ヒト遺伝子想定的生活様式実践法

2023年8月にテーマ・タイトルを変更(旧は外国語関連)
2015年4月にテーマ・タイトルを変更(旧は健康関連)

はじめに・・・

 外国語テーマも長く続かずなので、従来の健康ブログに戻してみようかと思いまして・・・ 備忘録的に残しておくと旧タイトルは「タイ語、漢字を使って覚えるの?」でした。(2023.8月記)

 従来の健康ブログ時に記事を書いていて、何故か、そろそろ外国語でも勉強した方がより良いかなーと思いつきまして、以来ちょこちょこと続けてきましたが、なんとなく、ある事を覚えると別の事を忘れてしまうモードに入ってしまったようで、知識量が停滞しつつあるような感じになりました。

 そこで、本ブログを外国語学習ブログに変更して、自分の備忘録的にまとめておこうかなと思いまして・・・。

 しかしながら、少し飽きたのか内容を増やしすぎたのか、書くのに手間がかかるようになり、時間がとれない時は、別ブログ「単語帳の素材?」にてライトな記事を書くことにしました。(この別ブログも徐々にライトでなくなり、記事を500本ほど書いたところで滞り中・・・)

 なお、健康ブログ時代の記事は、コチラの 入り口 からどうぞ。(2015.4月記)
 最近の健康系記事はカテゴリー「タイ語以外(健康2019)」からどうぞ。

高抗体価の意義(田頭氏24/3/21記事関連)

2024年03月23日 | 思いつき

〔更新履歴:2024-3-31一部修正追加〕

 

 ワクチン理論は余り興味が湧かないので個人的にほとんど勉強していないけど、内科医の田頭氏の「たがしゅうブログ」の次の記事に啓発されたので、少し抗体価について考えてみたところ備忘録として・・・:

 

ワクチン打って抗体がつかない人で見過ごされている価値 -2024/03/21 
https://tagashuu.jp/blog-entry-2152.html

>この度のはしか報道の中でも、「抗体の有無を確認して、なければMRワクチンを打ちましょう」などという主張がよくなされています。
 「MRワクチンは有効」という前提に立っているので、このワクチンを打てば長く「抗体」を作り続けることができるということになると思います。それでも、中には「抗体」が時間とともに低下してしまっている人がいるので、少なくなったらワクチンを打ちましょうという論理が成立します。
 ただここで考えたいのは、そもそも「特定の抗原に対する抗体が年余に渡って上昇し続けていることははたして身体にとって本当に良いことなのか」ということです。
 人体のエネルギーは有限です。ここに異論のある人はいないと思います。抗体を産生させるにも、あるいはその状態を維持するのにも、何らかのエネルギーを費やし続ける必要があると思います。
 しかしこの度のコロナワクチン接種でも明らかになってきたように、抗体が高いことが必ずしも感染予防に寄与しているとは言い切れない状況です。あるいは、コロナワクチン接種後にはIgG4という不完全な性質の抗体が生まれるということもわかってきています
 これは私の考えですが、抗体産生システムをあまりにも過剰に刺激し過ぎると、一定の割合で不完全な抗体が生み出されてしまうのではないかと思うのです。
 そうすると本来異物を攻撃するはずの抗体が間違って自分の組織を攻撃してしまったりすると、そう考えるとIgG4関連疾患と呼ばれる病気が自己免疫疾患様に振る舞うことも説明がつくし、ステロイドが有効であることもしっくりきます。<

>これは「ワクチンは有効」という前提に立てば、「なかなか抗体がつかない厄介な体質」という理解になってしまうかもしれませんが、実は「少々の異物接触では抗体産生システムを乱されない安定的な恒常性維持能力」を意味しているのかもしれません
 かくいう私もB型肝炎ウイルス予防ワクチンを医療従事者の責務として打っていた若手医師の時代に、何度ワクチンを打っても大して抗体がつかないという経験を持っていました。その当時は自分の体質を厄介だなと感じてしまっていましたが、今にして思えば異物に負けずに身体が頑張ってくれていたのかもしれません。<


