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太平洋のまんなかで

南の島ハワイの、のほほんな日々

拭いきれない違和感

2021-04-02 13:06:05 | 英語とか日本語の話
私の日常は、家でも職場でも英語漬け。
日本語を話せるのは猫相手と、たまーに会える日本人の友達だけ。
英語には慣れたし、開き直りの空度胸もついた。
夢の中でも英語で話していることがある。
しかし、脳は日本語設定のままで、
英語スイッチのON・OFFによって英語に切り替えている。
40をいくらか過ぎて夫と結婚するまで、まさか外国に住むとは夢にも思わず生きてきたのだから、
骨の髄まで日本語脳であるのは仕方がないと思う。

英語のやり取りの中で、いつも同じ個所でうっすらと感じる違和感がある。


医療保険会社に問い合わせの電話をしたら、調べてから電話をくれることになった。
電話がかかってきて、
「Can I speak to SHIRO?(シロさんと話せますか?)」と聞かれたとき

「She is speaking」

と言いながら、自分自身なのにSHE(彼女)って・・・・と変に思う。


否定形で質問されたときも、いつもモヤモヤする。
たとえば、
「これ、いらないよね?」
と聞かれて、いらなかった場合、日本語なら
「うん」
と言うところを、英語だと
「NO」
になる。
日本語のように「YES」と言うと、必要だという意味になる。

意外と、こうやって否定形で会話することはあって、
そのたびに頭の中で変換するのは疲れるし、そのうち訳が分からなくなるので、YESもNOも言わずに、
「これ、いらないよね?」
「I don't need it(いらないよ)」
というように文章にして返すように心がけている。


中学高校の授業で習った文法のとおりじゃなくても通じるし、
決まったフレーズを覚えなくても、どんなふうにだって伝えることはできる。
けれども、こういう違和感だけは、どこまでも私を追ってくるのである。





ワン、ワンと叫ぶ

2021-03-30 14:13:13 | 英語とか日本語の話
最近、働きづめで(ダラダラ生活に慣れきった身としては、である)
今日は飛び石のようにぽっかりできた貴重な休み。
どこにも行かず、好きなことだけして、おおいにダラダラしようと思ったのに、
やらねばならない諸手続きというものがある。

ひとつは、失業保険。
1年受け取り続けてきて、ここで再申請をすると延長される。
その作業が面倒で、また、やりとりに時間がかかり、結局まだ相手先に電話がつながっていない。

あとひとつは、医療保険。
数日前にメールで、まだ支払っていないなにがしかがあります、という内容をもらったのだけど、
受け取っている請求書は全部支払っているので、それを調べてもらうのだ。

日本でもそうだと思うけれど、
代表電話に電話をすると、「請求書関係の人は1を、サービスについては2を」、という音声が流れて、
そこからまた部署が分かれていく。
これが、番号を押す方式ならいいのだが、声を出して番号を言え、というのもある。

医療保険の電話がそれで、私は「1(ワン)」と言っているのに、
「ソーリー、何も聞こえませんが」
と言う。
声を張り上げて「1(ワン!)」と言う。しばしの沈黙のあと、
「ソーリー、何も聞こえないわ」
と言う。
「ワン!ワン! ワン!」
電話口で叫ぶ私。聞こえないと言い張るマシン。

とどめに

「ワンンーーーンッぬ」

と叫ぶと、
「サンキュー」
ようやく解放。しかしそのあとオペレーターにつながるのに数十分。


日本の友人がハワイ島に行ったときのことを思い出した。
彼女は、ホテルから空港まで行くタクシーを呼ぶために電話をした。
660という部屋番号を伝えたいのだが、何度言っても通じない。

「シックス シックス ゼロ!!」

とうとうわからずじまいなので、
「アイ ウェイト アット フロント!!ユー カム!」
と言って、無事に会えたのだという。

シックス、では、わかってくれる人もいるが、通じにくい。

スぃックス

と言うと、わかってもらえる。
たかがシとスぃの違いじゃないか。わかってくれよと日本人の私は思う。
スぃも、ワンワンンン―ッぬも、私にとっては同じだが
英語が母国語の人にはまったく違う音であるらしい。
この溝は、死ぬまで埋まらないであろうと思う。



「アーモンド」で得した話

2021-03-10 14:10:05 | 英語とか日本語の話
美容院に行って髪を切ったあと、やっと再オープンしたカフェに寄った。
私はこの店の、アーモンドラテが好きなのだ。

6フィートのソーシャルディスタンスを守って順番を待つ。
私の前には、消防士のおにいさん。
私の番が来た。

「ミディアムのアーモンドラテを二つ。一つはホットでひとつはアイスにして」

「ミディアムの・・・」

「アーモンドラテ」

「ホールミルク?」

「アーモンド」

「えーと・・」


「アーモンド!」

と叫んだのは、ピックアップを待っていた消防士のおにいさん。

「ああ、そうか!そうだよね、ほんとにすみません!!!お詫びにオマケさせてください」
お店の人は恐縮しきって、ほんとうに4ドルぐらい安くしてくれた。


青→が、オマケしてくれた店員さん。
赤→が、アーモンドと叫んでくれた消防士さん。


悪いのは私の発音なんだけど。
でも消防士のおにいさんには通じたんだが。
そのあとに会ったマイクに、「これはアーモンドラテ」と言って渡したら、
一発でちゃんと通じたし。

