井上しんごブログ

北九州市議の井上真吾です。何かあったらいつでもどうぞ、私の携帯電話は070-5690-1423です。😄

高千穂の夜神楽

2016年04月08日 | 日記



息子の卒業旅行で、宮崎に行きました。私も小学校卒業の時に、家族で高千穂に来ていて、その時も高千穂神社の神楽を見ていました。30年ぐらい前です。

その時の印象としては、かなりエロかった思い出があります。初めての神楽で、あまり期待してなかったのですが、えっ こんなことしていいのと、子どもながら少し戸惑った思いがあります。しかし、会場は大爆笑で、エロくて、お茶目な神様が、会場に乱入してくると、見ている方が、キャー、イヤーと大歓声。

大いに盛り上がって、本場の神楽ってすごいなと思いました。

今回、少し、そんなエロ面白い神楽がまた見れるのかなと期待していましたが、さすが、外国人観光客の方が、多い昨今。エロさと、悪ふざけ加減は抑えられて、品行方正な感じになっていました。

それでも、最後の、夫婦で酒を飲むシーンなんかは、実においしそうにお酒を飲み、あー、日本人って、昔も今も、楽しくお酒を飲むのが好きだったんだなと。中宿八幡宮の宮司さんがおっしゃっていましたが、元来、日本人は、みんなと楽しく過ごすのが好きな、平和を愛する民族なんだと、言われていたことを思い出しました。

つまり、何とかなるさ、みたいな非常にゆるーい、今でいうスローライフ的な国民性だと思います。それは、日本の様々なお祭りに表れています。天岩戸の前で、うずめが裸踊りをしたように、神様を楽しませようとして、あの手この手でユニークな祭りがたくさんあります。

私の大蔵祇園の友人で、祭りで、飲んで、楽しくなって、人に水をかけたり、裸になったりする、楽しい方がいますが、一見ばちあたりに見えますが、いやいや違います。これが本来の祭りなのではと思うのです。神様は、堅苦しいものよりも、こういうエロチックなものを喜んでおられるのだと思います。私たちも、楽しんでいますが。

だから、宮司さんも、何も言いません。「ほら、始まった」と言って、笑顔で、その乱れ具合?を楽しんでいます。

最近の考古学で、古来、海から渡ってくる人や、文化を、受け入れて、それを取り入れて、仲良く暮らしていたと言われている日本人。古代、日本列島で、アイヌや沖縄島で暮らしていた人も、争いを好みませんでした。

それが、他人を認めずに、力で政治を行うとなると、過去の大戦のようなとんでもないことをしてしまう怖さももっています。真面目がゆえに、上からの命令を、疑問に思いながらも、突き進んで、しまいには、分からなくなる。

カンボジアに以前行ったときに、カンボジアの方は非常に融通が利かないなと思ったことがあります。彼らは日本人同様、非常にまじめで、働き者です。多くの日本人や外国人が現地で商売をしています。言われたことに忠実で安心して経営を任せられるそうです。

ですが、日本では融通が利きそうなことでも、カンボジアでは全く聞きませんでした。それは、上司の指示を守ろうとしているだけで、美徳でもあるのですが、現場の判断で、多少の融通はいいんじゃないかと思ったことがあります。

その国民性と、カンボジアのポルポト派の大虐殺、なぜ、こんな真面目で正直な国民性で、あんな残虐なことができたのか、疑問でした。

同じように、カンボジアと似ている国民性でもある日本人。中国やアジア地域で、同じ人間に対し、とんでもないことをしました。ホロコーストを起こしたドイツ人も、私たちと似ていると言われています。

真面目すぎるがゆえに、上官の命令は絶対だと、どんなひどい命令でも、やってしまったんだろうかと。当然、その命令を無視した日本人もいます。映画にもなった命のビザを発給した千畝さん。

当然、真面目なのはいいことです。でもバカ真面目ではいけないと思うのです。自民党の三原さんがポスターでバカ真面目を売りにしていますが・・・、それはそれとして、

やはり、自分で考えること、いくら、上司や上の人が、いうからと言って、それがいいとは限らないし、現場で、自分で判断することもあっていいことだと思います。

いや、そんなことしたら、首になるとか、仲間外れにされるとか、食べていけないとか、心配の声もあるかと思います。私も真面目ですから?、心配です。

でも大丈夫です。元来日本人は、のんびり屋なのです。そんなことを心配しなくても、みんなと楽しく平和に暮らしてさえいれば、飢えさせることはしないよということでしょうか。日本のこの自然(神様)は、私たちに豊かな豊穣をもらたし、そして、古来より、私たちの命をつないできました。このことは事実です。

でも、その自然(神様)や人間を支配しようと考えたり、自分中心で、自分自身が神になり始めた時に、日本人の魂を失ってしまうことになってしまうのかもしれません。神社の祭壇にあるかがみ、その仮名の真ん中にあるが。鏡を見つめる自分自身のが(我)をとった時に、かみ(神)になるということみたいです。我がないものが神ということだと、教えたもらったことがあります。俺が俺がでなく、和(平和)を大事にすることが、先祖からの、私たちへの教えなんだと思います。

日本の領土だ、俺たちのプライドなんだとか、中国や韓国よりも上なんだとか、そんな本来の日本人からかけ離れた、が(我)むき出しの思想で、今の政治が行われているような気がします。

別に、相手を立てて、こちらが引いてもいいではないか。我よりも、和を大切にすることが、日本人のブライドであってほしい。聖徳太子も言っていましたね。狭い了見で、買った負けた、どっちが上とか、そんな考えで政治をすると、国の道を誤ってしまいます。

高千穂の神楽を見て、夫婦でおいしそうに酒を飲む神々を見て、日本人って、こんなんだったんだな~、今も昔も楽しいことは変わんないなと思った、旅でした。

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