引用者注)MRワクチン:麻しん風しん2種混合ワクチン。MRは "measles and rubella" の略。

 

 上記引用の記事の内容(注1)に則して考えてみると:

 

注1)これに関連し、たまたま読んでいた、進化生物学者の長谷川 政美氏の著作「ウイルスとは何か」(2023年)において、麻疹ウイルスに関し次の記述を見つけたので紹介しておこう:

「その結果、麻疹ウイルスが牛疫ウイルスから分かれたのがおよそ2500年前(紀元前528年:95%信頼区間は紀元前1174年前~紀元後165年)・・・ということが分かってきた。
 およそ1万年前にウシ、ヤギ、ヒツジなどが家畜化されたが、これらの動物の感染症である牛疫ウイルスや小反芻獣疫ウイルスは、家畜化の後で出現したものと思われる。一方、ヒトに感染する麻疹ウイルスは人口25万~40万以上の規模の都市かないと、感染が持続しないといわれている。
 麻疹は一度罹ると一生のあいだ免疫が持続するといわれているので、これくらいの規模の都市がないと持続的に感染が保たれないのである。このような規模の都市が生まれるのが紀元前500年ごろであり、そこで牛疫ウイルスがヒトに感染するようになって、麻疹ウイルスに進化したものと考えられるのだ。
 麻疹の免疫は一生持続するので、『二度なし病』といわれていたが、最近は2回かかる例が出てきた。麻疹の免疫もやはり時間とともに減衰する。従来は常にある間隔をおいて麻疹の流行があったので、無症状で感染して免疫の抗体価を上げるということを繰り返していたのだ。ところが、ワクチンの普及でこのサイクルが途絶えてしまったために、2回罹るようになったのだという。」(同書112-113頁)

 

  進化的にみれば、麻疹は狩猟採集時代にはなかった病ということなのだろう。想像を巡らせると次のような感じだろうか:

-野生の牛が家畜された結果、個体群密度が高い状態の生活様式に変化し病原性ウイルスが発生した、

-時には牛も病気になり、その世話を人々がすることになり、牛とヒトとの接触が緊密なり、ヒトを宿主とできるようにウイルスが変異してきた、

-ヒトの集落が小さいうちは流行も起きないのだろうが、集落が都市化して個体群密度が高まると、流行するようになった。

 たまたま欧州の古代都市(トリピーッリャ、紀元前4000年頃。ウクライナの遺跡)の再現イメージ図を掲載した記事を見つけたので紹介しておこう。ニュースサイト「Gigazine」の記事から:

古代ヨーロッパで牛は食肉目的ではなく「糞」のために飼育されていた -2024年03月29日
https://gigazine.net/news/20240329-cattle-trypillia/
(記事中の3番目の図表が古代都市の再現イメージ図)

 ウシの家畜化された後の生活様式、ヒトの家畜飼育後及び集落の大都市化後の生活様式は、それぞれの従来の生活様式と異なりその歴史が浅いことから、高い個体群密度、牛との頻繁な接触などに対し遺伝子的に対応ができていないということかもしれない。ヒト側の都合では都市化や牛の飼育を止めるわけにもいかないだろうから、麻疹ウイルスの類を根絶はできなくて、共存していく道しかないのかもしれない。

 

引用記事から>「特定の抗原に対する抗体が年余に渡って上昇し続けていることははたして身体にとって本当に良いことなのか」

 製薬企業は、いろいろな仮説(天然の薬効成分の発見・精製は粗方終わり、創薬に手を出しているが故に本来複雑系のものを簡略化した何らかの枠組みが必要なため)が庶民にとって最終的に有益かどうかにかかわらず、利己的に仮説(この場合は「高抗体価万歳教」)の布教に努めているように見受けられる。また、企業内部の専門家も、庶民のためにと利他的行動を追求していると部門ごとお取り潰しの可能性もあり、利己的へと流されてしまうのかもしれない(創薬でしょうもない薬ができても「ボツです」とは言えずに、投資を回収する道筋を付けないといけない暗黙の圧力が内部であるのかもしれない。摩訶不思議でありながら販売開始された脳内のアミロイドβを分解する薬も、このような感じの産物なのかもしれない。注2)。

