人生の裏側

人生は思われた通りでは無い。
人生の裏側の扉が開かれた時、貴方の知らない自分、世界が見えてくる・・・

原感覚と言語化

2024-03-29 09:36:21 | 哲学・思想
私がいつも神的な現臨などと言っているものは、始めはそういう表現は無かったのです。
頻繁に使われるようになったのは、このブログを始めてからと言ってもよく、そういう場も無かったから当然のことですね。
このように、私はこの場で随分と拙いながらも言語化を試みて来た訳です。
いやもう...自分で言うのもおかしいですが、おかげで色々理解の幅も広がったし、深まった?(こっちの方は一寸言えないですが)...ある意味で理解が向上したとは言えるかもしれません。
少なくとも、これは体系化なんてものとは程遠いですが、言語化することにより、言葉に表せない、何だか分からない、“ああいうもの“にメハナ“や方向性が与えられたということでしょう?
言うまでもなく、言語化というものは、知的な行為です。言葉、概念というものを借りて、ある程度の理解の筋道というか、論理性にも則る必要もあるでしょう。
勿論これは、読む人間が居るということを想定しているのです。誰が理解するのかは知る由も無いですが!...
世の中では、多く哲学者(批評家という人たちも居るが、正直私は何してる人なのかよく分かりません。ただの読者がそれを気取ったりしてます?)と言われる人たちがこうしたことにパトス(情熱)を注いで来たのです。
私自身が浅学ながら、その読者になったりする訳ですが、その言葉に表せないものをよくぞ言語化されたものか、と感激してしまうことも少なからずあるのです。
よく考えたら、これはその述者と読者の間に共通感覚が存在していなければ、そういう共感は生まれないのですね。
これは感覚的なことであって、しばしば混同されがちな、知識や概念に基づく共通認識といったものとは違うのですよ。(万たる共通認識を得られても、たった一人の共通感覚を共感出来る者には代えることは出来ない!)
ですから我々の精神世界の構造は、言語化される、知的な行為以前のこうした原感覚こそが土台と言えるでしょう。
感性的なものが土台で、知性的なものはその上に築き上げられるのです。
そうでなければ、言葉、観念は宙に浮き、思念世界に現れては消えてゆくだけでしょう。
この意味で、感性と切り離されない知的なアプローチは、精神的な道にあって、有効であるのは言うまでもないし、欠かせないものとも言えるでしょう。
普通に考え、そして感じてみたら分かる!...ただの浮いた言葉だけの、知的アプローチによっては思いを超えた、霊性の世界につながることは不可能なのです!
もし、あなたが言葉の述者、あるいは聞き手、読み手であるとして、そこに何か自分の内部を揺さぶるような言葉が交わされたなら、そこに言葉に言い表せないものが臨んでいるのかもしれません!
そのことを意識してみたら、見えない世界でより深まり、それに言葉が与えられることにより、見える世界に露わになるでしょう!...
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 知性、感性、霊性 | トップ | 僕の場所 »

コメントを投稿

哲学・思想」カテゴリの最新記事