井上しんごブログ

北九州市議の井上真吾です。何かあったらいつでもどうぞ、私の携帯電話は070-5690-1423です。😄

令和6年6月議会質問原稿 強きを助け、弱きをくじく政治からの転換を求める

2024年06月17日 | 枝光地域

2 市政変革について

 

次に、強きを助け、弱きをくじく政治からの転換を求め、二つ質問します。

 

令和6年度5月15日号の市政だよりには、「ない袖は振れない」とし、「ひと肌脱いで」と市民に協力を求める、市長の手書きの手紙が掲載されました。何か戦前の「欲しがりません、勝つまでは」を想起します。福祉や文化教育など市民要望に応えたいが、金がないから我慢してと、また、北橋市政並みの行政サービスが必要なら、痛みを我慢しろと言っているように感じます。

しかし、袖がないと言いながら、オフィス移転、企業誘致、企業の付加価値向上などに、ない袖を振っています。バックアップ首都構想と言っても、お金で呼び込んでいるだけです。お金で企業や人を呼び込んで、どういう街を作るのでしょうか。北九州のポテンシャルはお金でしょうか。違います。

北九州のポテンシャルは、地理的優位性、災害リスクの低さ、道路・港湾・鉄道・空港などの整ったインフラ、ものづくりから理工系までの人材、オフィス賃料や生活費などの安さであり、他にも、食べ物が美味しい、人情に厚い、祭りなど地域が熱い、自然や観光資源が多いなどです。企業もそのメリットを理解して来ている訳で、さらにお金を出す必要はありません。

市の借金の多さも、結局は道路網や港湾などの整ったインフラに活かされているものであり、市民だけでなく、その恩恵を受ける企業にもある程度、過去の投資に対する負担をしてもらう考えも必要です。

また、億単位の企業誘致のインセンティブのために、子ども達が犠牲になっていることも本末転倒です。美術館や平和のまちミュージアムのツアー事業の廃止や、部活動の全国大会等への派遣補助費や部活動振興事業費の減額、私立学校や朝鮮学校への僅かな補助金すら削減したことなどです。

先の2月議会の付帯決議では、それらの予算が廃止又は大幅に削減されたとし、子どもや保護者の意見が十分反映されていないと指摘しています。

同じく付帯決議で指摘された草刈り費用は、削減された分がこの6月議会で補正予算として提案されていますが、子どもに係る予算の増額補正がありません。

企業誘致のインセンティブをやめ、市のポテンシャルの恩恵を受ける進出企業に応分の負担を頂きながら、2月議会で減らされた子どもの予算も早急に手当すべきです。見解を伺います。

 

最後に、本社移転や企業誘致、袖を振るための財源についてです。

高度成長期を牽引した企業の多くは創業者でもある経営者が中心であり、そのバイタリティーで事業を拡大して来ました。しかし、近年は代も変わり、経営者よりも株主中心の企業経営に変わっています。以前の従業員の暮らしや、地域経済の発展に重きを置いていたものが、株価を上げるための大量解雇や、正社員から派遣社員への入れ替えなど、地域経済を疲弊させています。

企業の都合による工場や拠点の撤退も地域に大きな影響を与えており、昨年、戦艦大和を作った広島県の呉製鉄所の閉鎖は地域に激震を与えました。

本市には多くの名だたる企業が立地しており、TOTO、安川電機、三井ハイテック、タカギ、第一交通産業などは、創業の地である北九州市に本社を置いていますが、他にも本市にルーツを持つ企業がたくさんあります。

一方、日本製鉄は起業の地・八幡にあった本社を東京に移し、JR九州も創業の地、ゼロポイントのある門司から博多に移転しました。三菱・住友を凌ぐ財閥でもあった鈴木商店が門司で創業・事業展開した会社にルーツを持つ企業は、旧帝国麦酒のサッポロビール、ニッカウヰスキー、神戸製鋼所、ニップンなど多岐に渡ります。西鉄の前身は九州電気軌道で、門司・八幡大蔵間で事業を開始しました。戸畑鋳物はのちの日産自動車であり、テレビ西日本は八幡発祥ですが、皆、本市に本社がありません。

北九州で生まれ、北九州で世話になり、北九州で成長し、北九州が傾きかけたら、はい、さようなら。なんて義理・人情に欠けることでしょう。

私は、創業者の原点に還り、みんな、創業の地、出生の地に帰って来いと言いたいです。しかし、現状で本社移転をお願いしても無理でしょう。しかし、北九州市がこれら企業の大株主であれば、無視できないのではないでしょうか。

今、世界的な株高や新NISAによる国内での個人投資の拡大で、多くのお金が流れ、その運用益でもかなりの額に上ります。本市でも基金運用で年間6億ほど運用益があるようですが、本市財政を支えるまではありません。また、テレビ西日本などの若干の民間企業の株式を保有していますが、経営に対する影響力はありません。