 

注2)かつて、とあるスポーツの採点競技を観戦していて思ったのが「潰しの効かない専門家ほど嘘をつき易い」ということなのだが、今は世界的に経済成長の原動力に乏しい状況なので、営利的な事業のいろいろな分野に広がっている雰囲気とも言えよう。

 専門家というのも一種のオタクな訳で、皆が人格高潔というわけでもないだろう。そのオタクとしての力を発揮し楽しい人生を送るためには、専門家の職務にしがみついていないといけない(人格高潔なら「武士は食わねど高楊枝」的な振舞いができるかもしれないが・・・)。真に優秀なレベルであればどこでも拾ってくれるだろうが、普通のレベルであれば、専門家集団内に序列をもたらす権威・考え方に挑戦するというのは難しいだろうし、権威筋や資金提供者の顔色を窺い迎合するという必要性が高まるのかもしれない。


 生物的には強毒の病が流行っても集団内の誰かが生き残る戦略のため、個々人の免疫系には多様性が確保されており、同じ異物の対処の仕方でも個人差が大きいだろう(例えば、抗体価は個人差も大きく同じ状況下でも100倍以上あるともされている)。各種アレルギーや花粉症をみても、抗体が多いことが必ず体に良いとは思えない。次の新聞社の記事は、安易に抗体価を上げることの危険性を示しているのだろう(デング熱は、熱帯ではいわば土着の風邪で子供の頃に感染することが多く、複数回感染すると稀に出血熱に移行して重症化する人がいるようで、エボラウイルス病にも似ている印象):

62人死亡? 比デング熱ワクチン導入の“失敗” -2018年7月22日
https://mainichi.jp/premier/health/articles/20180713/med/00m/010/021000c

 

 抗体も人体にとっては異物の一種であり(異物の構成タンパク質に特異的に反応する部分があり、自己とは異なるため)、二度・三度と人為的に量を増やそうとすると弊害があり得、必要に応じて自然にできる方が望ましいのだろう(例えば、免疫グロブリンIgG4は、山勘だと、必要以上に抗体が多すぎる場合に実際の免疫応答の現場でブレーキをかける役割と思われるところ。免疫系の多様性の故に、抗体価は上がれど現場での細胞性免疫は低下してしまう体質の人がいそうである)。

 


冒頭引用記事から>何度ワクチンを打っても大して抗体がつかないという経験を持っていました

 抗体価引上げ販売モデルにも闇があるのかもしれない。製薬業界による高LDLコレステロール対策や高血圧対策の薬販売モデルには、結構な闇が存在すると理解しているところ、低い抗体価(未感染なら当然)を何とかしようという取組みにも似たような構図が潜んでいる可能性があるだろう。

 この販売モデルの前提は

   「抗体価が高い方が感染への抵抗力が高い」

という理解なのであろう。この仮説に基づいて各種の抗体価を上昇させる薬(抗体価上昇薬。いわゆるワクチンがその典型例。昔からの名前を出さない方が適正な考察ができそうなのでリネーミング)が製造されているのであろうが、本当にこの前提が正しいのかどうかも考える必要があろう。

 副次的な前提(副前提)としては

   「抗体価上昇薬を使えば、抗体価が上がる」

というのもありそうだ。薬を使っても抗体価が上がらない体質の人は、稀な特異的な体質と整理としてるようだが、本当なのだろうか。

 

