goo blog サービス終了のお知らせ 

太平洋のまんなかで

南の島ハワイの、のほほんな日々

訃報

2024-12-06 08:31:05 | 日記
昨日の朝、いつもの目覚ましアラームが鳴る直前に、テキストメッセージが入ったお知らせ音がして目が覚めた。
4時半、ちょっと前。
相手は同僚のマネージャーからで、昨夜、オーナーが亡くなったという。
メッセージの中の、 PASS ON のところを何度も読み返した。
私の読み間違いじゃないかと思って。

彼はまだ70代半ばだ。
確かにここ数年は肺が弱っていてあまり外に出なくなったと聞いていたけれど、父親は97歳まで生きて大往生だったし、まさかこんなに早く逝ってしまうとは思わなかった。
最後に会ったのは、今年の春。
彼は背が高く、俳優のクリストファー・プラマー(映画「サウンドオブミュージック」)に似たハンサムな人で、この店を心から愛していた。

メッセージをくれた同僚に電話をかけた。
彼女はオーナーの奥さんの妹で、既にオーナーの家に駆け付けているという。

「そういうわけで、今日は仕事に行けないと思うんだけど、せめて店を閉めるのはできるように行くつもり」

「今日はできるだけお姉さんのそばにいてあげて。私は一人で大丈夫だから」

ゼネラルマネージャーはオーナーの娘さんで、もう一人の娘さんも経理担当で仕事をしており、彼女の旦那さんも数年前にチームに加わった。
ゼネラルマネージャーの腹違いの息子さんが、今年マネージャーになった。
という、コテコテの同族会社。
私が日本で働いていた、父の会社とおんなじだ。

だから、身内になにかがあれば、ごっそりとその人たちが抜けるわけで、
残ったクルーでお店を維持しなくてはならなくなる。


自宅で、眠るように息を引き取ったという。

突然の訃報に、娘さんたちの驚きと悲しみはいかばかりだったろう。
車で駆けつけても50分はかかるところに実家はあって、その道中の彼女たちの気持ちを思うと胸が苦しくなる。
彼女たちと腹違いの息子さんは独身で実家の離れに住んでいるから、彼と奥さんは死に目にあうことができた。

ひとりで大丈夫だから、と言ったものの、どういうわけだかその日はものすごい数のお客様がみえて、その上、病気で来れない従業員もいたから、目の回る忙しさ。
その合間を縫ってたくさんの商品入荷があり、すべてのクルーがいくつも持ち場を掛け持ちしつつ、言葉どおり走り回っていた。
1日を終えたときには、椅子に座りこんでしまったほどだ。
その上今週は6日ぶっ続けで働いている。
翌日は休みで、美容院の予約があり、忙しくて行けなかったギャラリーの作品補充や、ギャラリー用のクリスマスギフトの買い物など、予定が立て込んでいる。
もしも仕事になってしまったら、それらは全部キャンセルすることになり、その埋め合わせをどうしようかと考えていた。
そこに、オーナーの息子さんからメッセージが来た。

「僕は明日、早番?それとも遅番?」

「え!仕事に来るの!」

「行くよ」

「どんな気持ちなのか少しはわかるつもり。何て言ってあげていいのかわからないけど、ほんとうに残念だったね。あなたもみんなも大丈夫?」

「うん。昨夜はみんなずっと起きてた。僕はたくさん泣いて、横になって、さっき起きたところだよ。ものすごくいろんなことが起きてる」


いつかは必ずくるとわかっていたことが起きてみると、まさか本当にくるとは思わなかった、と思う。
親との別れは、きっと多くの人にとってそんなふうではないかと思う。
幸運なことに、亡くなる前日まで父には会うことができた。
パンデミック中で、何年も会えないうちにそのまま亡くなってしまった母。
父は88で、母は85で、しっかり生ききってくれたからなのか、大泣きはしなかった。
けれども、もう会えないのだという悲しみや、後悔やらが深く深く心に突き刺さったままで、その感情はいつまでも和らいでいくことがない。

スピリットになったオーナーは、お店にもやってきただろうか。
彼が愛してやまない人たちのもとを訪れ、天国のおとうさんと再会しただろうか。









冬のイベント

2024-12-02 08:11:11 | 日記
ハワイでの冬のイベントは、ハロウィンからサンクスギビングと高まってきて、クリスマスに向けて急激にワクワク度が急上昇を見せ、クリスマスを過ぎた途端に一気に空気が抜けて急降下。大晦日も元旦もほぼスルーで、2日からはあんなに盛り上がったことなど嘘のような顔をして、日常が始まる。

日本は、ハワイの人達が正気に戻ったクリスマス後から盛り上がっていく。
仕事納めに向けて、「年末までに」とかいった言葉が飛び交う。
子供の頃からお正月は楽しみで、40数年もそういうふうにして過ごしてきた私は、今一つ、ここの盛り上がりと盛り下がりのリズムに乗れないでいる。