今後、公共インフラとも言うべきJR九州や西鉄、九州電力などの企業や、多くの市民が雇用されている地元企業の株式を保有することにより、市民生活や地域経済を守るために、行政としても、株主としても、地元企業に影響力を持つ戦略が必要ではないでしょうか。

そこで、市が出資する投資ファンドを作り、本市のSDGsのビジョンに賛同する企業や投資家の資金を集め、市の発展に資する企業や本市ルーツの企業に投資し、その運用益の一部を市民生活に活用する。また、本社を市外へ移した企業には帰って来てもらう。

また、誘致した企業を支援するならば、お金のインセンティブではなく、株式取得により、その企業の発展を内側から支えるなど、発想を変えるべきです。

もう、企業にペコペコする時代は終わり、市民を泣かす経営者がいれば、大株主・北九州市として、社長の首を飛ばす。それぐらいの気合いでやらないと市民生活や地域経済は守れません。

以上、(仮称)北九州ファンドの運用による市民への還元。株式取得による影響力行使で、本社移転や地元経済への貢献。誘致企業の本市ポテンシャルへの応分の負担などで、子ども達を誰一人見捨てない、強きを励まし、弱きを助ける政治の実現、お金の流れの根本的な変革について、市長の見解を伺います。


令和6年6月議会本会議質問原稿。旧門司駅遺構と門司港複合公共施設の共存について

2024年06月17日 | 枝光地域

1 旧門司駅遺構について

 

まず初めに、旧門司駅遺構と門司港地域複合公共施設の共存について二つ伺います。

 

武内市長が就任して間もない令和5年3月、複合公共施設の建設予定地で埋蔵文化財の有無を確認する試掘調査を行ったところ、旧門司駅舎跡関連遺構の一部が発見されました。発見当初から、近代遺産の考古学の専門家から、この発見に期待の声が聞かれ、東京・高輪で見つかった遺構や旧新橋駅遺構と合わせた鉄道関連遺産群として世界遺産級だと目されています。

日本初の鉄道駅である旧新橋駅、そして、旧門司駅。どちらも明治初めの日本の産業革命期の先人の熱意、「鉄道を通すんだ」と、「いつかは国産のレール、鉄骨、機関車を作るんだ」という勢いを今の私たちに伝えてくれます。

その思いの通り、門司駅完成の10年後には官営の製鐵所が八幡に作られ、わが国初の製鉄産業がここ北九州から起されました。そこで、伺います。

 

初めに、これまで旧門司駅の遺構に関しては、複合公共施設の建設予定地ということもあり、遺構の保存か、複合公共施設の建設かと、様々な意見がありました。私も四年程、門司で介護の仕事をしていましたから、知人も多く、先日の市主催の説明会にも行ってきました。

皆さんの意見を聞いて、私は現地で遺構と複合公共施設の共存をしてほしいと思いました。開会前から厳しい意見が吹き荒れ、片山副市長が「今のままだと大きな声の人しか聞こえない、もっと様々な市民の声を聞きたい」とおっしゃっていたのは私も同感です。

そこで、様々な市民の声を聞きたいという、行政の思い。ぜひやりましょう。皆さんが落ち着いて判断し、自分にとっての最善策を公平に表明できるように。

ついては、門司区民または北九州市民による住民投票や住民アンケートの実施など、副市長が言われた、広く様々な意見を聞くことを求め、見解をお伺いいたします。

 

次に、現地での遺構の保存と、複合公共施設の共存の可能性についてですが、仮に両者を共存させるとした場合、市によると、遺構を囲むように基礎の杭を配置し、難工事になるそうです。

先日、関門海峡をまたぐ下関北九州道路の概要が国から発表されましたが、当時世界最長で、今も世界2位の明石海峡大橋に次ぐ、国内2番目の規模だそうです。この下北道路も難工事が予想されますが、我が国の土木技術の粋を集め、旧彦島フェリーの代用となるべく、100トン超クラスの大型クレーンも走行できる世界一の耐重量大橋にならないかとの期待も高まります。

同じように、まさに、旧門司駅の遺構と複合公共施設との共存も、我が国の技術者が腕を振るえるビックプロジェクトといえるものではないでしょうか。世界・日本で誰もなし得ないことをやれる北九州市の二つのビックプロジェクト、ワクワクしませんか。

北九州の地で産業が発展し、世界初の海底トンネルの関門鉄道トンネル、東洋一の河内貯水池や若戸大橋を始めとした様々な難工事をやってのけ、我が国の国土の発展を牽引してきた北九州市。市長、チャレンジしてみませんか。

どうしても、今、対応できないなら未来の市民に託すことも検討すべきです。遺構を埋め戻し、なるべく傷つけないために杭の強度を増して本数を減らし、上屋部分の設計を生かすことも可能です。先人の熱い息吹を感じるこの旧門司駅遺構を、せめて次の世代、未来へ繋ごうではないですか。