 先ずは、副前提への疑問を述べておこう。ウイルスに対する免疫応答には、自然免疫系のものもあり、その段階で余裕をもって処理されてしまえば、自ずと抗体はできにくいだろう。この方面の最近の知見(ウイルスに侵入された細胞内での自然免疫応答の模様)を知れば、獲得免疫が始動しそうもない人がいそうなことは容易に想像がつきそうなものである:

 

RNAウイルスの増殖を抑え込む、2段階目の防御戦略を発見 ~DNAウイルスへの反応経路を利用~ -2021.10.15
https://www.iis.u-tokyo.ac.jp/ja/news/3637/
>〇発表のポイント:
◆細胞は、DNAウイルスとRNAウイルスそれぞれに対して別々のセンサーと反応経路を介して、自然免疫を誘導すると考えられてきた。
◆マイナス一本鎖RNAウイルスである麻疹ウイルスが感染した細胞内では、RNAウイルスに対するセンサーに加えてDNAウイルスに対するセンサーも活性化し、重層的に自然免疫が誘導されることを、今回初めて発見した。
・・・<

 

 次に、前提への疑問についでに言えば、(既述の抗体の数量問題のほか)薬剤が産生する抗体の質にも問題がありそうである。自然感染後の方がよい抗体が身に付くとも言われており、人為的に盛った抗体価の強さと実際の感染への抵抗力との間に相関があるのか疑問が残るところ。
 本当に、人為的な抗体の質は良いのだろうか。抗体価が高い人がいっぱいいても感染の広がりを止められていない現状がある。そうすると、人為的に盛った抗体価に本当に意味があるのか、ということも考える必要があろう(注3)。従来一般人には知られていなかったが近年広がってきた抗体原罪の話は、まさに抗体の質の問題に関係しているのだろう。ビジネス・モデルの根幹に係わる話なので、なかなか情報は表に出てこないのかもしれない。

 

注3)抗体価上昇薬の場合、自然感染できる抗体価に対し平均するとその約20分の1の水準にしかできないものでも有効されている場合がみられる。人為的に盛った抗体価については、もしかすると体質によっては、感染への抵抗力を高めるためには絶対量として少なすぎるという点が問題になっているのかもしれない。この点は、抗体価を評価するための閾値が(免疫系の多様性を確保するために)様々ある体質の個々人全てに対して妥当なのか、ということと関連していそうである。

 


 以上のように考えを巡らせると、高い抗体価でよくないこともあり、低い抗体価でも問題ないこともある、という事情が浮かび上がるのだが、果たして現実は・・・?(注4)

 

注4)注1で触れたように、人為的に抗体価を上げると従来「二度なし病」と整理されていた感染症が「二度あり病」に変化するという現実があるようだ。従来は、当初感染した後、15-20年以下の周期で流行するようなら無症候感染による追加免疫効果(抗体価のブースト効果)でほとんどの場合に二度なしが実現していたのだろう。抗体価上昇薬が広く普及すると二度なし病が二度あり病に変化するのであれば、30-40年スパンで観察して、庶民にとって長期スパンでみても感染リスクが減ることを検証していく必要があろう。
 個人的なコスト・ベネフィト的には、二度なし病であってくれた方が楽でいいので、今後において抗体価上昇薬の利用に対するハードルが上がったかなと思うところ。

 

 最後に、なんとなく抗体価上昇薬を分類すれば、従来型のワクチン(21世紀以前に開発されたものに限る)、遺伝子操作を伴うワクチンもどきの類(所詮もどきであり「ワクワクチーン」とか「ワクチンチーン」とでも呼ぶべきか)、その他の抗体価上昇薬の三つに分類できるだろうか。個人的には、前者は打ってもいいけど(トラブルの程度が実証されているので)、中者や後者は、よほどのことがない限り打つことの是非の検討すら始めないだろうという感じ(とある感染症が交通事故死リスクを上回らないと、そもそもワクチン理論(現状では仮説の一種と評価)を勉強する気が起きないところ)。


細胞の解糖系依存度仮説(清水氏24/3/18記事関連)

