井上しんごブログ

北九州市議の井上真吾です。何かあったらいつでもどうぞ、私の携帯電話は070-5690-1423です。😄

トランプマジックマスターしますよ。私も先生から習うだけでなく、教えれるようにならねば。

2019年05月16日 | 学び

本日は、枝光のマジッククラブの練習日。私は会長をしているのですが、会長らしい所は一つもありません。マジックがうまいとか、詳しいとかはなく、名ばかり会長です。( ゚Д゚)

今日は、戸畑から新しい方が会員になり、うまくなって老人ホームなどで、公演したいと言われていました。そして、会員さんからの提案として、これまで月一だった練習日を、月二回にしようということになり、6月から第一、第三水曜日に行うようになりました。

そこで、私も、会長らしく、ある程度のレベルまで到達できるように、がんばらねばと思った次第です。!(^^)!

 

今日は私のごはん当番日で、昼間ポテトサラダが食べたくなり、皮ごと湯がいてすり潰したサラダと、友人から頂いたタケノコの煮物を作りました。サラダはまあうまかったです。タケノコは煮かたがまだ足らんようです。

 

夜は夜で、月一回友人宅で行っている聖書レッスンに行きました。今日改めて発見したのは、あんまり自分で考えて、やろうとせずに、創造主(神様)に委ねることが大事かなということです。

妻が山伏さんと一緒に山登りに行った時、その方が、よく女人禁制とか言っているけど、私たちからすれば、女性差別とかそんなんじゃなく、女性はすでに悟りの境地に行っているから、まだ悩み多い男性のために、しばらく静かに修行できる時間をください見たいな。

というのは、山伏さん曰く、男性は頭で考えることが多く、頭で結論を導こうとするそうです。一方、女性は頭ではなく、感じるそうです。頭でなく、体で悟というか。

だから、もう修行しなくてもいい。男性は、女性のように体で感じることができるように、修行しているんだと。だから、まだ修行中の男性と、女性が一緒に修行すると、女性からすれば、こんなことでうじうじ悩んどんのかと。

男性は、落ち着いて、自らと向き合うことができにくくなるので、女性の方は、まだ未熟な男性が修行している間、しばらくご遠慮ください。とそういうことなんじゃないかと、言われていたと聞きました。

私はそれを聞いて、そうかと、考えすぎなんかと思った次第です。

 

聖書の創世記でも、罪の始まりになった、アダムとイブが知恵の実を食べるところ。

それまで神は、豊かな自然と溢れんばかりの食べ物を人間に与え、一人じゃ寂しいだろうから妻を与え、たくさん子どもをつくって、寿命もなく、永遠に楽しく暮らせよということが、神様の唯一の願い。衣食住の心配もなく、基本、過去や未来を心配するということからも無縁な状況だったわけです。

 

しかし、知恵の実(善悪の判断の実)を食べたことで、人類の悩み、心配の歴史が始まりました。サタンの勧めによって、神様に助けられんでも、自分たち人間で、善悪を決め、この世を支配できると思った人間は、エデンを離れ、自らが考え、判断し、生きてくことを選んだのです。

 

まさに、知恵をつけたと。しかしせっかく得た知恵で、考えることと言ったら、過去を悔やみ、将来の心配するということでした。また、ねたみや嫉妬、なども始まり、それぞれが、自分で善悪を判断するもんですから、各々の善悪がぶつかり合い、争いになる。

 

まさに、知恵の実は、自らが神に成り代わることを意味していました。聖書には人は人を裁くことはできないとあります。裁けるのは神のみと。

 

しかし、私たちは、人を常に裁くようになりました。あいつはむかつくやつだ、言うことを聞かないやつだ。偉い人だ、自分よりも低い人だとか。自分でさばいて、場合によっては、相手を傷つけ、命まで奪うこともしています。命を得たのは自分の力ではなく、命を与えることは聖書では神しかできません。もちろん、人の寿命は神・宇宙のみぞ知るということでしょうか。

 

人間はだれもが神になろうとし、現に神のようにふるまっています。じゃあ喜ばしことかというと、そうではない。永遠の苦悩の始まりでした。

 

ある依存症をケアしている方から聞いた話ですが、医療現場、世界的に行われているある回復プログラムは、まず、自らの力では依存症は直せない。大いなる力を借りて立ち直るということを認められるかどうか、これが第一ステップだそうです。大いなる力は神でも、仏様でも、大宇宙でもなんでもいいそうです。

 

自分の力では治らないということを認めるかどうか、ここが克服への第一歩だそうです。つまり、アダムとイブが知恵の実を食べる以前に戻れるかどうかが、苦しさからの抜け出せる一歩ということになります。

 

イスラムの人は、あまり悩まないと聞きました。何か困ったことがあれば、神が解決策を見つけてくれる、失敗したら、うまくいくように知恵をくれると。神が自分にいいように導いてくれると理解しているそうです。だから、イスラムの人は、そんな神にありがとうと感謝していればいいんだと。

何を心配する必要がありますか。私に必要なものはすべて神が与えてくれると。聖書にも同じようなことが書いてあります。

せっかく得た知恵を人生を楽しむことに使えば素晴らしいでしょうが、むしろ、逆のことに使っているような気がしてなりません。(^_^;)

だから、考えるなと。今その一瞬を集中して全力で生きろということでしょうか。

この前、NHKの健康番組で、東大教授の方が、人間の脳はすぐさぼるらしく、集中することが苦手だそうです。心ここにあらずというか、何かをしながら、別のことを考えている。実は今やっていることだけを考えているよりも、ながら色々と考えている方が人間楽らしいです。

その意識しなくても考えることができる。これは、その人の性格や思考のパターンで考えやすい回路を通っているから、この思考のパターンがネガティブだったりすると、ずーと悪いほうに悪いほうに考えてしまい、これが鬱になる原因になっているというのです。

 

この楽に考える思考パターンがポジティブな人や、いつも楽しことを考えている人であれば、どんどんアイデアがわくということでしょう。

 

しかし、人間はネガティブに考えがちで、だからこの先生は、瞑想で、呼吸に意識を集中して雑念を払い、呼吸に意識を集中することが、健康にいいということで番組に出てありました。

ここで、山吹さんの話とも重なりました。またイスラムの人の生き方とも、知恵を得てこれまで歩んできた人類の歴史とも・・・

 

人間はちっぽけな存在で、その頭でいろいろと考えてもきりがない。大いなる存在が何とかしてくれると信頼し、委ねて、今を全力で生き、堂々巡りしながら人生の貴重な時間を消費するのでなく、今生きてることを、もっと楽しんだらいいじゃん、みたいなことでしょうか。

 

エデンの園にいたときの人間は、おそらく、そんな考えてなかったと思いますね。考えるな感じれ。カンフー映画でジャッキーチェンの先生も言ってましたね。!(^^)!


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