昨日、義両親がモミの木を買ってきて、ガレージに置いてあった。
クリスマスはピンとこないし、南国に運ばれてきたモミの木を思うと心が痛むのだけれど、モミの木の香りは大好き。
ガレージのドアをあけておくと、家の中に清浄な香りが漂ってくる。
彼らは毎年、ツリーの飾りつけをとても楽しみにしているのだ。

「ママやパパが弱ってきたら、私たちがモミの木を買ってツリーを飾らないとならないんだよね?」

私がそう言うと、夫は、

「いや、あのちっさいフェイクのやつ、あるじゃん。あれでいいよ」

と言う。
アメリカ人なのに、生まれてからずっとこういう環境にいたのに、冬のイベントにまったく無関心な外国人みたいな夫である。

本物のモミの木のツリーの他に、高さが1mちょっとぐらいのフェイクツリーがあって、そのツリーにはハワイっぽいオーナメントを飾っている。

「でもさ、本物のツリーが好きじゃん、あのひとたちは」

「年を取ればいろいろ変わっていくのさ。あるもので楽しめばいいって」

その時になってみたら本物のモミの木を買いに行くようになるのかもしれないけど、夫は義両親にドライだなあと思う。
彼らがまだ元気でピンピンしているからだろうか。
自分の両親と重ねてしまい、後悔したくないという思いが私は強くなっているのだろうか。

職場のツリー

ゴージャス!
ちとゴージャスすぎて、モミの木の葉が見えない・・・・
これはフェイクのモミの木で、私の心は安らかだ。



サンクスギビングデー2024

2024-11-29 07:30:02 | 日記
クリスマスもハロウィンも、本来の意味はともかくとして、日本人なりに取り入れて楽しんでいるが、さすがにサンクスギビングデーはスルーだろう。

サンクスギビングデーとは、11月の第4木曜日ときまっていて、その起源は、

サンクスギビングの起源は、1621年の秋にマサチューセッツ州のプリマス植民地で移民たちが収穫のお祝いをしたことに由来しています。ヨーロッパやイギリスからアメリカ大陸に移住してきた人々は、食料の確保に苦労していましたが、ネイティブアメリカンが狩や収穫の方法を教えたことで冬を越すことができました。感謝の気持ちを込めて、移民たちはネイティブアメリカンとともに収穫を祝う宴を開いたと言われています
(ネットより拝借)

 ということである。
過ごし方はクリスマスと似ていて、家族が集まって食事をして祝う。
日本のお正月と思えばいい。
サンクスギビングに帰省できなければ、クリスマスに帰省する、というふうに、どちらかは必ず家族と過ごすのがアメリカ人。
この日は24時間営業の店も夕方には閉まる。


朝一番に、ビーチに行ってきた。
いつものビーチ。


朝7時半なのに、ビーチは散歩する人達がけっこういた。
海水はあたたかい。
水着を持ってくればよかった。
足だけ海に入って、波が足の裏の砂をからめとってゆく感触を楽しむ。
30分ほど歩いて、帰宅。

料理担当はシュートメで、七面鳥をオーブンに入れたりするのを手伝うのは夫、ありがたいことに私の出番はない。
こういうことは、家族水入らずでやったほうがいい。外野がでしゃばらないほうがいいのだ。
いつか義両親がキッチンに立てなくなったときのために、私も覚えておいたほうがいいと思わないではないが、その時は夫が主役で、私はその補助をすればいいか、とどこまでも他人事のヨメ。


毎年、ファミリーフレンドやらが集って、10人以上になるのだけれど、今年は義両親と私達、叔父叔母だけ。
つい最近、いつも来てくれる義両親の友人が亡くなったばかり。昨年のサンクスギビングには、手作りのマンゴーバターをしこたま持ってきてくれたのだった。
亡くなったり、出歩くことが困難になったり、本土に移住したり、親しかった人たちが、それこそ櫛の歯が欠けるようにいなくなってしまう。



ローストターキー
クランベリーソース
マッシュポテト
さつまいものマッシュポテト
グリンビーンズのレモンソテー
ハム
サラダ
グレイビーソース
ルバーブパイ

いつものメニューが揃う。
七面鳥は、シャンパン1本を使って蒸し焼きにするのが、ここ5年ほどの我が家流。
七面鳥独特のぱさぱさ感がなくなって、美味しく食べられる。
しかし、これに合わせるクランベリーソースに、私はいまだに慣れない。
唐辛子の入った、辛いクランベリージャムを使うのだが、鶏肉に甘いジャムをつけて食べるようなもので、どうしても、その良さがわからない。
そういえばレストランではラム肉のステーキに、ミントジャムがついてくる。肉にジャム。これはなかなか日本人にはハードルが高い。
とはいえ、辛いのがダメな私のために唐辛子抜きのジャムも用意してくれるので、美味しいふりをして食べるけれど・・・

