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太平洋のまんなかで

南の島ハワイの、のほほんな日々

たいした恋愛

2025-05-15 13:42:17 | 日記
たいした恋愛はしてこなかった。
たいした恋愛、ていうのがどういうものかはよくわからないのだけど、たとえば映画「ロマンシングストーン 秘宝の谷」のマイケル・ダグラスとキャスリーン・ターナーのような。
あんなことが日常に起きるわけはないのだし(そんな日常は疲れる)、たぶんたいした恋愛にはそれなりの疲労感やめんどくささがついてくるのだろう。

私の場合、たいした恋愛はしなかったのに、疲労感やめんどくささはがっちりついてきた。
恋愛が始まる気配がするころが、実は1番良いのであって、いざ始まってしまうと、幸せなのはほんの最初のうち。結果として幸せ2に対して、めんどくささや疲労感は8、あるいはそれ以上になる。

私の性格にも問題がなかったとはいわない。
遠距離にいる相手と夜に電話で話をしていて、こじれて相手が「サヨウナラ」などと言って電話を切るとする。携帯もメールもない時代。
今すぐ何かをしなくてはいられない気持ちになる。両親が出かけて祖父母だけ家におり、妹に言い含めて家を抜け出してタクシーを拾い、新幹線に飛び乗って相手の家を訪ねていった。
こういう衝動的な行動力は、1度や2度ではない。
あとから思えば、そこまでしてとどめておくほどのことなどなかった。実際、そんなめんどくさいことを繰り返した挙句、振られるのだ。

二十代前半では、上記のサヨウナラ男とグダグダしている時に同僚の男が猛烈にアタックしてきて、サヨウナラ男に振られたあとになんとなく付き合いだしたのだけれど、数か月もすると、
「ねえ、なんかおもしろいこと、ない?」
とやたらに言うようになった。
私とデートしているのはおもしろいことじゃないわけ?と思って腹がたった。

そんなときに出会ったのが、前の夫だった。
出会ったとき、その人は結婚していたが子供はおらず、離婚前提で別居中だった。
そのうち離婚が成立するのだと甘く考えていたが、私の存在が妻の知るところとなり、絶対に離婚しないと言い出し、そこからが長かった。
それから7年。
なんで若いみそらを無駄にしたかと、当時の自分を呼び出して殴ってやりたい。
それをいうなら、ようやく結婚にこぎつけたものの、そこからオマケに11年も中身のない結婚生活を送った自分の愚かさよ。

こんなことに我慢できるのは私だけ、という負のベクトルで生きていた私の前に現れたのは、うんと年下のオトコだった。
私は突然雷が落ちたようになって、ようやく今の生活の虚しさに気づき、若いオトコとやり直したい一心で情のかけらもなくすべてを捨てた。

さあこれから大恋愛で大結婚だ、というときに、すでに線香花火の先っぽは地面に落ちていた。
幸せなのは2か月ぐらいで、突然よそよそしくなった若いオトコに未練がましく2年もすがりついていた私は、救いようのないアホだろう。 恋愛成就でエンジェルリーディングに通いだしたのはこの頃だ。
結果、好きな人ができたといって振られたとき、私はすでに43だった。

このまま老後だと正直思った。でも、人は人生を計画して生まれてくるのだとしたら、私はこんなシナリオにしたはずがないと、エンジェルリーディングにますますせっせと通い、振られて1か月後に出会ったのが今の夫である。

夫とは、恋愛というようなものはなかったと思う。
一目会った瞬間に、この人だとわかった。
前の夫のときも、若いオトコのときも「わかった」ような気がしたが、それとは違った。
圧倒的な安心感、懐かしさが、ぶわーーーっと押し寄せて鳥肌がたった。
だから、夫とは恋愛が始まるまでの気持ちの駆け引きとか、そういったものがなかった。
衝動的になってしまう私の性格にも夫は動じず、いつどんなときも100%の安心感でそこにいるのだった。
今ここでこの人に出会うために、すべてのうまくいかないことたちがあって、泣いてジタバタしたあんなことやこんなことが帳消しになってしまうほどのあっけなさで、出会ってきっかり半年で私達は結婚した。