2024年03月20日 | 思いつき

〔更新履歴:2024-3-25及び27一部修正追加〕

 

 個人的に謎が二つあって、暇な時にいろいろ考えていたところ:

Q1 ヒトの腸内で何故乳酸菌は通過菌なのか?
Q2 ヒトには細胞分裂抑制メカニズム(がん抑制遺伝子など)があるが、促進メカニズムはないのか?(特に解糖系が関与するもの)

 

 前者は、腸内細菌に関する本(ジャスティン・ソネンバーグ著「腸科学 -健康な人生を支える細菌の育て方-」(2016年))を読んでいて出てきたものである。乳酸菌は、定着できないので常在共生体にはなれないらしい(注1)。というか、体に害のものあるらしく、体内に侵入させてはいけないということで乳酸菌がやってくると腸管のバリア機能が強化されるらしい。結果として、乳酸菌は留まれず常に排泄され強化された腸管バリアが残るので、体に良いものと一般的に認識されているらしい(一種のホルミシス効果であった模様)。

 後者は、乳酸の話には直接関係しないけど、安保 徹氏の言説の一つに「がん細胞の先祖返り仮説」というのがある(詳しくは、その著書「免疫力で理想の生き方・死に方が実現する」(2013年)を参照)。簡単に説明すると、細胞(真核細胞)は解糖系生命体とミトコンドリア生命体(酸化的リン酸化生命体)との共生生態系から発展したものであり、低体温・低酸素・高血糖の環境に長く置かれると先祖返りしてがん細胞(解糖系が亢進し細胞分裂つし続ける解糖系生命体様のもの)になるというものである。この言説が正しいとすると、ミトコンドリアと解糖系が関与した細胞分裂促進メカニズムがあるはずなので、消極的に探していたところ(注2)。

 

注1)ここの内容は原本を要確認。腸内の常在共生体のうちラクトバチルス属(Lactobacillus 。「ラクトバシラス」とも呼ぶ)の細菌も「乳酸菌」と呼べるらしいので、この部分の趣旨がはっきりしなくなるところ(すまぬ・・・orz)。手元にない原本を再度確認する予定ということで・・・。とりあえずここでは「食事として新規に摂取する乳酸菌」という趣旨にしておこう。

注2)乳酸と解糖系との関係についておさらいしておこう。解糖系については、福岡大学のサイトの記事から:


解糖
http://www.sc.fukuoka-u.ac.jp/~bc1/Biochem/glyclysis.htm
解糖(glycolysis)はほとんど全ての生物に共通に存在する糖の代謝経路で,反応は細胞質で行われる。解糖は Embden-Meyerhof 経路とも呼ばれ,本来、D-グルコースの嫌気的分解による乳酸やエタノール生成までの過程(発酵という)を意味したが、好気的条件下でもピルビン酸までは全く同じ経路をたどる事が分かった。・・・<

>嫌気的解糖と好気的解糖
 嫌気的条件では、乳酸やエタノールの生成が最終段階となり,1分子のグルコースから2分子のATPがつくられる。
    Glucose + 2 ADP + 2 Pi + 2 NAD+ → 2 Pyruvate + 2 ATP + 2 NADH2+ + 2 H2O
筋肉など大部分の組織はグリコーゲンを貯蔵しているので,解糖はグリコーゲンから始まる。・・・
 一方,好気的条件では乳酸生成の速度が著しく低下する。これは、(a) ピルビン酸→ 乳酸の経路から,(b) ピルビン酸 → アセチル-CoA → TCA回路 → 呼吸鎖の経路に切り替わるためである(パスツール効果)。(b)の経路を利用した場合,グルコース 1分子から最大38分子ものATPが得られる(グルコースの完全酸化を参照)。<


