太平洋のまんなかで

南の島ハワイの、のほほんな日々

若年性の・・・

2016-10-03 18:05:56 | 日記
今日、レジスターでキャッシャーをやっていて、

突然アホになってしまった。

お金を受け渡ししているとき、お金を見て

「なにこれ?」

と思った。


みんなが欲しがっているものって、コレ?


もちろん私だって例外じゃない。

我が家の収入は半分になった今、以前にも増してお金は欲しい。

にもかかわらず、紙とコインで構成されたコレと物と交換するわけね、

とか思っているのだ。

オマエは宇宙人か!というツッコミも我が身から沸いてくる。


私はどうしたというのだ。


これは、これは、もしかしたら、あの若年性の、

ああ、口にするだに恐ろしい、認知なんとかというアレか?

不安になった。

時折、脳の英語回路が切れたようになって、至極簡単な英語が理解できなくなることがある。

それは第二言語で暮らしているのだから仕方がないのだと思っていたが、

もしかすると、それもアレなのかと思えてくる。


お金に対する不思議な思いは、しばらくして消えたけれど、

嫌な余韻がねっとりと残っている。







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墓場にもってゆくもの

2016-10-01 19:27:31 | 日記
あるとき夫と、今までの人生で懺悔することを言い合おう、ということになった。

懺悔することなど数えきれないほどあるが、

最初に浮かぶのはいつも、小学生のときのことである。


ホームルームの時間に、担任の先生が、家族のうちで誰が一番にお風呂に入るかと聞いた。

うちは祖父が1番風呂と決まっていた。

先生が順番に「おじいさん」「おばあさん」と言ってゆき、

該当するところで手を挙げるのだが、「おじいさん」のところで手を挙げそこねてしまった。

小心者で融通がきかない私は、どこかで手を挙げなくてはと焦り、

「おかあさん」と言ったところで手を挙げた。私ひとりだったと思う。

べつに最後まで手を挙げなくてもよかったのに。

母は大抵終い風呂だったから、大変申し訳ないことをしたと子供心に思った。

担任の先生は、「んまあ、舅や姑をさしおいてお風呂に入るのね」と内心思っただろうし、

父兄会の時は、この人が1番風呂に入る人なのね、と思って母を眺めたかもしれない。



夫の懺悔はまた様子が違った。

高校1年のとき、夜、数人の友達と車に乗って走っていた。

人通りの少ない暗い夜道を、自転車に乗っている男性がいて、

通り過ぎざまに数個の生卵を投げて、いそいで走り去った。

ずいぶんひどいことをすると私は思った。

夫のために言っておくが、夫はけして不良ではなく普通の高校生だった。

お酒も飲んでいなかったし、数人集まって気が大きくなって、悪ふざけしただけだと思う。

その翌日、学校に行くと、斜め後ろの席のクラスメイトが

「昨日さぁ、自転車で走ってたら誰かに生卵ぶつけられてさ、まいったよ、まったく!」

とまわりの生徒たちに言っているのを聞いて、思わず振り向いてまじまじと顔を見た。

「ひ、ひどいことするやつがいるもんだなあ」

夫は周囲にあわせてそう言ったが、あまりの偶然に驚くやら申しわけないやら。





「おかあさんがそれを聞いたら、取り返しがつかないことでもあるし、気を悪くするだろうねえ」

見ず知らずの無実の人に卵を投げておきながら、その言い方はなんだ。

しかし、記憶というのは不思議なもので、どうでもいいようなことをいつまでも覚えていることがある。

小学2年のときにフジタくんが「バナナ食べると吐くんだよね」と言ったこととか、

いわさきくんが膀胱炎になって、授業中に何度もトイレに行ったこととか、覚えていたくないのに覚えている。

だから、私の母が1番風呂に入ることを、何十年たった今でも覚えている人がいないとも限らない。



私は母に懺悔しようと思ったこともあったが、やはりこれは墓場までもってゆくことにする。




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