ヒト遺伝子想定的生活様式実践法

2023年8月にテーマ・タイトルを変更(旧は外国語関連)
2015年4月にテーマ・タイトルを変更(旧は健康関連)

はじめに・・・

 動物の生活様式の本質は遺伝因子に刻まれており、ヒトにおいても難しいことをせずにそのような生活様式を取り入れてみることが健康への第一歩と思います。なぜなら、生物の進化を眺めると、生息環境内で成り立ち得るある種の特徴を持った生態系があり、そこに依存する姿・形が想定する生活様式に倣うことが最も簡単と考えるからです(姿・形は生物側による長期間にわたる最適な変化の蓄積の賜物。例:チンパンジーはツル植物に覆われた密林での果実食に適応し、そのために手及び口の形や移動方法もこれに対応)。
 動物であれば何を食べて生きていくのかということが課題で、生活様式を変えようとすると、野生動物の場合は形質形態を変えるべく遺伝因子の変化を伴います。ヒトはいつの頃からか文化を持つようになり道具・技術を進展させてきましたが、これまでの生活様式を反映した遺伝子による自動制御を活用しないのは勿体ないと思います。(2024年9月記)


 外国語テーマも長く続かずなので、従来の健康ブログに戻してみようかと思いまして・・・ 備忘録的に残しておくと旧タイトルは「タイ語、漢字を使って覚えるの?」でした。(2023.8月記)


 従来の健康ブログ時に記事を書いていて、何故か、そろそろ外国語でも勉強した方がより良いかなーと思いつきまして、以来ちょこちょこと続けてきましたが、なんとなく、ある事を覚えると別の事を忘れてしまうモードに入ってしまったようで、知識量が停滞しつつあるような感じになりました。
 そこで、本ブログを外国語学習ブログに変更して、自分の備忘録的にまとめておこうかなと思いまして・・・。
 しかしながら、少し飽きたのか内容を増やしすぎたのか、書くのに手間がかかるようになり、時間がとれない時は、別ブログ「単語帳の素材?」にてライトな記事を書くことにしました。(この別ブログも徐々にライトでなくなり、記事を500本ほど書いたところで滞り中・・・)
 なお、健康ブログ時代の記事は、コチラの 入り口 からどうぞ。(2015.4月記)
 最近の健康系記事はカテゴリー「タイ語以外(健康2019)」からどうぞ。

二重動詞 動詞+ไป (離れて・完了・継続)

2015年05月19日 |  二重動詞

 動詞 หมด (mòt、なくなる)を取り扱ったところで、よい機会なので少し脱線しておこう(要は、今回は手抜きをしようということかも・・・)。

 หมด という動詞は、何かとくっ付いて出てくることがあり、よく見かけるのは、例えば前回記事でもふれた
  หมดแล้ว 「もうなくなった、既になくなった」
だろうか。あと、たまに見かけるものの中には、หมดไป という二重動詞の形もあるだろう。ไป の意味としては、上記の แล้ว と同様に完了の表したものとなっている。

 このような動詞 ไป は、補助動詞とか呼ばれることもあるようだけど、とりあえず使われ方をまとめておこう。主に3つの意味があるのだろうか。
(1) ออกไปเข้าไปเอาไป など。
(2) หมดไปแตกไป など。
(3) ต่อไปพูดไป など。


(1)については、「(離れて)行く」みたいな意味(英語で言えば "away" という感じ)を補う ไป となっていて、上記例示は、それぞれ「出て行く」、「入って行く」、「連れて行く」という意味合いになるのだろう。また、このような ไป の場合、文脈上の理由や言回しの流れから、必ずしも訳出しておく必要のないこともあるだろう(1番目は「出る」、2番目は「入る」のままとしておく)。


(2)については、完了を表す ไป で「・・・してしまう」みたいな意味になるのだろう。上述の例示でいえば、それぞれ「なくなってしまう」、「割れてしまう」という感じだろうか。
ただ、日本語で「~てしまう」とした場合、完了の意義が後退して、予期せぬことが実現したという意義が前面に出すぎることもあるので(例えば、「負けてしまう」)、その時は単に「・・・した」みたいな感じに訳した方がいいのかもしれない。
泰泰の解説だと、このような ไป は、
  แสดงว่าเสร็จสิ้นไปแล้ว (仮訳:既に完了してしまったことを表す)
と説明されているようだ(ここでの ไป も完了を表すものだけど、แล้ว も一緒に使われている)。

 もう少し例を出しておくと、
(ア)น้ำมันหมด     (イ)น้ำมันหมดไป
(ウ)แก้วแตก       (エ)แก้วแตกไป
(オ) อ่านหนังสือ   (カ)อ่านหนังสือไป

(ア)は「ガソリンがなくなる」、(イ)は「ガソリンがなくなってしまう」、
(ウ)は「コップが割れる」、(エ)は「コップが割れてしまう」、
(オ)は「本を読む」、(カ)は「本を読んでしまう」
というような感じとなるのだろう。

 完了を表す二重動詞のパターンだと、完了を表す มา のパターン
  動詞+ มา (ここで มา は「・・・して来た」の意味)
がよく知られているけど、個人的には、完了を表す ไป の方が使用頻度が多いのではないかと感じている。
想像するに、完了を表す มา の印象が強いのは、サバイバル会話の初歩で、挨拶代わりの表現ということで、次を習うからではないだろうか。
  ไปไหน    (pai nǎi)     「どこへ行くの?」
  ไปไหนมา (pai nǎi maa)  「どこへ行ってきたの?」


(3)については、継続を表す ไป で「(続けて)行く」みたいな意味になっている。上述の例示でいえば、それぞれ「続けて行く」、「話し続ける」というような意味になるのだろう。
印象の強さということで言えば、ต่อไป と聞くと、先ずは「次の」という意味が思い浮かぶのではないだろうか。そうであれば、それは多分、次のようなBTS(バンコク市内の高架鉄道線)の駅に到着する度に聞かせられる、印象的な車内アナウンス(タイ語と英語)のせいではないだろうか。
  สถานีต่อไป [駅名] (sàthǎanii tɔ̀ɔ pai [駅名])
  The next station is [駅名].

