太平洋のまんなかで

南の島ハワイの、のほほんな日々

家電話

2015-11-02 23:01:18 | 日記
昭和の記事のコメントで、昔は電話の加入権を買ったもんだ、

という話が出て、言われてみれば本当にそうであったと思い出した。

電柱に「電話加入権買います」という看板が出ていたりしたから、

加入権の売買もあったと思う。

たぶん、NTTになる前、電電公社の時代だった。

家に電話があるのは当たり前になって、引っ越したら何がなくても電話をつけたもんだ。

携帯電話が普及し始めてからも、書類に携帯電話番号を書くのは気が引けた。

ちゃんと家に電話があることは、社会的な信用に繋がると信じていたのは、親の影響だろう。

日本は携帯電話の局番が固定電話のそれとは違うから、それが携帯電話だと一目瞭然。

だから離婚して一人暮らしをするときも、今の夫と結婚したときも、

何の疑いもなく固定電話をつけた。私の知らない間に加入権なんてものはなくなっていて

IP電話だとかなんとか(わからないことを、それ以上調べようとしないのは私の悪い所だ)

以前は何万円も払っていたのに、びっくりするぐらい簡単に電話を引くことができて驚いた。



先月、携帯電話を紛失していた2週間、とても心もとない心地でいた。

こういうときに限って、何か急用で連絡すべきことが起こるのではないかとか、

カメラで撮しておくべきことがあるのではないかとか(そんなものはないのに)思うのだ。

携帯電話なしで暮らしていた時代のほうがずっと長いのに。



携帯電話がなかった頃、待ち合わせに遅れそうになるとか、場所を勘違いしても

連絡する術はなかった。

若い人達は知らないだろうが、どこの駅にも黒板のような掲示板があって、

「真由美へ、先に行ってます。必ず来てね。 マチ子」だとか、

連絡用に使われていたものだ。中には

「2時間待ちました。 Kより」なんて切ないようなのもあった。




他の家族と同居していたら、知られたくない相手からかかってくる電話は、

お風呂にも入らずに、電話の周りで待たねばならなかった。

メールなんかなかったから、ときに電話をかけるのは大変な勇気が必要だった。

今、かけたら迷惑じゃなかろうか、なんていくら考えても仕方がないんだけど。



今、すぐ、誰かに伝えたい。

携帯電話は、それを叶えてくれたけれど、

今、すぐ、誰かに伝えたいけれど伝えられないことの良さも、確かにあったと思う。

過ぎたことだから、そう思うのかもしれないし、

今は携帯電話なしで暮らせなくなってしまったけれど、

固定電話時代のまだるっこさや、じれったさも今となれば懐かしく、

それを知っている世代でよかったと思うのである。




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