退職者スーさんのまち起こし・地域起こしボランティア

私は、定年退職し、会社人間から社会人間=地域人間に変身中です。どうしたら地域の仲間に入り、楽しく有意義に生きられるか。

竹島 = その歴史を学ぼう

2012-08-26 10:47:44 | Weblog
日本の領土は、誰が守るのか。
尖閣諸島も竹島も北方四島も日本の領土です、と自己主張しようと言いました。本当に日本の領土ですか、
貴方は、どう考えますか。竹島について言えば、韓国は韓国で、韓国の領土である、と言っています。
どちらの主張が、正しいのでしょうか。

17世紀初頭、伯耆国(現・鳥取県)米子の海運業者の大谷甚吉は、暴風に遭い、無人島である「鬱陵島」に漂着した。新島の発見と考え、帰国後1618年江戸幕府から「鬱陵島」への渡航許可を受ける。「鬱陵島」は、「竹島」あるいは「磯竹島」と呼ばれるようになっていた。海運業者:大谷甚吉は、毎年「鬱陵島」に渡り、アシカ猟、アワビ漁、木材伐採などを行い、「鬱陵島」経営を78年間続けていた。
当時、「鬱陵島」へ渡るコースは、隠岐島から松島(現在の呼び方で竹島)を中継地にしていた。海運業者:大谷はこの松(現竹島)の経営も手がけていた。松島(現竹島)が、航路中の寄港地、狩猟地として利用され、アシカ猟が行われていた記録が残っている。江戸幕府は、松島(現竹島)に対する渡航許可も1656年に出している。
(注:昔、竹島は松島と呼ばれ、鬱陵島は竹島と呼ばれていた)

1905年、明治政府は、竹島(旧松島)を島根県に編入し、国際法的にも日本の領土とした。しかし、戦後GHQは、竹島を沖縄や小笠原諸島と同様に、日本の行政権から外した。
1910年8月 韓国併合条約を締結。この条約は、韓国の一切の統治権を完全かつ永久に日本帝国に譲与する、などを規定した条約です。
1951年9月 サンフランシスコ平和条約を締結。この条約には、日本が放棄すべき領土に竹島は含まれていなかった。
1952年1月 李承晩韓国大統領は、サンフランシスコ平和条約発効の直前に、海洋主権の宣言ライン(いわゆる「李承晩ライン)を設け、竹島を韓国側に一方的に取り込んだ。これが日韓の竹島問題の始まりある。
以後、韓国は、少しづつ民間、軍関係が上陸し施設・構造物を設置し占有支配の実績を示しつつある。
日本は、1954年と1962年に国際司法裁判所(ICJ)で判断もらうために呼びかけたが、いずれも韓国の拒否によって実現していない。
2012年8月 韓国の李明博大統領が、突然竹島に上陸した。



日本の領土は、誰が守るのか?

2012-08-22 16:08:03 | Weblog
 最近、尖閣諸島、竹島の領有権が問題になっています。また、前二者とは異なりますが、戦後から北方四島が未解決のままになっています。
問題になっている領土の相手国は、云わずと知れた中国、韓国そしてロシアです。
このまま大人しく黙っていれば、数年後には尖閣諸島も竹島も北方四島も日本の領土から盗られてしまうでしょう。竹島は、すでに韓国によって占有支配されています。
 
 あなたの住んでいる土地の西側の隅の一部を、西側の隣人であるC氏、K氏、R氏がそれぞれ切り盗ろうとしています。
あなたは、どうしますか。

日本の領土を日本人が守らないで、誰が守ってくれるのですか。
守るのは、日本人の私たちです。
私たち一人一人が
「尖閣諸島も、竹島も、北方四島も日本の領土です」
と声をだすことです。

勇気を出して自己主張をしましょう。
みんなで声を出して政治を動かしましょう。

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光明寺の施我鬼大法要

2012-08-16 23:08:51 | Weblog
 光明時では、毎年8月15日は施我鬼大法要の日で、本堂の大広間に250人の壇信徒が集まりました。
  10:00 光明寺住職 佐久間秀範師法話 「精霊棚と七夕」
  10:30 清福寺住職の講話 「東日本大地震の法要ボランテイア」
  11:00 真言宗豊山派埼玉支所管内住職11人による読経
  11:50 戦没者慰霊に対して黙祷=久喜市遺族会会長 折原健二氏
  12:00  黙祷

 多くの家庭では、お盆になるとご先祖様を迎えるために、各家に精霊棚を13日に作ります。精霊棚は盆棚ともいわれ位牌を安置しお供えをする棚です。お供えは、ハスの葉に水玉、茄子の牛、胡瓜の馬、季節の果物・野菜、花、灯り、線香etc,そして両側に笹竹を立て棚全体をうす暗くします。竹と竹にホオズキを渡します。このホオズキは鬼灯とも書きます。また、精霊棚の笹飾りが七夕飾りの原点だといいます。七夕はしちせきともいい、日本の五節句の一つです。古くは「七夕」を棚機」「棚幡」と表記した。これは、そもそも七夕とはお盆行事の一環でもあり、精霊棚とその幡を安置するのが7月7日の夕方であることから「七夕」と書いて「たなばた」と発音するようになったともいう。
 

 

市議会議員の田島氏の葬儀が・・・

2012-08-11 17:00:28 | Weblog
 昨日(8月10日)たまたま125号線を走りましたら、メモリアル利根の近くで例の葬儀屋さんの立て看板をみました。確か今月の初旬にがんで亡くなったと聞きましたので、今日葬儀なんだなと納得しました。
それはそれとして、巷では田島氏ががんで余命いくばくかを宣告されていることは、本年初頭に知る人ぞ知るでした。その上で「議員定数の削減になるのか」という「スズメ」の呟きです。また、2014年4月の選挙では定数が削減された数字で選挙が行われるのか、という呟きです。
田島議員の現職での死亡は、あくまで現職の議員の数が1人減ったということで、定数の削減ではありません。議員定数は、条例で34人と定められていますので、その条例が改正されない限り定数の変更にはなりません。巷の噂では、現職議員のうち、あ行議員、か行議員、さ行議員、ま行議員が出馬しないだろうから、確実に29人になるでしょう、と。しかし、先ほども言ったように条例では34人ですので、この数字から「何人減らすか」と言うのが削減です。現職議員が、次回も立候補するかどうかは定数に関係ありません。定数削減は、合併時の議会・議員の約束ですので必ず行われるものと、私は思っています。巷のスズメの呟きでは、そんなことを言っても自分の首を、自分で絞めるわけがないだろう、ということです。それもそうかなぁー。