引用注)Pyruvate:ピルビン酸、NAD+:ニコチンアミド・アデニン・ジヌクレオチド(電子伝達体の一種で、〔酸化型〕NAD+ ⇔ NADH2+(還元型NAD+)の間で反応の際の電子伝達を媒介する。NADH2+はより高いエネルギー順位で、通常はミトコンドリア内に輸送されて電子伝達系でATP産生に利用され元のNAD+に戻る)。


 進化的にみれば、解糖系の基本は乳酸(又はアルコール)の生成となっている。ヒトの場合は、酸欠だと生死にかかわるので普段は好気的であるため乳酸の生成まで行かずにピルビン酸に留まり、そこから別の代謝系(主にミトコンドリア系)に入ることが多い。筋肉において、ピルビン酸が乳酸まで変換される理由については、日本蛋白質構造データバンク(PDBJ)のサイトの記事から:


乳酸脱水素酵素
https://numon.pdbj.org/mom/102?l=ja
>通常のペースで運動をする時、私たちの細胞は酸素を豊富に取り込んで糖を素早く効率的に分解する。ところが、全力疾走など激しい運動をすると、酸素が十分に行き渡らなくなる。そういう時、私たちの細胞はエネルギー源として解糖系を使う。解糖系の過程の中で、グルコース(ぶどう糖)から得られた水素はNAD+へと渡されて、NADHができる。通常の酸素呼吸の場合、水素はその後酸素に受け渡されて水になる。一方酸素が使えない時は、NADHが溜まってNAD+が足らなくなり、ATPを作るために解糖系を使い続けることはできなくなる。そこで乳酸脱水素酵素の出番である。この酵素はピルビン酸とNADHをくっつけて、乳酸(lactic acid)とNAD+を作り出す。この働きによってNAD+をリサイクルし、再び解糖系で再利用することで、全力疾走に必要な追加エネルギーを素早く作り出すことができるようになる。ただ、乳酸が溜まり数分もすると止まって身体を回復させないといけなくなる。この場合一息つけば、乳酸はピルビン酸に戻され、通常の有酸素的なエネルギー生産過程に入って行くことができる。<


引用注)この記事では前の記事の「NADH2+」を「NADH」と表記している。

 

 で、清水氏のブログ「ドクターシミズのひとりごと」の次の記事を読むと、これらの疑問が2/3以上解けたような気がするところ:

糖質摂取により血糖値よりも乳酸が先に増加する -2024年3月18日
https://promea2014.com/blog/?p=25547

>いまだに乳酸は疲労物質だと思っている方もいるかもしれません。乳酸は疲労物質でも老廃物でもありません。エネルギー源です。例えば、乳酸の代謝を筋肉で見ると、速筋線維はミトコンドリアが少なく、グリコーゲンが比較的多く、解糖系が進むと乳酸ができやすいのですが、遅筋線維および心筋はミトコンドリアが多いので、乳酸をたくさん使うことができます。速筋線維でできた乳酸が遅筋線維や心筋で使われ、このようなメカニズムを細胞間乳酸シャトルともいいます
 また、脳では、神経細胞は血流からのブドウ糖ではなく、隣接するアストロサイト(星状細胞)から乳酸を受け取って、その乳酸を主なエネルギー源としているという乳酸シャトル仮説が唱えられています。アストロサイトから神経細胞への乳酸シャトル仮説は、アストロサイトがブドウ糖を代謝して乳酸を生成し、その後細胞外に放出されて神経細胞に取り込まれ、神経細胞ではその乳酸はピルビン酸に変換され、TCA回路に入り、神経活動の亢進を維持するために必要なエネルギーを生成すると考えられています。
 もしかしたら、ブドウ糖そのものを解糖系で代謝して、その後TCA回路に入るのではなく、一旦乳酸に変えて、それをピルビン酸に戻して、TCA回路でATPを作ることをわざわざしている可能性があります。<