最近、職場に、いいなと思う人がいる。
ずっとずっと年下で、もちろんなにをどうしたいわけじゃ全然ないのだけれど、仕事にいく楽しみになっている。
通勤電車の中で毎日みかける気になる人、といった感じに似ているかも。
自分の中に、まだこんなときめく気持ちがあったことが驚きだ。
ときめくことがあると、俄然気持ちが若くなる。
願わくば、このときめきが続きますように。








5月 光陰矢の如し

2025-05-15 08:36:42 | 日記
義両親がヨーロッパ旅行に出かけて2週間。
出発前にシュートメが蒔いたダリアの種から芽が出て、すくすく育って花が咲いた。
種は本土から取り寄せたらしい。
「大きな花が咲くわよー」
と言っていたけど、咲いてみたらテニスボールよりもひとまわり小さい。
カナダの植物園で見たダリアは、おおげさでなく顔ぐらいの大きさで、それは豪華だった。
観察日記のように、成長を記録して送っている。
シュートメはあのダリアを期待していたんだろうけれど、「なんてきれいなの!」とだけ言ってきた。
小ぶりだけど、きれい。
筒状の花びらが集まっているところは菊に似ているが、まあるく立体的な形がかわいらしい。
ダリアは7本も植えてあり、次々に咲いてくる模様。


昨年、私が種を蒔いたリリコイ(パッションフルーツ)が、ようやく花をつけた。
隣家のライアンに教わったとおり、おしべの花粉をめしべに付けて受粉させなくてはと思って、ピンセットを片手に外に出たら、しっかりと花が閉じてしまっていた。
時々様子を見ているのに、ずっと閉じたまま。
これじゃあ実がならないじゃないか・・・・・


5月はハワイの春。
葉だけだった樹に花が一斉に咲きだして、ああこの樹はこの花が咲くんだった、と気づく、というのを毎年繰り返している。

それにしても、光陰矢の如し。
ついこのあいだクリスマスだったのに、来週になれば学校が夏休みになる。
職場ではもういろんなドラマが起こりまくって、ストレス半端なし。
こんなことしている間に、今年も終わってしまう気がして怖くなる。
子供の頃の1年の、なんと長ったらしかったことだろう。
あの1年と、今の1年が本当に同じ長さだなんて、なんか間違ってないか?

今日は休みで、朝少しだけ仕事に行って、あとは1日アートの日。
今日は一歩も家を出ないつもり。
7月にあるギャラリーのショーに出品する作品を創り始めている。
こうしてなにか形になることをしていないと、起きたことに反応するのを繰り返し、ただ流れに流されてしまいそうだ。








やって見せ、言って聞かせて させてみて

2025-05-02 16:50:03 | 日記
山本五十六の有名な名言。

やって見せ、言って聞かせて、させてみて、ほめてやらねば人は動かじ


これは職場においての私であり、プライベートでの私でもある。
自分が褒められて伸びるタイプだから、なるべく人を褒めるようにしている。
超絶に忙しいのに人手不足だった日、
「あなたがいなかったら今日は乗り切れなかったよ、ありがとう」
それはお世辞でもなんでもなく、本当にそうだったからそう言ったのだが、
言われた人の態度があきらかに変わった。
誰だって、ちゃんとできて当たり前だと思われたらヤル気が失せる。
ダメな時だけ指摘されたら、仕事に来るのが嫌になる。
この場合、褒めるというより、感謝を伝えるというほうが正しいけど。


そしてプライベートの私は、立場が逆になる。

クリスマスに、車のタイヤの空気を入れる機械と、車のバッテリがあがったときに補充する機械をいただいた。
どうやって使うのか、何度も説明を受けた。
ここを押して、こうなったらこうして・・・・・
ふんふん、と聞いていて、その時はわかったつもり。
ボタンがいくつもあるような機械ではないのだし、他にやりようがないではないかと高を括っている。

今日、運転していたらタイヤの空気が減っているというランプがついた。
トランクに入れてあった空気補充マシンを取り出して、ホースの先をタイヤの空気穴に差し込んだ。
ボタンを長押しすると、スクリーンに表示が出てきた。
さて。
これからどうするんだっけ?
最初に押したボタン以外に押せそうなものはない。
ホースを抜いたり差したり、ホースの先についている羽を起こしてみたり。
まったくどうすりゃいいのかわからん。
あれだけしつこく説明させておいて、また聞くのは気が引けるけど、夫の帰りを待つしかない。

トランクにはバッテリ補充の機械も入っているが、まるで初めて見たような新鮮さで眺めた。
今の私にはただのプラスティックの塊が2つあるだけである。
これをいただいた時、