構造計算上、仮に基礎部分の杭の直径を倍に太くした場合、杭の本数をどれだけ減らすことができるのか、見解を伺います。


令和6年6月議会の反対討論原稿。初代門司駅遺構について

2024年06月17日 | 枝光地域

令和66月議会反対討論                            井上真吾

 

 井上しんごです。私は議案第82号・令和6年度北九州市一般会計補正予算に反対し討論します。北九州市のアイデンティティは何でしょうか。まず、ものづくりがあり、人が集まり、よそ者同士が力を合わせ、街をつくり、伝統の祭りを継承してきました。本市のアイデンディディは産業です。長い眠りから目覚めた旧門司駅遺構はまさに本市のアイデンティティ・魂と言えるものです。

 武内さんが市長に就任して間もない4月の市政だよりで、市長は「挑戦する市政」を進めると表明し、「できない言い訳はしない」と職員を励ましています。私も励まされた一人です。

 しかし、今回の旧門司駅遺構については、言い訳しか聞けません。遺構については、重要なもので、現地保存や、複合施設との共存なども検討したが、断念したということです。

 理由はお金、そして早期建設の声です。誰も複合施設はいらないとは言っていません。また施設を求めている方も、遺構を壊せとは言っていません。

 推進の方も、保存の方も、どちらも、それぞれの必要性、価値を認めています。であるならば共存について、もっとやれることがないでしょうか。

 「挑戦する市政」とは、困難な課題に立ち向かうことです。今の完成予想図を見る限り何の挑戦もいりません。鉄骨造りであれば、地面に杭を打ち込み、床部分にコンクリートを打った後、鉄骨を組み上げて、床と壁を作れば完成です。特別な技術はいらないでしょう。私もクレーンの運転手として、こうした現場を見てきました。

 しかし、遺構との共存や、少しでも遺構を残そうとすれば、挑戦が必要です。建築上、困難な現場でもあります。NHKの番組「プロジェクトX・挑戦者たち」に描かれてるのも、そうした困難に立ち向かう行政や企業や人々ではないでしょうか。

 市長は、今年の新年の挨拶で、「もの言わぬ大多数の方々、つまりサイレントマジョリティの、そんな市民の皆さんの声なき声に応える市政を展開する」と述べました。

サイレントマジョリティの対義語は、ノイジーマイノリティ、つまり、もの言う少数者です。たとえ騒がし声であったとしても、それは市民の声です。

 サイレントマジョリティは、一部のクレーマーに振り回れず、もの言わぬ多数のユーザー、つまり、当社の製品を日常的に使って頂いているお客様のニーズをしっかり掴むという、ビジネスシーンで使われるなら納得ですが、ある国家があり、批判している集団はあくまで少数者であり、我々が多数を代弁していると国民を弾圧する理屈にも使われています。

 そして、もの言えぬ少数者の声は、誰が聞くんでしょうか。地元説明会で、小学生の手紙が読み上げられ、怒号の飛び交う会場は静まりました。

 その子の意見は共存でした。マジョリティの代表は私達、議員や市長です。選挙という特性から、定数一の市長は間違いなくマジョリティの代表であり、議員も上から順番に様々なマジョリティを代表しています。

 だからこそ、小さき声に耳を傾けることが必要ではないでしょうか。私はその一人の小学生の声に少しでも応えられないかと思います。例え難しくても、私達がここまで頑張ったよと、その子に胸を張れるのが政治ではないでしょうか。大人の事情で言い訳しても子ども達には通じません。

模型や3Dにして後世に伝えようと言う前向きな議論もありました。しかし、同じく3D展示をしている安土城や、天草四郎が幕府軍と死闘を繰り広げた原城でも、そこに本物があるからこそ、その展示や3Dが生きてきます。本物がなければ、その当時の息吹を感じることができません。

プロジェクトX、私なら、こういう未来が描がけます。遺構が発見され、予算のない中、また早期建設を求める世論の中、難しい舵取りを任された市長。そこに一人の小学生から手紙が届く。市長は、遺構と施設建設との共存を決意し、先例を見ない難工事に挑戦することにした。

建設を求める議会から「不信任だと」と怒号が飛ぶ中、市長は県や政府に掛け合い財源を捻出、地元に頭を下げて、共存案への理解を求めた。工事は国内の技術の粋を集めて、とうとう遺跡と共存した施設が完成した。あれから20年、門司港には国内外から多くの鉄道ファンが訪れ、門司港レトロは世界的な観光地と発展したと。これなら「挑戦者」として、後世に認められるのではないでしょうか。

新入幕優勝した尊富士が「記録よりも記憶に残る力士になる」と言っていました。

市長も、「当選回数という記録よりも、市民の記憶に残る市長」になってほしいです。

以上で討論を終わります。