退職者スーさんのまち起こし・地域起こしボランティア

私は、定年退職し、会社人間から社会人間=地域人間に変身中です。どうしたら地域の仲間に入り、楽しく有意義に生きられるか。

東日本大震災=生の声を聞きました(大船渡市赤崎町公民館運営委員長・吉田忠雄氏)

2013-01-19 15:17:09 | Weblog
 18日彩の国コミュニテイ協議会主催により「東日本大震災3・11に学ぶ」副題~これからの防災・減災をみんなで考えよう~というテーマで羽生市産業文化小ホールでありました。時節柄適切なテーマですが、羽生と言う地域ですので正直参加者が少ないのではないか思ってましら小ホール(300人)ですが満員でした。
内容は、地震・津波の被災状況はこうでした、いまこういう生活をしています、というのではなく、地震以前からの自主防災訓練、そして地震当日の地域の人の避難確認、避難所での割振り、水の補給、明りの確保、トイレ・風呂、その他物資の確保・補給など避難所での日常生活の円滑化の苦労を知りました。避難所での人数は340人。子どもは日ごろの避難訓練のおかげで全員無事でした。訓練を甘くみて避難しなかった人、家に戻った人が死亡しました。この避難所は赤崎地区漁村センターで大船渡市ではありますが孤立しています。生活ライフライン=電気、ガス、水道、電話が全部不通になりました。まず食料は、1日目は防災グッズの非常食で、2日目は防災用のコメ10kgでおにぎり1個づつ、3日目は被災を免れた家からパン、米、うどん等を集めた、4日目に米軍ヘリがお米を落してくれた。水は若い男が山に入って沢の水をバケツで40杯毎朝運んだ。明りはローソクしかありませんでした。電池は数時間でしかありません。ローソクもそうはありませんでした。あるのは仏様用の小さなものです。夜トイレに行く人が問題です。一晩中つけとくわけにはいきません。火事も心配です。かといって年配者はトイレが近いです。情報もいろいろ聞いてくるので翻弄されました。そこで毎朝、朝礼を行いそこで物資の配給、その他情報は全て流しました。朝礼の情報に一本化しました。避難所での秩序維持のために7人のスタッフを任命し、毎晩スタッフの打ち合わせをしました。現在、避難住居ですが、行政は大船渡市内にということでしたが、自前で内に4か所の土地を手当てして、そこに建設して頂きました。おかげでコミュニテイは、ほぼ従前通り維持できました。これがなによりでした。行政はうまく利用することです、と締めくくりました。いや~公民館運営委員長・吉田さんその人が素晴らしいんでしょうね。



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