サンクスギビングのディナーは、だいたい3時頃から始まる。
ゆっくり食べて、しゃべって、みんなでパズルをしたりして、のんびりと過ごす。
ヨメは後片付けを率先して、料理に参加しなかったマイナスを埋める。
食器類はみんな食器洗い機に放り込み、鍋や大物を洗うだけなんだけどね。

来年も、同じようにサンクスギビングデーを過ごせますように。
その思いは年々切実さを帯びてくる。





カレシ

2024-11-26 07:40:43 | 日記
たぶんどの言語でもそうだと思うのだが、言葉というのは、少しずつ変化していくもの。
本来の意味とは違う使い方をされている言葉が、間違った解釈のほうが浸透してしまう言葉もあるし(たとえば確信犯とかね)、スラングのようにして使われていた言葉が、いつのまにか幅をきかせて普通に使われるようになることもある(否定形でない全然とか)。
その文化の真っただ中にいれば自然とその変化に慣れていくのだと思う。

日本を離れてからの新しい言葉が、私には違和感があるのは仕方がないけれど、その以前からありながら、いまだに気になる言葉がある。

彼氏、という言い方。

最初に引っ掛かったのは、まだまだ若かりし頃、誰かに

「カレシ、いるの?」

と聞かれたときである。
カレシって、なに。
ガールフレンドのことは彼女というのだから、ボーイフレンドも彼でいいじゃないか。なぜそこに「氏」をつける。
それが、小説の中にも頻繁に出て来る。
出て来るたびに、気になる。


めっちゃ、という言葉。

めちゃめちゃ、おいしい。
めっちゃ、すてき。
これも、私が日本にいた頃からあったと思う。
NHKワールドの旅番組で、いいだけ大人のリポーターが「めちゃめちゃ」を連発する。
ティーンエイジャーじゃないんだから、ちゃんとした日本語を話してほしい。


夫が、

「メチャ オイシイ」

と言ったので、テレビの影響を受けるんじゃないよ、と言ったら、

「あなたも言ってるじゃないか」

なんだとぅっ!!!

耳から入った言葉は、ひたひたと脳にしみ込んでいくのか。
クワバラクワバラ・・・・




「みんなちがって、みんないい」

2024-11-21 08:22:52 | 日記
金子みすゞさんの名言。

ひと月ほど前に、ブルックリンが入社してきた。
ブルックリンは、ハワイ語でいうところの「マフー」。
肉体的には男性だけれど、心は女性。
同僚には、ほぼあらゆるタイプの人がいた。
レズビアンも、ゲイも、バイも、トランスジェンダーも、いないのはLGBTQの最後のQだけだ。
女性として生まれたのに、男性であると自認している同僚は2人いたが、その逆はブルックリンが初めて。


彼女は(職場でもHEではなくSHEと言う)上背があって、がっちり固太りな感じ。
ホルモン剤のためか、胸だってある。
隙のないメイクは、彫りの深い顔によく似合っていて、きれいだ。
英語でもオネエ言葉があるんだ、と思ったのは新しい発見。
肉体は女性で心が男性という同僚は女性用のバスルームを使っていたが、ブルックリンは堂々と女性用に行く。

「だって、男の人の方ってなんだか嫌な臭いがするんだもの」

きれいなメイクをした顔を曇らせて、言う。
花が好きで、フラも踊る。

働き始めて3日目に、私とのちょっとしたことで彼女が気分を害し、今日はもうこれ以上働けないと断って早退したことがあった。
翌朝、ブルックリンが私に謝罪に来た。

「アタシ、感情的になっちゃって、ごめんなさい。許してもらえたら、うれしいんだけど・・・」

「もちろんだよ。謝ってくれてうれしいよ」

「うわー!ありがとう!ほんとにごめんね」

そう言って、でかいガタイで私をハグした。
感情的にも、男性というより女性なんだなと思う。

来年、フロリダで性転換を受けるのだという。
私は、性的マイノリティの人たちのことを真にわかってあげることはできない。
それは、私に子供がいる人生を想像できないのと似ている。
けれど、わからなくても、尊重することはできる。
心と体が一致していないという課題を持って生まれた彼女の勇気を思い、生きづらさを、想像することはできる。


ブルックリンが、駆け寄って来た。

「ねえねえ、男の人のバスルームって、ドアがないの?」

「あるよ、なんで?」

「だって、ドアを開けたまましている人がいるのよ」

「ああ、そういう人いるよ」

「やあねえ、そういうの、アタシのタイプじゃないわ」

ブルックリンは、鼻にシワを寄せて言う。
なんだか、かわいいのである。