あるとき夫と、今までの人生で懺悔することを言い合おう、ということになった。
懺悔することなど数えきれないほどあるが、
最初に浮かぶのはいつも、小学生のときのことである。
ホームルームの時間に、担任の先生が、家族のうちで誰が一番にお風呂に入るかと聞いた。
うちは祖父が1番風呂と決まっていた。
先生が順番に「おじいさん」「おばあさん」と言ってゆき、
該当するところで手を挙げるのだが、「おじいさん」のところで手を挙げそこねてしまった。
小心者で融通がきかない私は、どこかで手を挙げなくてはと焦り、
「おかあさん」と言ったところで手を挙げた。私ひとりだったと思う。
べつに最後まで手を挙げなくてもよかったのに。
母は大抵終い風呂だったから、大変申し訳ないことをしたと子供心に思った。
担任の先生は、「んまあ、舅や姑をさしおいてお風呂に入るのね」と内心思っただろうし、
父兄会の時は、この人が1番風呂に入る人なのね、と思って母を眺めたかもしれない。
夫の懺悔はまた様子が違った。
高校1年のとき、夜、数人の友達と車に乗って走っていた。
人通りの少ない暗い夜道を、自転車に乗っている男性がいて、
通り過ぎざまに数個の生卵を投げて、いそいで走り去った。
ずいぶんひどいことをすると私は思った。
夫のために言っておくが、夫はけして不良ではなく普通の高校生だった。
お酒も飲んでいなかったし、数人集まって気が大きくなって、悪ふざけしただけだと思う。
その翌日、学校に行くと、斜め後ろの席のクラスメイトが
「昨日さぁ、自転車で走ってたら誰かに生卵ぶつけられてさ、まいったよ、まったく!」
とまわりの生徒たちに言っているのを聞いて、思わず振り向いてまじまじと顔を見た。
「ひ、ひどいことするやつがいるもんだなあ」
夫は周囲にあわせてそう言ったが、あまりの偶然に驚くやら申しわけないやら。
「おかあさんがそれを聞いたら、取り返しがつかないことでもあるし、気を悪くするだろうねえ」
見ず知らずの無実の人に卵を投げておきながら、その言い方はなんだ。
しかし、記憶というのは不思議なもので、どうでもいいようなことをいつまでも覚えていることがある。
小学2年のときにフジタくんが「バナナ食べると吐くんだよね」と言ったこととか、
いわさきくんが膀胱炎になって、授業中に何度もトイレに行ったこととか、覚えていたくないのに覚えている。
だから、私の母が1番風呂に入ることを、何十年たった今でも覚えている人がいないとも限らない。
私は母に懺悔しようと思ったこともあったが、やはりこれは墓場までもってゆくことにする。
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懺悔することなど数えきれないほどあるが、
最初に浮かぶのはいつも、小学生のときのことである。
ホームルームの時間に、担任の先生が、家族のうちで誰が一番にお風呂に入るかと聞いた。
うちは祖父が1番風呂と決まっていた。
先生が順番に「おじいさん」「おばあさん」と言ってゆき、
該当するところで手を挙げるのだが、「おじいさん」のところで手を挙げそこねてしまった。
小心者で融通がきかない私は、どこかで手を挙げなくてはと焦り、
「おかあさん」と言ったところで手を挙げた。私ひとりだったと思う。
べつに最後まで手を挙げなくてもよかったのに。
母は大抵終い風呂だったから、大変申し訳ないことをしたと子供心に思った。
担任の先生は、「んまあ、舅や姑をさしおいてお風呂に入るのね」と内心思っただろうし、
父兄会の時は、この人が1番風呂に入る人なのね、と思って母を眺めたかもしれない。
夫の懺悔はまた様子が違った。
高校1年のとき、夜、数人の友達と車に乗って走っていた。
人通りの少ない暗い夜道を、自転車に乗っている男性がいて、
通り過ぎざまに数個の生卵を投げて、いそいで走り去った。
ずいぶんひどいことをすると私は思った。
夫のために言っておくが、夫はけして不良ではなく普通の高校生だった。
お酒も飲んでいなかったし、数人集まって気が大きくなって、悪ふざけしただけだと思う。
その翌日、学校に行くと、斜め後ろの席のクラスメイトが
「昨日さぁ、自転車で走ってたら誰かに生卵ぶつけられてさ、まいったよ、まったく!」
とまわりの生徒たちに言っているのを聞いて、思わず振り向いてまじまじと顔を見た。
「ひ、ひどいことするやつがいるもんだなあ」
夫は周囲にあわせてそう言ったが、あまりの偶然に驚くやら申しわけないやら。
「おかあさんがそれを聞いたら、取り返しがつかないことでもあるし、気を悪くするだろうねえ」
見ず知らずの無実の人に卵を投げておきながら、その言い方はなんだ。
しかし、記憶というのは不思議なもので、どうでもいいようなことをいつまでも覚えていることがある。
小学2年のときにフジタくんが「バナナ食べると吐くんだよね」と言ったこととか、
いわさきくんが膀胱炎になって、授業中に何度もトイレに行ったこととか、覚えていたくないのに覚えている。
だから、私の母が1番風呂に入ることを、何十年たった今でも覚えている人がいないとも限らない。
私は母に懺悔しようと思ったこともあったが、やはりこれは墓場までもってゆくことにする。
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