たいした恋愛はしてこなかった。
たいした恋愛、ていうのがどういうものかはよくわからないのだけど、たとえば映画「ロマンシングストーン 秘宝の谷」のマイケル・ダグラスとキャスリーン・ターナーのような。
あんなことが日常に起きるわけはないのだし(そんな日常は疲れる)、たぶんたいした恋愛にはそれなりの疲労感やめんどくささがついてくるのだろう。
私の場合、たいした恋愛はしなかったのに、疲労感やめんどくささはがっちりついてきた。
恋愛が始まる気配がするころが、実は1番良いのであって、いざ始まってしまうと、幸せなのはほんの最初のうち。結果として幸せ2に対して、めんどくささや疲労感は8、あるいはそれ以上になる。
私の性格にも問題がなかったとはいわない。
遠距離にいる相手と夜に電話で話をしていて、こじれて相手が「サヨウナラ」などと言って電話を切るとする。携帯もメールもない時代。
今すぐ何かをしなくてはいられない気持ちになる。両親が出かけて祖父母だけ家におり、妹に言い含めて家を抜け出してタクシーを拾い、新幹線に飛び乗って相手の家を訪ねていった。
こういう衝動的な行動力は、1度や2度ではない。
あとから思えば、そこまでしてとどめておくほどのことなどなかった。実際、そんなめんどくさいことを繰り返した挙句、振られるのだ。
二十代前半では、上記のサヨウナラ男とグダグダしている時に同僚の男が猛烈にアタックしてきて、サヨウナラ男に振られたあとになんとなく付き合いだしたのだけれど、数か月もすると、
「ねえ、なんかおもしろいこと、ない?」
とやたらに言うようになった。
私とデートしているのはおもしろいことじゃないわけ?と思って腹がたった。
そんなときに出会ったのが、前の夫だった。
出会ったとき、その人は結婚していたが子供はおらず、離婚前提で別居中だった。
そのうち離婚が成立するのだと甘く考えていたが、私の存在が妻の知るところとなり、絶対に離婚しないと言い出し、そこからが長かった。
それから7年。
なんで若いみそらを無駄にしたかと、当時の自分を呼び出して殴ってやりたい。
それをいうなら、ようやく結婚にこぎつけたものの、そこからオマケに11年も中身のない結婚生活を送った自分の愚かさよ。
こんなことに我慢できるのは私だけ、という負のベクトルで生きていた私の前に現れたのは、うんと年下のオトコだった。
私は突然雷が落ちたようになって、ようやく今の生活の虚しさに気づき、若いオトコとやり直したい一心で情のかけらもなくすべてを捨てた。
さあこれから大恋愛で大結婚だ、というときに、すでに線香花火の先っぽは地面に落ちていた。
幸せなのは2か月ぐらいで、突然よそよそしくなった若いオトコに未練がましく2年もすがりついていた私は、救いようのないアホだろう。 恋愛成就でエンジェルリーディングに通いだしたのはこの頃だ。
結果、好きな人ができたといって振られたとき、私はすでに43だった。
このまま老後だと正直思った。でも、人は人生を計画して生まれてくるのだとしたら、私はこんなシナリオにしたはずがないと、エンジェルリーディングにますますせっせと通い、振られて1か月後に出会ったのが今の夫である。
夫とは、恋愛というようなものはなかったと思う。
一目会った瞬間に、この人だとわかった。
前の夫のときも、若いオトコのときも「わかった」ような気がしたが、それとは違った。
圧倒的な安心感、懐かしさが、ぶわーーーっと押し寄せて鳥肌がたった。
だから、夫とは恋愛が始まるまでの気持ちの駆け引きとか、そういったものがなかった。
衝動的になってしまう私の性格にも夫は動じず、いつどんなときも100%の安心感でそこにいるのだった。
今ここでこの人に出会うために、すべてのうまくいかないことたちがあって、泣いてジタバタしたあんなことやこんなことが帳消しになってしまうほどのあっけなさで、出会ってきっかり半年で私達は結婚した。
最近、職場に、いいなと思う人がいる。
ずっとずっと年下で、もちろんなにをどうしたいわけじゃ全然ないのだけれど、仕事にいく楽しみになっている。
通勤電車の中で毎日みかける気になる人、といった感じに似ているかも。
自分の中に、まだこんなときめく気持ちがあったことが驚きだ。
ときめくことがあると、俄然気持ちが若くなる。
願わくば、このときめきが続きますように。