 

追記)
 書き忘れたので、追記しておこう。上記(1)と(2)の区別は、細かく言えば、必ずしも明確でないこともあるだろう。例えば、
  ทุกคนหมดไป
とあれば、〈皆、いなくなって(離れて)いった〉ともとれるし((1)の場合)、〈皆、いなくなってしまった〉ともとれることもあるだろう((2)の場合)。
まあ、訳したときに、大きく異なるわけでもないので、細かすぎる点を気にしても仕方がないということで・・・

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二重動詞 ก่อสร้าง コーサーンなど 〈○○する〉

2015年05月01日 |  二重動詞

 動詞 ก่อสร้าง (kɔ̀ɔ sâaŋ) についは、従来、なんとなく違和感があったというか、「何やねん、コイツは!」という感じがしていたのだ。

 ก่อสร้าง は、動詞と動詞とがくっつきつつ動詞の役割を果たすもの(二重動詞)の一つといえるだろう。
タイ語の場合、単語に語形変化がないので(「孤立語」というらしい)、〈動詞+動詞〉という形(「動詞連続(構造)」というらしい)を妨げる理由もないし、というかむしろ、この形が頻繁に用いられているような気がするのである。



 二重動詞でよく見かけるのパターンは、次のようなものの気がする。
  พาไป จับขึ้น ไปรับ
最初の paa pai は、「・・・して~する」という順番に動作を表すようなパターンで「連れていく」と、2番目のcàp kʉ̂ n は、つかんで上げる、すなわち「持ち上げる」と訳される感じだろう。
最後の pai rápは、(日本語からみると)主動作に目的が補足されたようなパターンで、迎えるために行く、「迎えに行く」となるのだろう。
これらと比較すると、冒頭の動詞は、どちらのパターンでもないような気がして、「何やねん、コイツは!」となった訳なのだ。



 もう一つ別の理由もあったような気がする。建てる系の意味の単語を最初に覚えたのは、とある単語集を使ってだと記憶しているのだけど、その単語集だと、先ず「สร้าง 建てる」の項が出てきて、関連として「ก่อสร้าง 工事する」と解説されているのだ。
この時点では「あー、そうですか。それぞれ覚えるしかないですねー」という感じしかしなかった。だけど、その後、読む経験を積んでいくと「工事する」では個人的にはしっくりいかなくなってしまったのだ(例えば、
  ก่อสร้างบ้าน kɔ̀ɔ sâaŋ bâan
とあると、家を改築する、の意味なのか、など)。
当時新たに購入したての分厚い辞書をひくと、
  สร้างก่อก่อสร้าง
のいずれにも「to build, construct 」(建てる、建築する)の意味があると知り、「何やねん、コイツは!」となった訳なのだ。冗長性がある表現は、記憶力が衰えているので、削れるところは削ってほしいところ、と思っていたのだ。



 その後、「何やねん、コイツは!」という違和感も、
  ก่อ - 〈起こす〉、สร้าง - 〈築く〉、ปลูก - 〈植える〉
との対応を並べておいて(ปลูกが入ってきたのは随分後だけど。〈建てる〉になりそうなタイ語動詞はなさそうかな)、しばらくしてから、ふとある時、
  ก่อสร้าง - 起こして築く、すなわち〈起築する〉(注:造語)
だなと気づいて、消えてしまった訳で・・・

 結局、このパターンは、語形変化のある日本語で言えは、
  「建てる」+「築く」 → 名詞化して「建築」 → スル動詞化して「建築する」
に類似しているなと整理することにした訳だ。。つまり、タイ語の二重動詞で、類似の意味の繰り返しパターンの場合は、日本語の「ある種のスル動詞」みたいなものだなという感じになったのだ。

 最近は、類似の意味の繰り返しの二重動詞は、けっこう気に入っている。
どちらかの単語の意味を知っていれば文意がとれる可能性があるし、片割れの見知らぬ友達を連れてきてくれて知り合いになれる可能性もあるし、辞書引きたくないときには「この単語は、二重動詞の片割れだろうから(と無理にでも思い込み)、調べなくてもマイ・ミー・パンハー(問題なし)だ」との言い訳にも使えるし、・・・


あと、ついでに書いておくと、ปลูกสร้าง(plùuk sâaŋ)という二重動詞もあるのだけど、意味は各自で調べてほしい。このブログ的には、次のような感じだろう。
  ปลูกสร้าง - 植えて築く、すなわち〈植築する〉(注:造語)


 最後に、「起築する」、「植築する」などを覚えても、記憶法としては、転がすことはできなさそうなので全く役に立ちそうもない、ということを念のため指摘しておこう。

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