昭和の記事のコメントで、昔は電話の加入権を買ったもんだ、
という話が出て、言われてみれば本当にそうであったと思い出した。
電柱に「電話加入権買います」という看板が出ていたりしたから、
加入権の売買もあったと思う。
たぶん、NTTになる前、電電公社の時代だった。
家に電話があるのは当たり前になって、引っ越したら何がなくても電話をつけたもんだ。
携帯電話が普及し始めてからも、書類に携帯電話番号を書くのは気が引けた。
ちゃんと家に電話があることは、社会的な信用に繋がると信じていたのは、親の影響だろう。
日本は携帯電話の局番が固定電話のそれとは違うから、それが携帯電話だと一目瞭然。
だから離婚して一人暮らしをするときも、今の夫と結婚したときも、
何の疑いもなく固定電話をつけた。私の知らない間に加入権なんてものはなくなっていて
IP電話だとかなんとか(わからないことを、それ以上調べようとしないのは私の悪い所だ)
以前は何万円も払っていたのに、びっくりするぐらい簡単に電話を引くことができて驚いた。
先月、携帯電話を紛失していた2週間、とても心もとない心地でいた。
こういうときに限って、何か急用で連絡すべきことが起こるのではないかとか、
カメラで撮しておくべきことがあるのではないかとか(そんなものはないのに)思うのだ。
携帯電話なしで暮らしていた時代のほうがずっと長いのに。
携帯電話がなかった頃、待ち合わせに遅れそうになるとか、場所を勘違いしても
連絡する術はなかった。
若い人達は知らないだろうが、どこの駅にも黒板のような掲示板があって、
「真由美へ、先に行ってます。必ず来てね。 マチ子」だとか、
連絡用に使われていたものだ。中には
「2時間待ちました。 Kより」なんて切ないようなのもあった。
他の家族と同居していたら、知られたくない相手からかかってくる電話は、
お風呂にも入らずに、電話の周りで待たねばならなかった。
メールなんかなかったから、ときに電話をかけるのは大変な勇気が必要だった。
今、かけたら迷惑じゃなかろうか、なんていくら考えても仕方がないんだけど。
今、すぐ、誰かに伝えたい。
携帯電話は、それを叶えてくれたけれど、
今、すぐ、誰かに伝えたいけれど伝えられないことの良さも、確かにあったと思う。
過ぎたことだから、そう思うのかもしれないし、
今は携帯電話なしで暮らせなくなってしまったけれど、
固定電話時代のまだるっこさや、じれったさも今となれば懐かしく、
それを知っている世代でよかったと思うのである。
にほんブログ村
という話が出て、言われてみれば本当にそうであったと思い出した。
電柱に「電話加入権買います」という看板が出ていたりしたから、
加入権の売買もあったと思う。
たぶん、NTTになる前、電電公社の時代だった。
家に電話があるのは当たり前になって、引っ越したら何がなくても電話をつけたもんだ。
携帯電話が普及し始めてからも、書類に携帯電話番号を書くのは気が引けた。
ちゃんと家に電話があることは、社会的な信用に繋がると信じていたのは、親の影響だろう。
日本は携帯電話の局番が固定電話のそれとは違うから、それが携帯電話だと一目瞭然。
だから離婚して一人暮らしをするときも、今の夫と結婚したときも、
何の疑いもなく固定電話をつけた。私の知らない間に加入権なんてものはなくなっていて
IP電話だとかなんとか(わからないことを、それ以上調べようとしないのは私の悪い所だ)
以前は何万円も払っていたのに、びっくりするぐらい簡単に電話を引くことができて驚いた。
先月、携帯電話を紛失していた2週間、とても心もとない心地でいた。
こういうときに限って、何か急用で連絡すべきことが起こるのではないかとか、
カメラで撮しておくべきことがあるのではないかとか(そんなものはないのに)思うのだ。
携帯電話なしで暮らしていた時代のほうがずっと長いのに。
携帯電話がなかった頃、待ち合わせに遅れそうになるとか、場所を勘違いしても
連絡する術はなかった。
若い人達は知らないだろうが、どこの駅にも黒板のような掲示板があって、
「真由美へ、先に行ってます。必ず来てね。 マチ子」だとか、
連絡用に使われていたものだ。中には
「2時間待ちました。 Kより」なんて切ないようなのもあった。
他の家族と同居していたら、知られたくない相手からかかってくる電話は、
お風呂にも入らずに、電話の周りで待たねばならなかった。
メールなんかなかったから、ときに電話をかけるのは大変な勇気が必要だった。
今、かけたら迷惑じゃなかろうか、なんていくら考えても仕方がないんだけど。
今、すぐ、誰かに伝えたい。
携帯電話は、それを叶えてくれたけれど、
今、すぐ、誰かに伝えたいけれど伝えられないことの良さも、確かにあったと思う。
過ぎたことだから、そう思うのかもしれないし、
今は携帯電話なしで暮らせなくなってしまったけれど、
固定電話時代のまだるっこさや、じれったさも今となれば懐かしく、
それを知っている世代でよかったと思うのである。
にほんブログ村