>上の図はaがOGTT後30分での、摂取したブドウ糖の行方です。bは120分間での行方です。黄色が血中の乳酸、青が肝臓のグリコーゲンおよびブドウ糖、赤が血中のブドウ糖、緑は糖新生です。75gのブドウ糖は30分間(腸の乳酸シャトル相)で、血中乳酸として9g、肝臓を迂回した血糖として3g、糖新生を介した乳酸由来の血糖として2g、肝臓のグリコーゲンおよび肝臓に保持されるブドウ糖として61gでした。血糖で全体で5gなので、1g/L=100mg/dLですね。
 その後120分での全身性乳酸シャトル相を含めた全体として、75gのブドウ糖負荷は、29gは血中乳酸として、24gは肝臓からのブドウ糖放出からのブドウ糖で、8gは糖新生からのブドウ糖で、14gは肝臓のグリコーゲン貯蔵庫として残っているか、不明です。しかし、いずれにしてもブドウ糖を経口摂取すると非常に多くの割合が血中の乳酸に変わっています。解糖系が非常に亢進しているのがわかります。
 乳酸シャトルは2相性であり、経口摂取してすぐの腸の解糖と、その後のブドウ糖が解糖系で全身で処理される全身相があると考えられます。
 そして、経口摂取から5分以内で乳酸と共にインスリンが上昇しているのは、インスリンが腸の解糖に関わっていることだと思われます。さらに、乳酸はもしかしたらもっと体内で重要な役割があり、シグナル伝達物質でもある可能性があります
 また肝臓のグリコーゲン合成は、ブドウ糖の摂取後2分ですでに起こるそうです。(ここ参照)経口摂取されたブドウ糖は、食後の初期段階では肝臓での取り込み率はかなり高く、肝臓のブドウ糖の代謝または貯蔵能力を超えた場合にブドウ糖が直接循環に移行すると考えられます。進化の過程では、糖質はほとんど無かったために、できる限り早く肝臓に貯蔵しようと進化したのかもしれません。
 いずれにしても、乳酸生成は普通に起きていることで、疲労物質でも老廃物でもありません。腸で一度乳酸に変えてから血中に入ることで体へのダメージを減らそうとしているのか、他の何か重要な目的があるのか、よくわかりません。また、全身性の乳酸シャトルにしても、血糖をそのまま取り込むよりも乳酸として取り込む方が何らかの利点があるのかもしれません。それとも少しでも早く血糖値を下げたいがためのメカニズムでしょうか?<

 

 上述の二つの謎については多分興味のない人が多いだろうから、それらの答えは別の機会にすることにしよう。ここでは、そこでの考え方を応用して

   Q3 何故乳酸シャトルがあるのか?

という問を考えてみると、次のような感じだろうか(思いつきレベルであるものの「細胞の解糖系依存度仮説」とでも呼んでおこう。本当はもう少し多角的に検討しないといけないのだが、Q1-3の疑問が解消したような気がするのでメモしておこうかと思い・・・):

 

Q3 何故乳酸シャトル(乳酸の不使用・排泄と取込み・利用)があるのか?

A3)乳酸シャトルが生じるのは、次のような背景があるからであろう(手短にするため箇条書きにて):

・ヒト細胞からの乳酸の排泄は、解糖系の高依存度(ATP迅速供給と細胞分裂が可能。注3)の裏返しなのだろう(乳酸の輸送は膜上のモノカルボン酸輸送体(MCT)により制御される模様)。
・解糖系に関し、筋肉速筋(構造的に細胞分裂は不可)は高依存度(高水準の供給迅速性が必要なため)を、脳神経細胞(海馬では分裂し増殖あり)は低依存度(アストロサイトの解糖系で肩代わり。神経細胞にはミトコンドリア数も多い。注4)を選好するのだろう。

 

注3)解糖系のATP供給速度は、ミトコンドリア系(酸化的リン酸化系)のものより約100倍速いと言われている(細胞内のATP供給系にはもう一つ「クレアチンリン酸系(ATP-CP系)」というのがあり供給速度が最も早い模様)。
 また、寿命の短い細胞は、細胞分裂し易くなっており細胞内のミトコンドリア数が少ない(解糖系の依存度を高め易い)一方、寿命の長い細胞(特に筋肉・神経細胞などの分裂しない細胞)ではミトコンドリア数が多くなっている(解糖系の依存度を高めにくい)という特徴がある。