「これでタイヤの空気を入れにスタンドに行かなくてすむし、バッテリあがりにも万全だね」

と言われたのだけれど、持っていても使い方がわからないなら、持っていないのと同じだ。

夫が帰ってきたら、タイヤの空気入れを実際にやってもらい、そのあとで私がやってみて、なんなら使っているところの写真も撮って、手順を紙にメモして、最後に褒めてもらわねば私はだめだ。

スーパー方向音痴の私は、初めて行く場所にはあらかじめ夫に連れていってもらうことにしている。フリーウェイに乗ったら、右側車線にいて何番出口で降りて、この道を過ぎたら右折して・・・
私は助手席でひたすら行き方をメモして、ひとりで行く時にそのメモをダッシュボードに貼っていく。
グーグルマップは焦るし混乱するし、あの高飛車な言い方が気に障るから嫌なのだ。



こういう自分と何十年もつきあってきて、今さらながら私は何か大事なネジを母のお腹に置いてきたんじゃないかと思う。
知能は人並で、勉強だって学校を卒業できる程度にはやってきたはず。
それなのに、なぜだか言葉の説明が空回りして脳に刷り込まれない。
さらには、一度はできたことも、時間がたつときれいに忘れてしまう。
だから、空港に誰かを迎えに行くときの行き方などを書いたメモが、何枚も車にあり、その都度それを見ながら行く。
これだけ聞いたら、それは認知症のファーストサインでは、と心配されそうだが、若い頃からずーっとこんな調子なのだ。
私ははじめから認知症気味だったのか。
そう思うと暗澹たる気分になるが、だからといってどうにかなるものでもなく、こんな私に付き合わされる人達に先に頭を下げておくしかないのである。










写真はどこにいった

2025-05-02 07:59:56 | 日記
最近のスマホについているカメラは、デジタルカメラ顔負けの画質だ。
カメラを持ち歩く必要もなく、いつでもどこでも写真が撮れて、膨大な写真が溜まっていく。

その膨大な写真の数々。

必要なものを選んで紙に焼いているマメな人もいるだろうけど、
めんどくさがりの私達夫婦は、そのまま。
「いつか」焼こうと思いつつ、そのまま。
スマホを変えても、そのまま。

よって、現像した写真が溜まってしまって整理しなくては、ということがなくなった。
フィルム時代は必ず現像に出していたものだが、デジタルカメラになった途端に焼いた写真が激減した。


リビングの書棚の、下二段にぎっしりおさまっている昔のアルバム。
赤ちゃんだった夫や義兄、ほっそり痩せていたシュートメ、何も木が植わっていなかった家の庭。
夫が日本で撮ったたくさんの写真。
日本の実家にも、奮いアルバムがあった。
黄ばんだ台紙に貼られた写真に、母のきれいな文字で説明がついていた。

実家のそのアルバムは、姉の代が終わったらどうなるのだろう。
この家にあるアルバムも、私達がいなくなったあとはどうなる。
ちゃんと焼いて整理するのは、あとから見返すため。
でも、見返す人がいなかったら意味がないのでは。

数年前から自分に残された時間を考えるようになって、もう実がなるのに時間がかかる木や、新しい猫は飼えないことに気づいたりする。
そして今は、自分がいなくなったあとのことも考えてしまう。
たとえマメに撮った写真を焼いてアルバムにしたところで、誰がそれを見るというのか。
私達がいなくなったら、それらはたちまち処分に困るものになるだけではないのか。
子供がいる人は、
「子供なんていたって全然あてにはならないよ」
と口をそろえて言うけれども、それでも次の世代がいれば、「あとはなんとでもよろしく頼むワ」と押し付けていける。


アメリカ人は家の中やオフィスに家族の写真を飾るのが好きで、我が家にも、結婚式の写真、私の両親や高校時代の夫(信じられないけどロックンローラー)、フランスに行った時の写真や、小さかった猫たち、義両親と一緒に撮った写真などが壁にかけてある。
もうこれが増えることはないんだろうなあと思いながら、それらを眺めている。


デジタルカメラに移行して以来、写真は撮った時点でほぼ完了しているのだと思う。
フィルムカメラと違って枚数に制限はほぼないし、撮れたものをすぐに確認することもできて、簡単に消すこともできる。だから、写真を撮るときの心構えが全く違う。
撮る時の気楽さで、撮ったものを忘れてしまう。
けれど、それでいいのだ。
撮って、ちょっと見返して、おしまい。
心のカメラに残したものしか、私は持っていけないのだから。









