退職者スーさんのまち起こし・地域起こしボランティア

私は、定年退職し、会社人間から社会人間=地域人間に変身中です。どうしたら地域の仲間に入り、楽しく有意義に生きられるか。

”久喜藩”という時代がありました!!!(2)

2012-04-30 13:39:43 | Weblog
 米津氏の家祖は、藤原道隆でその末裔で信濃守親康で、その子親勝を米津大夫といいました。戦国時代には米津勝信・常春・政信が松平氏に仕えて活躍した。戦国時代には、常春の系統は子に代で断絶したが、政信の系統が残った。第5代の米津田盛の代に大名に列し、初めて武蔵国久喜藩1万2千石(後に分知で1万1千石)、出羽国長瀞藩1万1千石の領地を納めた。
久喜藩の初代藩主は、米津政武(まさたけ)で米津田盛の嫡男として生まれた。父の死去(1684)により家督を継ぎ1万5千石の所領のうち、3千石を弟・米津田賢の分与いたため1万2千石の大名となり藩庁を武蔵埼玉郡久喜に置いた。1687年5月寺社奉行に任じられたが、勤務怠慢により翌年10月罷免された。1698年長男の政矩(まさのり)に家督を譲った。米津政矩は、大阪加番に任じられ、大阪に赴任するが在任中の1703年1月に大阪で死去した。享年29歳。弟の政容(まさよし)が継いだ。政容は、長兄・政矩が家督を継いだ時、上総・下総国内で1000石を分与されて、寄合旗本に列した。その後は第5代将軍・徳川綱吉のもとで小姓並み、次いで小姓として仕えていた。政矩が早世したため、その養子となって久喜藩の家督を継いだ。このとき1000石は幕府に収公されたため、久喜藩は1万1千石となった。

”久喜藩”という時代がありました!!!(1)

2012-04-20 11:19:15 | Weblog
 3月20日~5月6日(日曜日)まで「大名と藩」という特別展を埼玉県立歴史と民俗の博物館で開催しています。そこで「久喜藩」が紹介されています。「藩」というからには「大名」=お殿様がいたことになりますし、館があったはずです。久喜の近辺では、岩槻藩、忍藩に有力者が移封されて石高・領地も大きく、その境界が久喜のすぐそばまで来ていました。「大名と藩」の解説書によりますと、「久喜藩は、貞享元年(1684)米津正武(よねきつまさたけ、第3代)が領地替えにより、埼玉群久喜(久喜市)に構えて成立、以後米津氏五代が藩主を務めた」とあります。どこに「館」を構えたかといえば、当時の絵図面から見ますと、現在の中央公民館を基点に北に100m、東に100mのような感じでしょうか。

サクラの花びらが降っています・・・

2012-04-15 10:52:51 | Weblog
 すでに花弁が昨夜来の雨で散りましたが、朝からの春の日差しに照らされて、一ひら一ひら愛宕堀の川面に浮かび花筏となって流れていきます。雪柳も緑の穂先の部分が多くなりました。路面には、サクラの花びらの絨毯がしかれ、あたかも雪が積もったかのようです。花びらが陽の光に輝きながらひらひらと散っていきます。散りの美学でしょうか。今日が最後のような気がします。

愛宕堀(愛宕神社)サクラ情報(終)

2012-04-10 21:06:17 | Weblog
 ちょっとの休憩が2泊もしてしまいました。kohikanを出ると少しの間桜は観られません。愛宕堀右岸を西に進み、コジマ電気側の交差点に出ます。コジマ電気の反対側のセブンイレブンの北側に見える桜の方に進みますと「パークタウン」入口です。100mほど進むと、また愛宕堀右岸に出ます。ここから愛宕堀の両岸に若い桜の木が並びます。安全のためのフェンスがありますが、3面護岸ではなくV字の石畳護岸で両側から桜の木の枝が張り出し、川をはさんだ桜並木として大変素晴らしいです。大浦橋まで両岸とも42本の桜の木があります。大浦橋から西のヤマダ電機までは「せせらぎ通り」です。ここからも両岸に桜の木がず~と並木になっています。古久喜公園辺りには「ヒガンサクラ」「ヤマサクラ」もあります。このせせらぎ通り」も45本のサクラの木が並んでいます。中ほどの「古久喜公園」手前を右に行く小路は「北の小路」で枝垂れサクラのあと、地域の人たちによる花壇が水路に沿って約500ほど続きます。ヤマダ電機の側の「北陽高校交差点」角に「サイゼリヤ」があります。パスタを中心にリーズナブルなお値段で食べられますので、ドリンクバーと合わせて、お好みのものを召しあがってみては?。この交差点を北陽高校側の渡ると「香取公園」があります。中落し堀の調整池として作られました。21,000平方mで野鳥の観察公園となっています。この香取公園の周囲にもサクラの木が49本あります。公園の西側には「アリオ鷲宮」の工事が盛んに進められています。愛宕堀は、この地点の調整池が起点でしょうか。