注4)がん細胞をみてもわかるように、細胞分裂と解糖系は相性が良い(両者の機能は真核細胞の宿主たる古細菌システムを転用したもので、もともと寄生菌(ミトコンドリア)の関与が最小限)。ヒトだと細胞分裂抑制遺伝子(がん抑制遺伝子)があるけど、例えばその一つであるp53遺伝子をみると、解糖系の抑制作用を持った仕組みとなっている。

 どうも細胞分裂の際はエネルギー供給として解糖系が必須な模様で、低依存度であれば誤って増殖もしないのだろう。血管内皮細胞(endothelial cells, ECs)の場合について:

Role of PFKFB3-driven glycolysis in vessel sprouting -2013
https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/23911327/
>Here, we show that ECs relied on glycolysis rather than on oxidative phosphorylation for ATP production and that loss of the glycolytic activator PFKFB3 in ECs impaired vessel formation. ... <


・そうすると分裂しようとする体細胞は、高依存度と推定される(特に、寿命の短い腸管粘膜上皮細胞。同細胞はミトコンドリア数も少ない。注5)。寿命の短い組織は別として、排泄される乳酸は付近の組織で利用することが多いのだろう。なので、体細胞では普段は乳酸取込み・利用モードにあり(細胞分裂する細胞の周辺の細胞は乳酸を取り込む結果、解糖系が低下し分裂し難くなる)、分裂が迫るとモードが変化すると推定される。

注5)小腸の粘膜上皮細胞のエネルギー源は、普通の細胞と異なっていて、アミノ酸の割合が最も高く、ぶどう糖の割合は低い(うろ覚えだと、グルタミン・グルタミン酸が4割、ぶどう糖は1-2割程度など。グルタミン・グルタミン酸はαケトグルタール酸になりミトコンドリア系で(TCA回路に入り)ATP生成に利用される)。なので、食餌の際に解糖系を高効率で回そうとして乳酸が出てくるのかもしれない。他方、エネルギー源(代謝燃料)であるアミノ酸(グルタミン・グルタミン酸のほかアスパラギン酸も)も全部は酸化分解されずに一部(2割ほど)は乳酸に変性するようであり、これが血液中に出てきている可能性もあるかもしれない。サイト「脂質と血栓の医学」の記事から:

グルタミンとグルタミン酸
***http://hobab.fc2web.com/sub4-Glu_Gln.htm

>5.小腸のグルタミンとグルタミン酸
 小腸では、グルタミンや、グルタミン酸は、代謝燃料(metabolic fuels)として、重要な役割を果たしている
 食事中(食餌中)のグルタミン、グルタミン酸、アスパラギン酸は、小腸で吸収され、小腸粘膜で、代謝されるが、殆んど、(門脈)血中に入ること(腸以外の組織で利用されること)はない。・・・

 小腸で、腸管内(食餌由来)のグルタミンの炭素は、56%が二酸化炭素に、16%が乳酸に、4%がアラニンに、2.4%がグルコースに代謝されるグルタミン酸の炭素は、64%が二酸化炭素に、16%が乳酸に、3.3%がアラニンに、代謝される。アスパラギン酸の炭素は、51%が二酸化炭素に、20%が乳酸に、8%がアラニンに、10%がグルコースに代謝される

 小腸で産生される二酸化炭素は、38%が、動脈血中から取り込まれたグルタミンに由来し、39%が、腸管内(食餌由来)のグルタミンとグルタミン酸とアスパラギン酸に由来し、6%が、腸管内(食餌由来)のグルコースに由来する。このように、小腸粘膜では、グルコースよりも、アミノ酸の方が、代謝燃料になる。<(A3了