動詞 ก่อสร้าง (kɔ̀ɔ sâaŋ) についは、従来、なんとなく違和感があったというか、「何やねん、コイツは!」という感じがしていたのだ。
ก่อสร้าง は、動詞と動詞とがくっつきつつ動詞の役割を果たすもの(二重動詞)の一つといえるだろう。
タイ語の場合、単語に語形変化がないので(「孤立語」というらしい)、〈動詞+動詞〉という形(「動詞連続(構造)」というらしい)を妨げる理由もないし、というかむしろ、この形が頻繁に用いられているような気がするのである。
二重動詞でよく見かけるのパターンは、次のようなものの気がする。
พาไป จับขึ้น ไปรับ
最初の paa pai は、「・・・して~する」という順番に動作を表すようなパターンで「連れていく」と、2番目のcàp kʉ̂ n は、つかんで上げる、すなわち「持ち上げる」と訳される感じだろう。
最後の pai rápは、(日本語からみると)主動作に目的が補足されたようなパターンで、迎えるために行く、「迎えに行く」となるのだろう。
これらと比較すると、冒頭の動詞は、どちらのパターンでもないような気がして、「何やねん、コイツは!」となった訳なのだ。
もう一つ別の理由もあったような気がする。建てる系の意味の単語を最初に覚えたのは、とある単語集を使ってだと記憶しているのだけど、その単語集だと、先ず「สร้าง 建てる」の項が出てきて、関連として「ก่อสร้าง 工事する」と解説されているのだ。
この時点では「あー、そうですか。それぞれ覚えるしかないですねー」という感じしかしなかった。だけど、その後、読む経験を積んでいくと「工事する」では個人的にはしっくりいかなくなってしまったのだ(例えば、
ก่อสร้างบ้าน kɔ̀ɔ sâaŋ bâan
とあると、家を改築する、の意味なのか、など)。
当時新たに購入したての分厚い辞書をひくと、
สร้าง、ก่อ、ก่อสร้าง
のいずれにも「to build, construct 」(建てる、建築する)の意味があると知り、「何やねん、コイツは!」となった訳なのだ。冗長性がある表現は、記憶力が衰えているので、削れるところは削ってほしいところ、と思っていたのだ。
その後、「何やねん、コイツは!」という違和感も、
ก่อ - 〈起こす〉、สร้าง - 〈築く〉、ปลูก - 〈植える〉
との対応を並べておいて(ปลูกが入ってきたのは随分後だけど。〈建てる〉になりそうなタイ語動詞はなさそうかな)、しばらくしてから、ふとある時、
ก่อสร้าง - 起こして築く、すなわち〈起築する〉(注:造語)
だなと気づいて、消えてしまった訳で・・・
結局、このパターンは、語形変化のある日本語で言えは、
「建てる」+「築く」 → 名詞化して「建築」 → スル動詞化して「建築する」
に類似しているなと整理することにした訳だ。。つまり、タイ語の二重動詞で、類似の意味の繰り返しパターンの場合は、日本語の「ある種のスル動詞」みたいなものだなという感じになったのだ。
最近は、類似の意味の繰り返しの二重動詞は、けっこう気に入っている。
どちらかの単語の意味を知っていれば文意がとれる可能性があるし、片割れの見知らぬ友達を連れてきてくれて知り合いになれる可能性もあるし、辞書引きたくないときには「この単語は、二重動詞の片割れだろうから(と無理にでも思い込み)、調べなくてもマイ・ミー・パンハー(問題なし)だ」との言い訳にも使えるし、・・・
あと、ついでに書いておくと、ปลูกสร้าง(plùuk sâaŋ)という二重動詞もあるのだけど、意味は各自で調べてほしい。このブログ的には、次のような感じだろう。
ปลูกสร้าง - 植えて築く、すなわち〈植築する〉(注:造語)
最後に、「起築する」、「植築する」などを覚えても、記憶法としては、転がすことはできなさそうなので全く役に立ちそうもない、ということを念のため指摘しておこう。