アーモンドは、カタカナにすると オーモン に聞こえる。
ただ、オーのあとにかすかに「L」を挟んだ方が、よりわかりやすいかも、とマイクが言った。

消防士さんがコーヒーを受け取って店を出る時に
「Thank you,sir」と言ったら、にっこりと笑って親指を立てた。
一部始終を見ていた女性が、私に顔を寄せて
「私もわかったわよ」と言ってウィンクしてみせた。

この1年あまり、日本人の観光客がいないので、お店の人も日本人のアクセントに慣れていないのかも。
アーモンドで400円得した話。






ゲシュタルト崩壊が止まらない

2021-02-18 11:19:36 | 英語とか日本語の話
書初めとか、大きなポスターの文字とか、
じっくり時間をかけて字を書いていると、だんだんその文字が見慣れない物のように思えてくる現象が、ゲシュタルト崩壊

この「ゲシュタルト崩壊」という言葉を知るまでは、
私はどこかおかしいんじゃないか、と思っていたけど、よくあることらしいので安心した。

社会人になりたての頃、地方のテレビ局で働いていて、
テレビ画面に映る文字や絵を作成したり、手描きするのが仕事だった。
今じゃもう、手描きのフリップなんか使っているところはないんだろうけれど、当時はそういう時代だった。
しっかりとレタリングぽく文字を描くとき、よくゲシュタルト崩壊になった。

たとえば「縁」という漢字を書いているうちに、
漢字のパーツがバラバラになっていって
正しく書けたはずの字を見ても、「こんな字だったっけ?」と確信が持てない。


これが、最近頻繁に起きている。
日本語で、誕生日のメッセージを書くとき、手帳にスケジュールを書き込むとき、手紙を書くときに崩壊は起こる。

優しい、の「優」
御無沙汰の「御」
寂しいの「寂」

書き方がわからないのではなく、書けているのに確信がもてない。
立ち止まって眺めれば眺めるほど、混乱は深まる。
スマホで確認して、それで正しいとわかっても尚、見慣れない感がぬぐえない

本を読まない日はなく、ブログだって書いている。
それでも、自分の手で文字を書かなければ、読めるが書けない文字が増える一方だ。
日記をつけてみるのがいいのだろうが、飽きっぽい私にできるはずもなし。


昨日、プライスカードを書いていた同僚が、
「ねえ、これで合ってる?」
と言って、「Glasses」と書いたカードを私に見せた。
「合ってると思うけど、母国語でしょうが」
「いや、そうなんだけど、なんか見慣れないような感じがしてきてさぁ」
英語でも崩壊は起こるものらしい。


当番の「当」の字ですら、じっくり眺めていたら、
なんだか知らない文字のように見えてきてしまう。
どこまで崩壊していくのか、恐ろしい気がしているのである。







陽気なアメリカ人

2021-02-09 10:22:50 | 英語とか日本語の話
職場の入り口から入ってきた、黒人の女性が着ていたTシャツに目が釘付けになった。

なに!?

白いゴシック体で、黒のTシャツにデカデカと書かれていた。
あまりにインパクトが強かったので、私は思わず「なに!?」と声に出して読んでしまった。
するとその女性は、笑いながら言った。

「You know what? That's interesting conversation.(そうそう、おもしろい会話になるんだよね、これが)」

「へえ、どんな?」

「『What dose that mean?』どういう意味?

 『 What!?』なに!?

『What dose that mean?』どういう意味よ?

『Thats why I   said  What!?』だから言ってるじゃん、なに!?

『I'm asking ,What dose that mean?』だからー、どういう意味って聞いてんの!

この繰り返しよー。だからこのシャツ好きなんだよねー、あはは!」


彼女は身振り手振り、おおげさに台詞を言うので私も釣られて大笑い。
この仕事をしていてよかったなと思うのは、こういうアメリカ人の陽気さに出会うときだ。
むろん、そうじゃない人だっているんだけれど、
目が合っただけで、にっこりと笑ってくれる人がどんなに多いか。
ものごとを、ユーモアを交えて伝えて笑わせたい人がどんなに多いか。



きんちゃく型の皮のバッグから財布を出すのに苦労していたオバサンが、
バッグに手を突っ込みながら

「空港で、これと同じバッグを持った人にバッタリ会ったのよ。で、顔を見合わせるなり、
『イライラくるわ、これ!!』
って同時にバッグを指さしたわよ。
まったく欲しいものが出てきやしない!」

イライラをユーモアにして、人を笑わせてしまう。


買うものを、これは息子でしょ、これは孫でしょ、と言いながらカウンターに並べていたオバサン。
最後に小さなマグネットを1個出して、「で、これがダニー(仮名)」と言う。
「ダニーは友達?」と聞くと、
「近所に住むジイサンよ。留守の間に犬を見てもらってんの。
1日に3回は見に行ってる、って電話では言うんだけど、とんでもない大嘘なのよ。
セキュリティカメラをここからチェックできるのも知らないでさ!」
そう言いながらも、ほんとはそれほど怒ってなくてあったかい感じがする。



こう言ったら、相手がどう思うかといったことを考えがちな私は彼らの陽気さに救われて、
だいぶあっけらかんになれてきたと思う。
それでも、日本に行ったときにはまた、元の自分に戻ってしまいがち。
これはその土地が持つ、パワーの種類の違いなんだろうかなあ。