愛宕堀(愛宕神社)サクラ情報(3)

2012-04-07 21:03:07 | Weblog
 愛宕神社をお参りして道路に出ると、正面が「愛宕茶屋」です。愛宕茶屋を右に見送って、愛宕堀の左岸に入っていきます。「愛宕遊歩道」です。「クリーンロード久喜」の標識があり「新一祭典保存会」が清掃活動をして環境美化に協力しています。このあたりの川面は、水かさが浅いため石や藻の株が水面にちょこっと顔を出して、水面のキラキラした白と石や藻の切り株の黒のコントラストが絵になっています。中央ハイツを過ぎると「鷹匠橋」です。この謂われは、伊達藩の鷹場であったといわれています。この辺から甘棠院、香取公園、野久喜、古久喜そして鷲宮の久本寺、上内の一体は、湿地帯・沼地で2mほどの葦ヶ原と言われます。鷹狩りは、レジャーであると同時に軍事訓練でもありました。江戸から50km圏の西、北、東方面には鷹場があります。その鷹狩りのときに、この橋から鷹を放したと言われています。それよりも私たちの泳ぎの場だったということです。「鷹匠橋」とコジマ電機の脇の「五領橋」の間が泳ぎのコースです。泳ぎ疲れたら魚釣りです。雷魚・鯉・フナ・ナマズ・うなぎも釣れました。鷹匠橋を過ぎるとヨーカドーです。ここには両岸に「しだれ桜」が並んでいます。しだれ桜は、まだまだ蕾です。しだれ桜の隙間から「KOHIKAN」の看板が見えます。ちょうどしだれ桜を眺めながら美味しいコーヒーでも、ついでに「苺ヨーグルトパフェ\500」はいかがですか。

愛宕堀(愛宕神社)サクラ情報(2)

2012-04-06 22:13:40 | Weblog
 この橋は、当愛宕堀桜並木の一番川下の起点です。ここから西の香取公園(野鳥観察の公園として久喜北陽高校の正門前にあります)まで、およそ2200M、さくら鑑賞の路=チェリーロードです。では出発しましょう。起点の橋から100M西の愛宕神社の橋まで、桜並木にふさわしいスタートのイメージです。7Mの川幅の両側に、恐らくこの桜並木の一番の古木であろう桜の木を含めて15本あります。愛宕堀には水が流れ、朝7時ごろであれば鴨・白鷺・鯉にお目にかかれます。水面に桜が映り神社の赤い欄干、金の擬宝珠とで絵になっています。起点の橋から、右岸を歩けば中ほどから愛宕神社の鳥居まで、ねこ柳(カワヤナギともいいます)が白い畝を作っています。鳥居にきたら是非「愛宕神社」にお参りして見て下さい。新町(新一、新二)仲町、東町の3町の鎮守の神様です。そして、お参りしたら霊験新たなる「愛宕だんご」「塩あんびん」を召しあがって下さい。特に「塩あんびん」は久喜の名物として、久喜のB級グルメとして最近急速に人気上昇しています。

愛宕堀(愛宕神社)サクラ情報(1)

2012-04-05 16:32:11 | Weblog
 桜の開花期をいい当てるのは毎年難しいようですが、今年は異常気象でことさらです。、4月に入っての低温と3日の異常な熱帯低気圧=風速40mという台風並みの風が荒れ狂いました。そして今日5日は、一転して温かい春の陽気になり、わが家の寒暖計は日中20度を指しました。そうなると、すぐ隣の愛宕堀の桜並木は・・・観てきました。5分咲きです。明日、明後日で満開になります。8日(日)は桜日和です。愛宕堀の両岸=JRのホームから愛宕神社の橋までです。久喜駅西口にでてクッキービルを右に曲がり120m先のマンションに突き当たりますが右に曲がってすぐ左に曲がりますと、JR宇都宮線に接触する橋にでます。ここから桜並木が始まりです。花より団子というかたは、マンション手前にお菓子工房「プレザン・パッセ」というこじんまりとした洋菓子屋さんがあります。私のお勧めは「シュ―クリーム」です。これは予約をするのがベターですので、突然では売り切れごめんの時がたびたびです。とくに午後2:00過ぎでは難しいです。