「定年オヤジ改造計画」

2025-05-01 09:18:22 | 日記
垣谷美雨さんの「定年オヤジ改造計画」

定年を迎え、これから妻と旅行したりして楽しもうと思っているのは夫だけ。
気が付くと、妻はなるべく自分と一緒にいたくないらしい。車に乗るときも、助手席だと呼吸がうまくできないからといって後部座席に座るのだ。
高給取りだが30過ぎても独身で実家暮らしの娘には、「父さんを見ていりゃ結婚なんかしたくなくなる』と言われる。
家庭を持った長男は、まるで自分自身のコピーのようで、既に妻に愛想をつかされつつある。


よく聞く話だけれど、私の身近にはいないから(知らないだけかもしれない)実感はない。
実感はないが、熟年離婚とはいえないにしても、私の離婚はそれに近いものだったのではないかと思った。


同じ空気を吸いたくもないほどになるまでには、長い長い葛藤の時間があったのだろう。小説の中では、妻は何度も夫に訴えてきたというのだが、夫はそれを適当にあしらって、しかもそのことを覚えてもいない。

しかし、私の前の結婚時代のように、「こんなことが我慢できるのは私だけ」という方向にベクトルが向いてしまった人もいるかもしれない。
そういう人はマイナスの達成感に浸っているから、不満を小出しにせず、いきなり爆発する。
7年あまりも交際して、ようやく結婚できて超絶幸せなはずの生活に違和感をおぼえたのは、2か月もしなかった頃である。
最初のうちは訴えていたが、ひたすらにじめじめとした喧嘩にしかならない相手の性格に耐えられなくなって、それを避けるためにすべてに蓋をしてきた。
我慢強く怒らない自分に誇りさえもっていた11年間。
あるとき突然、私は相手のことを何年も前から、たぶん最初に違和感を感じたときから大嫌いだったのだと気づいてしまった。


小説では、主人公のオヤジの同級生が妻に離婚を言い渡されて、完全家庭内別居をすることでひとまず収まった。
主人公の妻は、それでもどこかで夫に対してのかすかな情がある。


大嫌いだと気づいて、今すぐに離婚したい私と、絶対に離婚したくない相手。
私はもう、相手のどんな泣き落としにも脅しにも心が揺れることはなかった。
離婚しようと思い立った時に彗星のように現れた新しい人の存在は大きかった。(が、彗星のように現れた人は、私が離婚すると彗星のように去っていった・・)
「死ぬ」と言われて恐れたのは、相手が死ぬことではなく、私が原因でそうなることだった。相手がどうなろうがどうでもいいくらいに「次に」行きたかったし、1ミリも情など残っていなかった。
ここまで冷たくなれる自分と、こんなに嫌いな人と見た目だけきれいな箱を作り続けてきたことに呆れた。
それはまさに砂の城だったが、相手と向き合うことをせずにきた自分の責任であり、今頃になって相手にほんのちょっとだけ悪かったと思うことがある。


再婚して18年になる。
二度と砂の城を築かないようにしてきたつもり。
前の結婚も今も、子供がいないのは同じで、あなたと私しかいない生活は時には逃げ場がなく、苦しくなる。
でも一緒にいなくてはならない理由もそれほどない。
離婚はけして失敗ではない。
それは負け惜しみでなく、そう思う。
だから、間違った人と結婚したから離婚するに至ったのではなく、その結婚さえも通らねばならぬ道だったということだ。
あのまま離婚をしなくても、その先も私の人生は続いていったし、離婚した先にあったのが、今の私である。
そして、どちらを選んでも、その先はまたいくつもの道が用意されていて、
私はいつだって好きな道を選ぶことができるのである。



義両親が今日、丸2か月のヨーロッパ旅行に出かけた。
結婚して56年、知り合ってからは62年。
波風なかったはずはないが(実際、そういう時期があったと思うと夫が言う)、今でも毎年旅行をしたいぐらいには仲睦まじく過ごしている。
日本人とアメリカ人では夫婦の在り方も違うのだろうけれど、他人と人生を共にするという意味では同じだ。
私達夫婦も、彼らのようになれるだろうか。