人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

私とあなたの真理

2021-06-11 10:07:34 | 哲学・思想
「真理はあなたを自由にする」(ヨハネ福音書8章)

私は真理が何であるかは分かりません。
この理由で、いささかズレた言い方になるのですが、これまでの人生で何かの教えなどに触れるなどして、"私は真理に出会ったのだi"と思ったことは何度もあります。
しかし、それは錯覚なのかもしれません。
もしも、そうした出会いの一つを捉えて、"これが絶対の真理だi"と思い込んだとしたら、多分そういうことになるでしょう。その真理だとされる内容は常に変わるものなのだから...
ただ、どの局面においても共通した感覚があります。それは一口に言えば幸福感、充足感、解放感といったもので、とにかく何かが開かれたという感じです。
これは、極めて主観的なことを言っているのでしょう。
これとは異なり、真理には客観的真理とされているものがあります。もしかしたら多くの人が真理と捉えているものはこういうものなのかもしれません。
万有引力の法則...上から固いものが落ちてきたらケガをするだろう。悪いヤツが捕まった...因果応報の何かだろう...今日も太陽は東から上り、西に沈む...
こういうものも真理には違いないでしょう。だが、それを知ったからといって、あの感覚に与れる訳ではありません。"真理が分かった、だからなんだi"、ってなもんでしょう。
むしろ、この動かざる真理(とされるもの)の前に、かえって苦境に立たされる場合だってあり得るのです。真理はあなたを不自由にするのか?
真理の探求者と呼ばれるような人たちは、そういうものを追求しているのでしょうか?
真理の探求がツラく、ツカレるものならば、私はサッサとやめます。こんなバカらしいことはないですよi
客観的真理なら誰かがそう言っている、そうだとされるものに任しときゃいい...
そう、こういう真理というものは私に直接、真向かいに出会うものじゃないのですi
あの幸福感といったものはここから来るに違いありません。
この意味で、私に直接の真理とは、神的なものと共にあると言ってもいいでしょう。
だから、その出会いの瞬間、思いは超えられてしまうように感じるのでしょう。
だから、神と同様、私の真理が何であるかは分からないのです。
そして、その探求はやめることが出来ません。(いや、向こうから求められているということさえ感じて来ます)
惹かれてやまない、とはこういうことなのだから...。
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