私はせっかちではないはずだった。
父は相当なせっかちで、いつも「早く、早く」と言いながら生きている。
休日に家族で出かけたあと家に戻ってきて、部屋に入ってすぐに
「おい、飯はどうなってる?」
母も一緒にでかけて、今戻ってきたところだ。
それほどせっかちな父に比べて母は、万事につけのんびりでマイペース。
50年以上も連れ添いながら、せっかちを直そうとか、のんびりを直そうという気配はなく、
いまだに「遅い」「うるさいねぇ」と言い合いながら、仲良く暮らしている。
私は父のように、人をせかすこともないし、のんびりとはいえないにしても
それほどせっかちではないと思っていたのだ。
夫と暮らすまでは。
時間にルーズなのが平気なハワイの人達の中で育っていて、
夫は割と時間に正確な人間である。
それは私も承知している。
しかし、一緒に行動するときに、私の中の「せっかちスイッチ」がONになる。
たとえば、7時50分に家を出ようということになっていると、
私は10分前には出かける用意ができている。
夫は45分ぐらいになって歯をのんびりと磨き始め、のんびりと着替えて、
さあ出かけようか、という段になって
「あ、ちょっとトイレ」
しかも「大」のほうである。
私はじりじりしながらそれを待つ。
車に乗っても、もうちょっとスピード出してもいいのに、とか、
もうこの辺で車線変えたほうがいいんじゃ、とか、
何の時間の制約もないときなら、暢気に乗っていられるものが、
とにかく時間どおりに目的地に着くまで、気が休まらない。
本人はいたって暢気なもので、いつだって「大丈夫だから♪」と言う。
たいてい大丈夫なのだけれども、大丈夫じゃないときだってある。
美容院の予約に間に合わないことがあった。
気がせいて、私は予約時間の5分前に電話をいれ、少し遅れる旨を伝えた。
6,7分遅れで美容院の入っているホテルに到着し、夫は鼻高々に言ったものだ。
「ほうら。間に合ったでしょ」
いったいどのぐらいの誤差が、彼にとって「間に合った」のだろう。
私は実は、せっかちなんだろうか。
ここ何年も、時折そう思うのである。
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父は相当なせっかちで、いつも「早く、早く」と言いながら生きている。
休日に家族で出かけたあと家に戻ってきて、部屋に入ってすぐに
「おい、飯はどうなってる?」
母も一緒にでかけて、今戻ってきたところだ。
それほどせっかちな父に比べて母は、万事につけのんびりでマイペース。
50年以上も連れ添いながら、せっかちを直そうとか、のんびりを直そうという気配はなく、
いまだに「遅い」「うるさいねぇ」と言い合いながら、仲良く暮らしている。
私は父のように、人をせかすこともないし、のんびりとはいえないにしても
それほどせっかちではないと思っていたのだ。
夫と暮らすまでは。
時間にルーズなのが平気なハワイの人達の中で育っていて、
夫は割と時間に正確な人間である。
それは私も承知している。
しかし、一緒に行動するときに、私の中の「せっかちスイッチ」がONになる。
たとえば、7時50分に家を出ようということになっていると、
私は10分前には出かける用意ができている。
夫は45分ぐらいになって歯をのんびりと磨き始め、のんびりと着替えて、
さあ出かけようか、という段になって
「あ、ちょっとトイレ」
しかも「大」のほうである。
私はじりじりしながらそれを待つ。
車に乗っても、もうちょっとスピード出してもいいのに、とか、
もうこの辺で車線変えたほうがいいんじゃ、とか、
何の時間の制約もないときなら、暢気に乗っていられるものが、
とにかく時間どおりに目的地に着くまで、気が休まらない。
本人はいたって暢気なもので、いつだって「大丈夫だから♪」と言う。
たいてい大丈夫なのだけれども、大丈夫じゃないときだってある。
美容院の予約に間に合わないことがあった。
気がせいて、私は予約時間の5分前に電話をいれ、少し遅れる旨を伝えた。
6,7分遅れで美容院の入っているホテルに到着し、夫は鼻高々に言ったものだ。
「ほうら。間に合ったでしょ」
いったいどのぐらいの誤差が、彼にとって「間に合った」のだろう。
私は実は、せっかちなんだろうか。
ここ何年も、時折そう思うのである。
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しろにゃんダーリンのドヤ顔が目に浮かぶ
せっかちなのか、のんびりやなのかって
相手や所が変われば全然違ってくるものなんだね
自分はこういう人間だという自己評価や他者からの
評価がいかにいいかげんなものかというのが分かるね
しろにゃんも、ダーリンのように,え~?これでと
思うような事でドヤ顔決めてごらん^^
ドヤ顔。それそれ、それよー。
自己評価が、かならずしも人の評価ではないんだよね。
その逆もあり。
私もドヤ顔、決めてみたいよー!!