企業向けの法人税(本則22%)は現在も18%の軽減税率が適用されているが、11年度はこれをさらに15%程度に引き下げる方向で最終調整している。また、環境関連投資を積極的に行う企業を税制面で優遇するグリーン税制も導入する方針で、雇用促進と中小企業減税を合わせた減税規模は総額2000億~3000億円に達する見通しだ。

 一方、調整が難航している証券優遇税制の延長問題は、野田佳彦財務相が14日午後にも自見庄三郎金融担当相と会談して決着を目指す。証券優遇税制をめぐっては、財務省が予定通り11年末で打ち切ることを主張。これに対し、株式市場への影響を懸念する金融庁が延長を求めているほか、与党の国民新党も打ち切りに反対している。財務省は優遇税制を1年限りで延長する妥協案も準備、決着を図りたい考えだ。【寺田剛、坂井隆之】
10.首相は財源不足承知で決断=法人減税5%で―野田財務相
時事通信 12月14日(火)12時12分配信
 野田佳彦財務相は14日の閣議後の記者会見で、菅直人首相が来年度税制改正での法人実効税率5%引き下げを指示したことに関し、「税率3%なら財源はこういうものがある、5%はまだできていません、という中で選択していただいた」と述べ、首相が財源不足を承知の上で5%減税を決断したことを明らかにした。
 また、現在18%(本則22%)に軽減されている中小企業の法人税率も、さらに下げる方向で調整していることを明らかにした。