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続・知青の丘

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「LADY GREY TEA」~柳川吟行

2012-05-03 17:54:56 | 日帰り旅行
味がちがっていた!
おなじTWININGSなんだけどー
それとも気のせい!?

最近、ある店で、
えらく安いなあと思いつつ買ったんだ
25パックで確か350円くらいだったかなー
あけてみると、そのパックのようすが少しちがう
おなじブルーなのだが、
「CLASSICS~」と付いていて、チャチ!
こっちじゃなーい!
少し夢がこわれた感じ~
だけど、ままよ・・・・
別にブランド志向ではないし・・・・・・
・・・・・・・・・・


このところ俳句モードでなくて、

短歌をよんだり
西鶴集ブックオフにてさがしあて105円で買うこの世の「俗」を
川柳をかじってみたり
鏡見る自分のなかにある答え(題「鏡」)

ゆるくゆるく生活していた・・・

このごろやっと、
俳句モードに戻れた感じがしてる

4月からは句会に出て
30日には、柳川吟行に3人で行った

小雨の中、合羽をきせられての川下り
(西鉄柳川駅からバス迎え付き・1500円)

70分下った船着き場のあたりを散策しつつ
ここはひとつどうしても柳川名物の鰻を食べねばと、
鰻のせいろ蒸しを食う
今年は、うれしいことにもう4回目!

3000円は許せる値段ではないが、
掘割を眺められる場所代と思って~

腹ごしらえの後は、
絵描き夫婦のちいさな町角の「ふたり美術館」に立ち寄り

花くれない老の似顔絵ブルース調  知青

有明海の珍しい魚の居並ぶ魚屋を見学し
越山餅(こっさんもち)の店でその餅を買い
観光案内所で、豆挽きコーヒー150円を飲み
矢留小学校近くの六騎(ろっきゅう)神社参拝。
六騎とは、6人の平家落人騎馬武者に由来するという。
そして、
その左手先の北原白秋の「帰去来」の詩碑を読む
春からたちのとげは意外とやさしい。

春からたち棘に指触る子守唄 知青

歩いて
立花藩主別邸「御花」へ
つつじや藤、バラなど色々咲いてはいたが、
お目当ては黒椿!
お、まだ咲いているー
暗いエンジ色!?
気位の高そうな貴婦人か
媚びない、潔さそう!



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臥龍梅(普光寺)

2011-03-03 09:51:07 | 日帰り旅行
大牟田市大字今山の普光寺の臥龍梅を見てきた。

推定樹齢350年、
1株から枝をのばして伸ばして、17株24メートルに臥す。
香りは天にむけ地に向け、ふくよかにただよう。
急な冷え込みに、
満開にはいまひとときの時間を要す・・・。

境内には北に小高い三池山に散在していた中世の石塔群が
ゴソっとまとめて置かれていた。
正確には、放置!

麓には、戦国時代末期の義の武将高橋紹運を藩祖とする
立花藩の歴代藩主の墓石と菩提寺がある。
それらの巨大な墓石群は、菩提寺の向かいの山手にある。
加工しやすい凝灰岩でできているから、逆に風化もしやすい。
周りの木々は伐採されてはいたものの、
ここも放置!されている感じ。
勿体ないなあ。

塔も棒も立つことばかり臥龍梅  知青


*高橋紹運(じょううん)について
 豊後大友氏の重臣。
 天正14(1586)年、薩摩・島津氏が北上してくる際、
 太宰府の北手にある四王寺山の山城・岩屋城に籠城し、
 わずか763名で、2万とも5万ともいわれる薩摩軍を迎え討ち、
 凄絶な戦いを繰り広げて、秀吉軍がくるまで死守した。
 戦闘の最中、薩摩の一武将に答えて曰く、
 「仁義を守らざるは鳥獣に異ならず」と。
 この戦いは、秀吉の九州平定に重要な一戦であったという。



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岡城跡の紅葉

2010-11-18 23:10:30 | 日帰り旅行
11月16日
久しぶりに素敵な紅葉に出合った。しかも、Good timing!で。

それにしても、岡城跡のたたずまいのなんと素晴らしいことか。
滝廉太郎作曲の「荒城の月」にうたわれる岡城跡の私のイメージとは、
かなり異なっていたー。
明治34年の発表のころは荒れ果てていたようであるが。

驚きましたー。
駐車場からみあげたのは、青い空、白い雲をバックにそびえたつ、
人を寄せ付けないような石垣。
その右の方には、いい色に紅葉した楓がー。
しかし、こんなもんでシャッターをきってはいけなかった。

入城料300円。
要ります!











滝廉太郎像
復元された建物は一切ないが、
東西に延びる広大な城郭からは、その威容と栄華が偲ばれる。

西の丸や三の丸、二の丸、本丸の跡に立つ。
柵もなにもしてないから、
端に立って、急峻な石垣を下の方へみおろそうものなら、
足をすくわれそうー。
居座って手をついて、見下ろした。


説明書きを読むと、中世には志賀氏の居城。
秀吉の時、島津の大軍に攻められるも難攻不落。
1594年中川氏入部(にゅうぶ)により岡藩の城となり、
現在の城郭は中川氏築城のもの。

戦国時代の城郭を基礎として、近世城郭を整備したので、
山城的殿舎(御廟)と、平山城的殿舎(本丸・二の丸・三の丸)、
平城的殿舎(西の丸)が一体となっており、
近世城郭史上特異なことだそうである。
昭和11年国指定史跡に。


紅葉狩りに行ったのに、往時の城の様子を想像するにつけ、
その見事さにうなる^~ うなる^~
1185年に緒方三郎惟栄が源義経をこの城に迎えようと築城した
という伝説も忘れがたいし。

もちろん、
城内に何本もある楓の紅葉は、天気に恵まれ、
何枚も写真を撮りたくなるように素晴らしかった。

久住山や大船山、反対側に祖母・傾山を見はるかすこともできる。
谷とか川とかを見下ろす景色も言うことなし。


原尻の滝や






12世紀後半の宮迫東石仏、宮迫西石仏(国指定史跡)を
見てまわって、帰途についた。

15時ごろ、波野の道の駅で、
新そばのざる大盛をたべた。


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